間隙を詰める 2
「おや…………」
家から出てきた『
「……こんにちは」
「こんにちは。申し訳ございません、昨日はご連絡もできないまま休んでしまって。ひったくり、いや追い剥ぎと言えば良いのか、一昨日の夜に腕と足を斬られ、荷物を盗られてしまいまして」
早口にならないように意識しつつ語ったのち、紐で吊られた右腕を揺らして彼に見せる。
肘から先は布で雑に巻き付けて保護され、曲げた状態の腕先は自分の服の内にしまわれている。
「脚も同じ具合に負傷してしまいました。昨日の夕方まで寝床から動かせてもらえず、今朝になって大慌てでこちらに来た次第です」
足についてはいつも通りの格好ではあるが、上から太腿の辺りを叩いて示した。
「は、はぁ……。それは大変でしたな。傷が深かったのでしょうか?」
「多少縫う程度には。昨日は『
「…………」
返事はない。
老人がじっとこちらを見つめてから、浅く嘆息した。
そして、ぼくの隣に立つ麦わら帽子の子を見下ろして、ほんの僅かに目尻を下げる。
「……少し準備が要りますので、ひとまず家に上がって待っていて頂けますでしょうか」
「申し訳ございません、少し気が
「いえ、『図書館』のかたは皆、仕事熱心でなによりです。こちらもいつも助かっていますよ」
「こちらも人員不足で行けと言われただけで、しかももう期間も6日目です。職員助手としては仕事が遅いのが悩みどころですね」
コスギの家の前で立って話していたところ、開いた玄関の奥からドタドタと走ってくる音が2つ聞こえた。
足音の主達は、すぐに玄関の脇から顔を覗かせる。
「あっ、ソーラきた!」
「ほらパパ、やっぱりソーラちゃんだったよ!」
ケントとミレイはぼくの隣の子の存在を認め、2人とも笑顔で駆け寄ってくる。
ソラはあまり表情の変わらないまま2人にまとわりつかれ、なされるがままになっていた。
微妙に触れられるのを嫌がって、触られそうになると少し距離をあけているのは仕方ないことだろう。
死角から、こらっ、と言う男の声が聞こえたのち、3人目が姿を見せる。
「あ…………」
反応はまた少し気の抜けたもので、奥から出てきた彼、コスギの義理の息子はぼくの姿を見つけるとそう漏らした。
そして、その玄関外の人物とコスギが相対していることも確認し、少しうろたえてからぼくに軽く会釈をした。
こちらも会釈を返し、話しかけておく。
「こんにちは。怪我の加減はいかがでしょうか」
「え、ああ……。ありがとうございます、ただ、そちらの方がなにかお怪我をされているようですが……?」
「いえ、ご心配なく。もうこちらも治りかけですので」
見たところ彼の怪我も治りつつあるようで、子ども2人の面倒を見ていたようだ。
怪我を作った原因はぼくにあるのだが。
「ソーラ! なんで昨日こなかったんだよ!」
「けが」
「え、別にケガしてないじゃん!」
「ちがうよ、ソーラちゃんのパパだよ!」
本当だ、などと言って子ども2人がはしゃぐ。
コスギ老は、もう一度嘆息してから口の形だけを笑みの表情に変えた。
「外で話しっぱなしになってしまいそうですな、これでは。どうぞ、中におあがりください」
礼もそこそこに、ぼくとソラは家に招かれ客室へと通される。
初日に入ったのと同じその場所は、しかし初日に比べると物が散乱していた。
「すみません、汚いところで」
「いえ、お邪魔させて頂いているのはこちらですから」
コスギはぼくとソラ、そしてソラへ話しかけるのが一向に終わらない子ども2人を部屋に通すと、また麦茶でも持ってきますと言って出て行ってしまう。
2人の父親も外の戸からこちらに会釈したきり、すぐに立ち去ってしまった。
「ソーラ、おまえ学校行かないのかー?」
「がっこう」
「がっこう、たのしいよ! ミサキちゃんは走るのはやいし、ルリちゃんはツブツブさわるだけでそれが文字で読めるの!」
