第3話 折木戸は義理の双子

「なあ、がっちゃん。ちょっと聞いてくれないか」

 そいつは後ろの席から僕の首に腕を回し、耳元に息を吹き込んできた。

 面倒なので無視する事にする。ちなみに、がっちゃんと云うのは僕のことだ。


「む。わたしを無視するだなんて。こうしてやる」

 そのまま、ぐい、と僕の首筋を締め上げてきた。的確に頸動脈を圧迫されて、僕は目の前が暗くなってきた。これは、危ない。


「は、離せ、折木戸おりきど

 意識が消える寸前、慌てて彼女の腕を叩いた。


「これは失礼。つい、いつもしいたげられている恨みが出てしまった」

 僕が振り返ると、その女はあっけらかんと笑った。

 そいつの名は折木戸しずく。僕の幼なじみであり、家もお隣りさんである。


「おいおい、がっちゃん。わたしが双子の妹だという情報が抜けているぞ」

 ぼくの心の中を読み取るな。

「双子といっても、だろ。それもお前が勝手に言っているだけだし」

「でも、同じ日の同じ時間に同じ産科医院で生まれた二人を他に何と呼ぶのだ。そうか、がっちゃんがわたしを運命のひとと呼びたいのなら止めはしないよ」

「それは全力で止めろ」

 絶対、呼ばないし。


「それと、もう一つ訂正しろ」

 僕は指をたてた。うにゃ、と悲鳴があがった。

「……がっちゃん。なぜ、わたしの鼻の穴に指を突っ込む」

 折木戸が、涙目で訴えた。僕の人差し指が、第一関節まで埋まっていた。

「すまん。でもお前、近すぎるんだよ」

「そんなに突っ込みたいなら、もっと他の所にして…」

 黙れ、折木戸。ここは教室だ。


「いつも虐げてるとはなんだ。誤解を招く発言はよせ」

 僕がそう言うと、折木戸は、ぽっと頬を染めた。

「だって。毎晩、裸に剥かれて鞭打たれるのを他に何と言えばいいのだ」

 教室内が静まりかえった。こっちを見て、え、あの二人そんな事を、とか言いながら指差している奴もいる。


 折木戸も気付いて周りに声を掛ける。

「ああ、すまない。これは冗談なんだ。わたしは決してそんな事されてなんか、されて……う、ううっ」

「なぜ、そこで泣き崩れる仕草をする。完全に誤解されただろうが」

 クラスメイトの視線が冷たい。本当にそんな事、してないから。

 折木戸はぺろっと舌を出す。


「ところで、がっちゃん。図書館に関して変な噂を聞いたのだが」

 やっと本題に入ったようだ。でも折木戸、お前……。

「お前、図書館に入った事があるのか?!」


「随分失礼な言いぐさだな。もちろん図書館を利用している友達から聞いた話に決まっているだろう」

 ああ。少し安心した。

「脅かすなよ、折木戸。お前が本を読むなんて、どこか具合が悪いのかと心配してしまったじゃないか」

「それは遠回しに、バカにされてるのかな?」

 決してそんな事は無い。

「お前は、今のままでいいんだ」

 折木戸は少し不満そうに唇を尖らせた。


「で、何だ。その噂というのは。まさかトラでも出たのか」

 僕がそう言うと、折木戸は眉をひそめた。

「大丈夫か、がっちゃん。誰が図書館でトラを放し飼いにするというんだ」

「ああ。まあ、たとえば斎原とか……」

 適当に誤魔化したのだが、どうやらそれで折木戸は納得したらしい。

「おお、斎原か。なるほど、それなら分らないでもない。でもそうじゃ無い。誰かに見られている気配がする、と言うんだけど」


 ☆


「ほら、これが言ってきた子のリストだ」

 折木戸は一枚のレポート用紙を取り出した。女子の名前がびっしりと書いてある。

「さすがに、知ってる名前もあるだろう?」

 僕は沈黙した。

 折木戸はため息をついた。

「まあ良い。直接、状況を訊いてみてくれ。わたしも一緒に行ってやるから」


 折木戸は立ち上がった。

 僕より少し背が高い。しなやかな、まるで猫のような動きで教室の出口に向かう。

「早く来い。置いて行くぞ、がっちゃん」


 ☆

 

