発火点 1
自分の頭がおかしくなったと考える方が、世界がおかしくなったと認めるよりもまだ受け入れやすい。
♢♢♢
「……なんなんです、あなたは」
「問いの意味が判らない」
「なんのつもりかと、訊いているんですよ」
「武器を向けられたから、こちらも武器を向けた。そのつもりだ」
ようやく話し合いができるとは言ったものの、相手が動揺しているためにこの場への理解が遅れてしまっている。
少し失敗した、これでは時間のロスになってしまう。
「子どもを狙うのは、人としてどうなのかと思いますが」
「ソーラも子どもだろう」
「バカらしい、釣り合いが取れてるとでも言うつもりでしょうか? 人でなしめ」
「一応人間のつもりだ」
後ろにいる3人の子ども達を見る。
2人は何が起きているか判らないのか、声も出せない状態。あるいは、ただ萎縮しているのか。
1人は事前に決めた通りに動いていて、声を出すつもりもなさそうな状態。
「使えるものは全て使う。役立ちそうな物は修理してでも使う。それがあの子にも当てはまっただけだ」
「異常だ」
「あんたもそうだっただろう。なりふり構わず生き残ろうとしたからこそ、こういう結果になったんじゃないのか」
一呼吸置いて、コスギが手を下ろした。
「皆、下がってくれ」
「コスギさん、ですが」
「いや、もういいんだ」
言われた周りの『
多少の圧迫感があった周りの空間が、元の広さに戻った。
「こちらは退きました。あの子達を放してやってはくれませんか」
「ソラ、ナイフは下げてくれ。首も苦しくない程度に緩めてあげるんだ」
「わかった。……ふたりとも、うごくな。よけいなことばを、はなすな」
カヒュッ、と後ろで息を呑む音がした。
ケントかミレイのどちらかだろう。
パニックと恐慌が半ば入り混じった呼吸音だ。あるいは軽度の過呼吸か。
「なんなんですか、あなたは、あの子は」
「先に、あんたの話をいくつか訊きたい」
周りの男達を見回す。
見覚えのあるやつがいるかどうか探すが、この場では見当たらなかった。
「再確認だと思って答えてくれ。あんた以外は動く必要も、余計な言葉を話す必要もない」
「……判りました」
奇しくもソラが言ったようなことと同じような前置きをしてから、話す。
ここからは注意深く、上手く言葉を選んで会話を続けなければ。
「時系列で近い話から聞く。あんたの言う“サカガワ君”を含む3人が一昨日の帰りにこちらを尾行してきていた。その経緯を教えて欲しい」
「ご存知なかったのですか?」
「余計な言葉を話す必要はない。ソラ」
「やめて下さい!」
「……ソラ、ミレイが苦しそうにしている。乗っている位置を少し後ろにずらせるか」
「わかった」
何を勘違いしたのか叫び声を上げたコスギを無視し、ソラに呼びかける。
後ろの状況はコスギの横手に置かれている姿見で把握している。
うつ伏せになっている人間に対して肺の上に乗るのは、呼吸の難度を上げて相手の体力を減らしたい場合には有効だが、今はまだそれは必要な行動ではない。
ソラがミレイの骨盤の辺りまでマウントを下げたのを確認して、コスギに続きを促した。
「彼らは……焦ってしまったのでしょう。あなたがたが来てから3日目、お二人が帰られたのちに、『
「内容を詳細に教えてくれ。覚えている限りで構わないが」
「……そこまで中身のあるものでもありません。ただ、プラントの栽培状況に不審な箇所が報告されたため、後日に、つまり今日の午後に『軍』の方で捜査を行うと。証拠物が見つかった場合は処罰を行い、土地の管理権を別の者に移譲させる。それだけでしたな」
報告自体は元々あなたのものでしょう、と言われる。
もちろんそんな内容は知らない。
知らないが、特にこちらから言うことはない。
「それで、『
言外に、ぼくをどうこうしたところで結果は変わらないという意味合いを滲ませておく。
『図書館』は『軍』に依頼された仕事を請け負う場合はあるが、しかし独立した組織だ。
個人での例外はあるが、基本的には二つの組織は異なるスタンスを取っている。
「殺意までは、彼らにもなかった……と、信じています。今言っても説得力はないのでしょうが」
「そうか。サカガワ以外の2人はどこに?」
「昨日戻ってきまして、今はプラントです。ご存知の通り、外にある方の、と付きますが。……今日の引き継ぎまで、栽培はこちらでしておけという命令でしたからな」
気になる言葉があった。
引き継ぎとは、一体どういう意味だ?