「べんきょーしないとバカになるんだぜー?」
手持ち無沙汰になったので、客室のテーブル前に座ったまま後ろの会話を聞いてみる。
後ろにある古びた畳の間では、学校の授業がどうの、畑の手伝いがあると休みがどうのといった、彼ら2人にとっての日常の話題が繰り広げられていた。
「べんきょーな、オレもう畑のめんせきとかぜんぶ計算でだせるんだぜ!」
「めんせき。サトミがはかってた」
「それそれ! タテかけるヨコ!」
「ねーソーラ、くく言える? くく!」
「バーカ、外人が九九なんて知らないにきまってるだろ!」
左右からステレオじみた状態で話しかけられているソラは、特に表情を変えることなくそれを聞いていた。
だが、2人にとってはそれでも構わないらしく、終始機嫌の良さげな様子だ。
聞いてもらえるだけでも楽しいのだろう。
しばらくその3人のやり取りや、網戸から見える外の畑の風景を見ていると、客室の入り口が開いてコスギが戻ってきた。
手には朱塗りの盆、その上には湯呑みが3点。
「申し訳ありません、お待たせしました」
「いえ」
「なにかお茶でもと思ったのですが、今はあいにく取り置きが……」
「いえ、お構いなく。少し前に家で朝食を摂ったので、自分もあの子もまだ喉も乾いていませんから」
「では、机に置いておきましょうか」
身体を子ども達の方から、テーブル越しに正面に座ったコスギ老へと向ける。
「廊下にも賑やかな声が聞こえていましたよ」
「そうですか。ソーラも得がたい経験ができたようで、ここ最近は家でも楽しそうにしていました」
「……ソーラちゃんは、普段は何を?」
特に誤魔化す必要もないため、正直に話す。
「学校には通っていません。ですが、『図書館』の人と接する機会が多いため、たまに家庭教師のようなことしてもらっています」
「どおりで色々なことに好奇心が持てるのでしょうな。納得しました」
「ケント君もミレイちゃんも、活発で勉強熱心なようですね」
目の前の老人はそれを聞くと、僅かばかりに表情を暗くした。
見た印象で言うならば、寂しそうな表情、だろうか。
「……『農家』の子どもは、やはり将来は『農家』なのでしょうか」
意図が読めず、黙ってコスギを見るだけに留まってしまった。
声のトーンを下げた彼は、ここからの内容を向こうの3人に聞こえないよう配慮しているということだろうか。
「私みたいな老人はいいんですよ。妻も私も、もうあとは死ぬのを待つだけの人間はいいんです」
でも、と続ける。
「あの子達はどうなるんでしょう? まだ10歳になったばかりですが、もうケントは『農家』になることが決まっているのですよね?」
「どうでしょう、学校で知識と経験を得たうえで優秀だという評価を得られれば、『図書館』への推薦が来ることもあるかと」
「……『図書館』の方が言うならそうかもしれませんが、少なくともこの7、8年、私の周りでそういった話を聞いたことはありませんよ」
それはそうだ。
『図書館』への抜擢など、本当にずば抜けて優秀な子どもでもない限り『農家』からは取られない。
『
それを考えると一次産業従事者を迂闊に減らすことはできず、誰彼問わず『図書館』職員になどしてしまうわけにはいかないのだ。
ただでさえ外部の輸入にも頼れず、暮らしを豊かにする科学技術、などという輝かしい言葉も遥か昔に錆びついてしまっている。そこからさらに労働力まで低減させてしまうのは悪手にしかなり得ない。
「男の子は力仕事ができますし、『農家』に進むケースは多いですね」
「やはり……そうなりますか」
彼には言えないが、より致命的な事実もある。
『図書館』は失われた技術を主に8年前より以前の書籍から得ている以上、現職員と『
あの子ども達が物心ついた頃には既に、コンピュータが動作するところも携帯電話が声を伝えるところも見ることはできなくなっていた。