 図書館内の事なので、一応、斎原にも報告する必要があるだろう。僕たちは、まず生徒会室へ向かった。

 リストを見た斎原は大きく頷くと、後ろに立つ生徒会書記に目をやった。

 月沼さんという、いかにも真面目そうな2年生の女子だ。上級生なのになんだか斎原の秘書みたいになっていて、僕も時々お茶を淹れてもらったりしている。


「ちょうど私も、月沼さんからその話を聞いた所だったんだ。じゃあ頼んでいいかな、折木戸さん」

「おう。がっちゃんの事はわたしに任せておけ、斎原」

 斎原の頬が、ぴくっと動く。

 遠くでトラの咆哮が聞こえた気がした。


 ☆


「絶対、後ろから何かが見てたんだよ、目に見えないものが」

 僕たちが状況を聞くと、彼女たちは皆、口を揃えてそう言った。


「だけど、そんな視線なんか感じるものかな」

 僕が言うと、折木戸は人差し指をちっちっ、と振った。

「がっちゃんみたいな鈍感な男には、一生感じられないだろうな」

 むっ。

「鈍感さやガサツさでは、お前には及ばないと思っているのだがな、折木戸」

「何だ、えらく謙虚だな。もっと自信を持ってもいいんだぞ」

 こいつに皮肉は通じないようだ。


「と云うことで、これがその発生日時と、大まかな場所だ」

 聞き取り調査が終わり、僕はもう一度生徒会室を訪ねた。

 図書館内の見取り図に、視線を感じたという場所を書き込んでおいたのだ。

 斎原はそれを一瞥するなり、小さく呻いた。

「やはりそうか。分ったよ」

「早いな、斎原。やはり文妖なのか」

「それもあると思う。でも、本質的なところは……うーん、困ったな」

 斎原が困るなんて、相当に珍しい。


「よし、これは暫く置いておこう」

「はあ?」

 先送りなんて、これも斎原らしくない。

「それよりもね、急を要するんだ」

 斎原はそう言うと、部屋の隅に積み上げた段ボール箱を嬉しそうに指さした。

「へへ。君依くん、寄贈された図書をデータ登録するの得意だったよね」

 まさか、この箱の中身は。

「そうだよ、うちのOBさんからの寄贈本。あまりに量が多いから、どうしようかと思ってね。ほら、私って生徒会長代理も兼ねてるから、忙しくて」


「だったら、お前がクビにした図書委員たちを呼び戻せ!」

「嫌よ、あんな無能な人たち。本の修繕さえ、ろくに出来ないんだもの」

 まあ、それは認めるけど。でも斎原が納得する修繕が出来るようになるためには、彼女の下で厳しい修行が必要だ。ざっと五年くらい。

 そう……僕みたいに。


 ああ、そうだ。斎原はにやりと笑った。

「だったら、好きな人に手伝って貰っていいよ。例えば、折木戸さんとか」

 ぎく、僕は背中に冷汗が流れた。

「好きなんだよね、私なんかより。折木戸さんの方が」

 だから、それは小学生の頃の話で。

 しかも、僕としては恋愛感情とかじゃなく、ただ単に、遊び相手として「好き」と言っただけなのに……。


「あ、あのさ。斎原。その話は一旦置いとこう。それに折木戸はこういう細かい仕事には向かないからめた方がいいよ」

「置いておく、というのは『告白した私を君依くんが振った』という事を置いておく、という意味でいいのね」

 置いといてくれなかった。いまだにすごく怒っているらしい。可愛い笑顔で言う斎原、こういう時が一番怖い。

 実はこれが、僕が斎原に頭が上がらない理由なのだ。


「では、君依くんの補助として、うちのクラスの副委員長を貸し出します。これで解決でしょ、色々と」

 えーと、副委員長って、誰だったっけ。




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