「……彼らの責任者は私です。罰するなら私の量刑を重くしていただけませんか」
コスギの頭がテーブルに当てられる。
「それを決めるのは『軍』だ」
「ですが」
「少なくとも、ぼくに頭を下げる必要はない。ただ、どうしてこうなったかの動機を話してもらえれば、こちらで多少心情を汲むことはできる」
別に実行犯がどうの、責任者がどうのと追及するつもりはそもそもなかった。
そんなことより、他の情報が欲しい。
そのために、何もかもをぼかして質問を繰り返しているのだから。
「動機、ですか。もう疲れたから、ではダメでしょうか?」
「具体的に頼む」
ふう、とコスギはこれまでで一番大きな溜め息を付いた。
そして、こちらを皺に囲まれた細い目で睨む。
あまり言いたくはなかったのですが、と前置きを入れてから、彼は話しだした。
「……あなた方が私どもを雇用し実験栽培を依頼して、かれこれ4年ほど経つでしょうか。これまでは言われた通りやってきました。今だから言いますが、私は未だに納得できてはいませんよ」
「…………」
徐々に語気が荒くなってきている。
これまでのコスギの沈静な言動からはかけ離れ、より感情的な振る舞いが強くなってきている。
「それでも最初はあなた方からの依頼であったので、自分で強引に納得しようとはしていました。でも、もう無理ですよ」
コスギがここまで感情的な様子を見せたのは、他には孫達に関することくらいだろうか。
「やはり、医薬品利用だなんだとあなた方は言ってますがね、その割には『
そういうことか。
ようやくパズルのピースが揃った感覚があった。
彼が話しているのは紛れもなく、彼にとっての事実だ。
そして、こちらが求めていた事実の一部でもある。
「……知っていましたよ! 私どもはあなた方の管理下から逃がすことはしないだろうと! もう辞めたいと言った人間はどこかで嗅ぎつけられ! ……だからサトミさん、あなたが、『軍』の遣いが来たんでしょう? 引き継ぎなんて体裁を取って、我々をまた都合の良い別のコマと置き換えるために!」
コスギ老はもう隠す気もない明らかな怒りをあらわにして、こちらに『農家』としての訴えをぶつけてきている。
下げた手のナイフは震え、あれではまともにぼくを刺すこともできないだろう。
しかしその彼が語る言葉のおかげで、ぼくも大体の事情は把握できた。
「半年前、誰よりも栽培に反対していたアキタ君があなた方に連行されていった時に、私どもはもう決めました。あなた方には従わないと」
今回のぼく達の調査は、表向きは『図書館』の調査によって『農家』の不正が発覚したとする、ただの言い訳のための依頼だった。
そして、その裏にはさらに別の話があった。
それは当の『農家』と『軍』とのやり取り。
『農家』は、コスギらは4年前から麻薬原料の栽培を試験的に行うプラントを稼働させていた。
栽培を命じたのは『軍』だ。
目的は医療用とされているが、実際のところはそれも怪しい。
コスギ達は、徐々に栽培に対して懐疑的な意見を持つようになっていった。
そして半年ほど前に1人、不服従の見せしめとばかりに『軍』は処罰を行なっていたらしい。
その対応が逆に彼らの否定意見を強め、手綱を握ることが難しくなったのか。
制御不能になった機械はどうすべきかと訊かれれば、電源を切ってから故障したパーツを交換するか、いっそ新しいものに取り替えてしまうのが一番手っ取り早い。
『軍』はその考え方を、人間に対して適用しただけだ。
だからこそのコスギの先ほど言っていた“引き継ぎ作業”が必要になるのだろう。
コスギら『農家』は切り捨てられ、より命令に従順な新しい『農家』のグループを用意する。
それらをスムーズに行うための『図書館』の調査という隠れ蓑が、今回のぼく達がやらされていた仕事だったというわけだ。
ようやく全ての辻褄が合った。
時間は昼に至るかという頃合い。