しかし、彼らよりも先に生まれていた15歳やその前後あたりの年齢であれば、少なくとも以前に存在していた技術がどのように機能していたかは最低限知っているだろう。酷な言い方をすれば、その時点でヒューマン・キャピタルに溝が生じているのだ。
昔に電子レンジが動いていた姿を知っている人間と、今のただの転がるジャンクとしてしか見たことのない人間。
もしも1つの物をただのゴミの状態から機能を再生させる、いわゆるリバースエンジニアリングに近いことを行う場合、両者のどちらに任せようと思うかは明白だ。
だからこそ『図書館』側からすれば、8年前より以降に生まれた子どもを雇うことは一層難しくなる。
一般的に膂力が男子より劣る女子になると力仕事向きではないという条件が付与され、また多少話が変わる可能性もあるが、しかし。
「かといってミレイを『図書館』に、というのはあまりにも都合のいい話なんでしょうか」
何かを乞うような視線に、しかし何も答えられない。
「いや、答えづらいことを聞いてしまいましたな」
「いえ。ただ基本的には女子も、『集合体』存続のためのお力添えを頂くことには変わりません。どんな形であれ、そこに男女の差はありませんよ」
気休めどころか、ただのおためごかし、現実逃避の言葉だ。
ミレイはと言うと、そもそも彼女自身が正式に登録された存在ではない。
戸籍という言葉も今となっては存在しないが、かつての言葉で例えるならば無戸籍で不法滞在しているという扱いにしかならないだろう。
『集合体』での人権を認められていない存在、つまりほとんど外の『
「言い訳がましいですが、私だって、そして義理の息子だって、やりたくてやったわけではないのですよ」
それは、どこまでの意味を含む言葉なのだろうか。
黙って聞くことにする。
「私はこれでも昔、定年までは消防士なんぞをやっておりました。息子は企業勤めでしたがね、大変でしたがどうにかそれなりの暮らしを保てていたと思います」
「ご立派なことです」
「しかし、もう何もかもが変わってしまったように思います。ここは昔のような、普通に働いて、普通に暮らして、ということすら難しいものになってしまいました」
コスギは、自分の前に置いていた湯呑みの水を一口すする。
ぼくはまだ手を付けていない。
特に喉は乾いていない、ということにしておく。
「難しい中でも必死にやっていたのですが、ダメなものはダメですね。娘はミレイを産んですぐにこの世を去りました。手は私に出来る限りを尽くしましたが。医療設備が整っていればもっと結果は違ったのかもしれません」
「お悔やみ申し上げます、と言って良いものか判りませんが」
「いえ、お言葉だけで充分です。……ただ、その辺りからですかね。さらに生きるのが難しくなってしまったのは」
1つお聞きしたいのですが、と言われる。
「もしあなたに今、ケントとミレイを預けたい、と言ったらどうなるでしょうか?」
「私はまだここに来て5日しか経っていません。少し唐突な話に思えます」
「もし、の話です」
預けたいと言いつつも、期間も、そして理由といった情報も一切提示されない。
どういう答えを期待しての問いなのか。
いや、そもそも期待など一切していないのか。
「私にはソーラがいます。『農家』ではありませんが暮らしはギリギリで余裕もなく、お二人をお預かりしても、不幸にさせてしまいます」
「不幸、ですか」
コスギはそこで、口の端だけで笑ってみせた。
「それでも、今より不幸にはならないと思うのですが。……今日の午後に『
「ご存知でしたか」
彼の話す口調は変わらない。
だが、そろそろ本題に入っても良い頃合いだ。
「昨日通達が来ました。『図書館』からの調書により、『軍』からの捜査が決まったと」
「…………」
結局あの後、僕らは調書など提出しなかった。
