発火点 2


 予兆はあった。

 先日と比べてやけに散らかったこの客室。

 散らかったわりに、部屋の物は減った印象を受ける。

 程なくして『フォース』の連中が押しかけてくることを知っていて、しかし余裕を持って会話に臨んでいたその態度。

 もしくは、この会話にも時間稼ぎの意図があったのか。


「お義父さん!」

「……いや、先に行っていてくれ。サトミさん、お願いがあるのですが」

「ソラ、2人を離してあげるんだ。そして一緒に外に出ていてくれ」


 鏡に反射して映ったソラは、即座にミレイとケントを解放して立ち上がらせた。

 床に触れていた2人の身体をはたいてホコリを落とし、手を引いて廊下にいる父親の元へ連れて行く。


 老人がもう一度促すと、僅かに呆気にとられた表情を見せた親子3人は、それでも火の回りを恐れたのか家外に脱出していった。


 ところが当のソラは戻ってきてしまった。

 あげく、客室のドアまで閉めてしまう。


「ソラ」

「……?」

「いや、ソラもここから出て良かったんだが」

「けむり、はいらないようにした」


 この部屋も熱を持ち始めているが、ぼくの横に立ったその子は平然としていた。

 廊下に薄く広がってきた煙を見ても僅かな動揺さえ表に出ない、いつものポーカーフェイスだ。


 こういう時、なんと言えばいいのだろうか。


「ソーラちゃんは、やはり変わった子ですな」

「それについてはコメントしかねる」

「もちろん、あなたも変わっている。どうして逃げないんですか?」

「必要があるからだ」


 外は既にかなり火の手が回っており、初日に見たジャガイモ畑は炎に染め上げられていた。

 こんな乾燥していてよく晴れた日だ。じきに全て跡形もなく炭に変わってしまうだろう。

 もし消火に駆けつける人間がいたとしても、この勢いではもう間に合うまい。


 そして『軍』の捜査が来る頃には、コスギのプラントは家屋を含めて全てが焼け野原になっているという寸法だ。


「延焼の心配がないことはあなたもご存知でしょう」

「ああ、測量した時に他の『農家アグリ』の畑とはかなり距離があるのは確認している」

「……あなたの言う、必要とはなんですか? あとはもう死ぬだけの老人に、まだ何か言うことが?」

「その割りには、周りは若者もいるようだが」


 コスギの周りの彼らはまだ残っており、こちらを鋭く睨んできた。

 しかし、その場を動こうという気は皆無であるように見える。

 その内の1人がぼくを睨み、血気盛んに吠えた。


「俺達は残る! 残らなければならない!」

「私なんか見捨ててくれ……とは再三にわたって忠告したのですがね」

「見捨てるだなんてそんな! 俺達は、じいさんだけに責任を背負わせたくないんですよ!」

「こうも言っておりますので。どうか、ケントとミレイだけでも見逃して頂けませんでしょうか」


 そう告げる彼はどこまでも澄んだ目をしていた。


 この目はよく知っている。

 全てを諦めた目だ。


 いや、違う。


 全てを諦めようと、自分を無理やり納得させているのか。


 似ているようで、その2つは異なっている。

 数週間前のあの日のデパートで起きた戦闘を思い出し、そしてすぐにその回想を打ち消した。


「それだけで充分なのか?」

「……それだけ、とは?」


 息を吸う。

 わずかに感じる火の気が煙臭く喉に溜まった。


「もし『軍』が子どもを見逃したとしても、ケント1人で生きていけると思っているのか? ましてや、ミレイはどうなる? 運良く親子で生き延びても、『集合体コミュニティ』内で『軍』でも『図書館ライブラリ』でも『農家』でもなくなった人間は『略奪者レイダー』と変わらない」

「なにを、言ってるんです」

「外に逃げようものなら尚更だ。飢えるか殺されるかで早晩に死ぬぞ」

「何を言ってるんですか、貴方は」

「あるいは、『軍』からまた不当な“雇用契約”を押し付けられて奴隷まがいの身分になるかだ。あんたはここで死ぬだろう。それは、あの親子を見捨てたのと何が違うんだ。自分も逃げて、共に生活の手段を探すべきじゃないのか。子どもの気持ちが判るといったぼくを欺瞞だと評した、あの姿も欺瞞だったのか」


 する必要があった最後の話が、これだ。


「そんなっ……わけ、ないでしょう!!」


 一瞬の間を置き、がたん、と音を立ててコスギが机の縁に手をついた。

 そこに穏やかに死を待とうとしていた老人の姿は欠片もなく、代わりに。


「私だって、こんなおかしくなった世界で必死にやってきたんだ! 『軍』のあんた達には、幼い子にまで税をかけて価値を決めるようなやつらには判らないでしょう! ケントもミレイもね、私の可愛い孫なんだ! あんた達なんぞに渡してたまるか!」


 横にいるソラが、ぼくを見ている。

 その子はこの場において何も言おうとしてはいないが、ただこちらの一挙一動が見られているということだけは判った。


「コスギ、聞かせてほしい」


 確かに、ぼくが子どもに優しいとか、子どもの気持ちが判るなどとは口が裂けても広言するつもりはないし、言ったところで虚偽にしかならない。


 だから自分は、ソラの前でこう訊かなければならない。


「あんた自身は生きたいか? それとも死にたいのか?」

「バカなことを言うな、生きたいに決まっている! 母親もいなくて男手一つで、じじが守ってあげなくてどうする!!」


 それは即答だった。

 それが彼の心底にあった本音だった。


 そして自分は、その言葉が聞けるのをどこか期待していたのかもしれなかった。


「判った。今のうちに訂正しておく。ぼく達はそもそも『図書館』ではない」

「ああ! そんなものは判っている!」

「また、『軍』でもない」

「…………な、え?」


 この家のどこかでバキバキという音が響いた。

 恐らく火が移った裏手側から家が燃え落ち、壊れ始めている。


 もう時間がない。

 だから、残りの細かな話は場所を移してするべきだろう。


 外から声が聞こえた。


「あーー! どうもどうも、コスギさんの息子さん! お久しぶりだね! こっちの方にうちのサトミは来てます、え? ……え、あの家の中ぁ!? ちょっ、サトミ、やばいくらい家燃えてるけど!? まさか中でのんびりお茶とかしてないだろうねー!?」


 相変わらずやかましいというか、非常にこの場にそぐわない雰囲気の声。

 燃える家の戸口がめちゃくちゃな勢いでノックされる。


 横のソラと顔を見合わせる。

 打ち合わせ通り、向こうの方も終わったようだ。


 ぼくは机の上にあった草刈りガマを取り、腰に提げた。

 これでも一応武器扱いであるなら、ここに放り置かず、借りた本人にきちんと返却しておくのが無難だろう。


「火を放つことはこちらも考えていた。他のどんな方法よりも『軍』に対して消息を欺ける。ただ、少しあんた達の方が決行のタイミングは早かったみたいだ」


 説得とも言えない説得だったが、これはギリギリ間に合ったとみて良いのだろうか。


 イスから立つと、呆けたような顔をしているコスギと目が合った。

 それだけ見ると、血は繋がっていないはずなのに彼の義理の息子と似ているように思える。


「やばいサトミやばい、早く出てー! ソラもー!」

「てんしさま、よんでる」

「……天使、ですか?」


 老人の混迷の表情が深まる。

 一応、コスギにも説明が必要だろうか。


「出迎えに来てくれたようだ」

「……ここにきて、なにかの冗談ですか?」

「非常に遺憾ながら、これは本当だ」


 あいつは天使は天使でも、自称と頭に付くが。

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