午後にはすぐにでも『軍』の捜査が行われるだろう。
ならばそろそろ、こちらからも話さなければならない。
「ぼくを襲ったのはサカガワの他に、ヤグチとオオニシだったな?」
「は、はっ……? あ、ああ、サカガワから聞いたのですか」
「いや、先日尾行された際に顔を見た。この『農家』に所属する人間で、3年前より以前から働いている人は全て顔と名前を覚えている」
やたらと記憶力の良い、自称天使に教えてもらった結果だ。
無駄に絵心のあるあいつにこの『農家』団体の20人ほどの顔を思い出してモンタージュ風に描いてもらい、それをぼくも暗記した。
「1つ聞きたい。その『軍』からの連絡は、誰が行なっている? 『軍』から直接人間が来たのか、それとも、なんらかの代理人がこの『農家』の団体にいるのか」
「3日前に『軍』の方から直接連絡をいただきました。代理人、とは……?」
「つまりここで違法栽培を始めた時に、あるいはそれより後に、『軍』から遣わされて働いていた人間はいるのかどうかだ」
内通者、監視役と言い換えても構わない。
コスギらの動きを報告し、またぼく達の動きをレポートとして提出していた人物。
「クラセ君なら、ここに移って来たのは3年と少し前ほどかと……」
「今日は来ているか」
「いえ、一昨日から連絡が全く……。ああ、そういうことだったんですね」
驚いていたが、すぐに腑に落ちたような顔になる。
タイミングからして、内通者はそいつで間違いないだろう。
既にいないのは、『軍』の行動に先んじて逃げ戻ってしまったからだろうと推測する。
懸念すべき点は、内通者がそのクラセ1人なのかどうかだ。
反応からしてこの場に来ている人間の中にはいなさそうではあるが、一応カマをかけておく。
「彼はもう既に情報が回っていて、脱出が済んでいたようだ」
「彼は、という言葉は……まさか」
「理解が早くて助かる。こちらの最後の仕事は、『軍』に先立って連絡役を連れ戻すというものだった」
「そう、でしたか」
周りを見回す。
ここまで言えば他の人間と異なる反応をする者がいてもおかしくないだろう。
ぼくの言葉がたとえ見え透いたウソであったとしても、多少なりとも周りとの反応は変わるはずだ。
「…………」
いや、誰も不審な点はないな。
驚きはしているもののその姿は一様に同じで、こちらへ不自然なアイコンタクトやなんらかのサインを出してくるようなやつは居なかった。
そうなると、2人目以降の内通者は『集合体』外のプラントか、ここにいない人物のみに可能性が絞られるか。
そこまで確認が取れたため、最後の話をしようと試みる。
しかし、先にコスギが行動を起こした。
「……あなたがここに来た理由は判りました。しかしながら、こちらにも意地があるんですよ」
気付いた時には、網戸の外が異様なほどに明るくなっていた。
日中の日差しではない。赤熱といっていい程の色合いの変化。
部屋の温度が徐々に上がりはじめている。
廊下から走ってくる音が聞こえたかと思うと、ドアが思いきり開かれた。
「お
「時間通りにやってくれたか」
「もう家の裏手まで燃え移っています!」
外を横目に見れば、畑のいたる所から煙が上がっていた。
コスギの息子の主導で火を点けたのか。
指示を出したであろうコスギは、彼の息子から再びこちらへ顔を向けた。
凄絶とも言えるほどの笑みを浮かべている。
「一番最初に言っていた、準備とはこのことか」
「ええ、あなたが来ても来なくても、当初からこうするつもりでした。本当は責任を持って私が残り、火を点けてまわる予定でしたが」
周りからは大反対されましたが、しかしこうなっては、プラントの引き継ぎも何もないですな。
そんな言葉を、目の前の老人が未練なく呟いた。
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