『軍』は、どうしても決まっていた筋書きから外れないようにしたいらしい。
「今のあなたは最後通告に、といったところでしょうか? それとも、何かを期待させようと? いや、その割にはこちらへの条件の押し付けや、債務の提示もなかった」
一拍あけてから、コスギは。
さらに、口端だけの笑みを深めた。
「それとも……私どもが何か手を打つ前に、先んじて封じてしまおうと?」
網戸の外に複数、また、客室のドアの外に1、2人の影がゆらりと映る。
それ以上の動きはない。
彼らは、ぼくの後ろにいる子ども達からは見えない位置で待機していた。
「おっしゃる意味がよく判らないのですが」
そこで、ぼくも話を進めることにした。
「先んじて封じるとは、もしかしてこれの事でしょうか」
袖に入れていた布巻きの腕を引き抜き、その手の先に掴んでいたものを机の上に放る。
がらん、と音を立てて草刈りガマが転がった。
途端にコスギが立ち上がって周りに合図を出し、彼自身もナイフを素早く抜いてぼくの首に当てる。
老人とは思えない俊敏な動作。
周りのドアも網戸も蹴破るようにして開かれ、間髪置かずに『農家』の人間が集まってきた。
狭い客室の中の間合いなど一足で詰められてしまい、刃や耕具、手製の武器が全てこちらに向けられる。
代わりと言ってはなんだが、ぼくも空いていた左腕をコスギの前に突き出していた。
お互いの距離が、それぞれの持つナイフによって詰められている。
「……存外、落ち着いていますね」
「いや、予想よりこの場に残っている人数が多かった。そしてあの子達のことを考えると、ぼくだけをいったん外に連れ出すほうが良かったんじゃないのか」
「それが素の口調ですか、まるで機械のようですな。……私どもも必死です、そこまで考えが至らなかったようだ」
「そうか」
もうここに至って、お互い取り繕う必要がなくなった。
「そもそも、あなたがソーラちゃんまで連れて来ること自体が想定外でした。若い者が先走って襲撃などしなければ、こうはならなかったのでしょうか?」
「いや、結末自体は変わらなかっただろう。あんたらの外にある麻薬プラントは既に『軍』の知っていたことだ」
そして、ぼく達も場所は把握できている。
数日前の『略奪者』に偽装した襲撃の後、時間を経てやって来た『農家』のメンバー達をコースケが尾行した結果だ。
「そうでしょうな、ここであなたをどうこうしても、一昨日から居なくなったサカガワ君の恨みを晴らせるだけです」
金属の鈍い輝きが首元に近づく。
既に心にもない建前を言いあう時間はとうに終わっている。
「どうせ私らは死ぬか、死ぬよりも酷な目に遭うのみでしょう。ならば、せめて子どもと若い者だけでもと思ったのですが……」
「既に子どもまで巻き込んでいるだろう」
「あなたの
確かに欺瞞と言われればそうかもしれない。
突き詰めてぼくとあの子の関係性を考えるのであれば、ぼく達はたった2週間ほどの付き合いの知人であると言い表わせる。
しかし。
「いや、理由はある。あの子が同行を望んだからだ」
「…………え?」
「どんな形であれ、あの子のしたいことは極力あの子に選択させる。そう決めた」
その言葉が予想外だったのか、コスギが一瞬硬直する。
丁度いい頃合いだった。
「ソラ、頼む」
「わかった」
どんッ、と後ろから大きな音がした。
続いて子どもの短い悲鳴。
ぼくから見て斜め奥に設置された姿見からは、顔の向きを変えずに後方の様子が確認できる。
後ろでは、ソラが自分より小柄なミレイを蹴倒して馬乗りになり、ケントの首を腕で固めて引きずり倒していた。
その反対の手には、小さな手には少し不似合いな大振りのナイフが握られている。
あの子は大人は駄目だが、子どもであるなら触れることにそこまで抵抗はない、という新発見を本人から聞いていた。昨日のことだ。
だから、それを踏まえて彼女も作戦に組み込んだ。
しかし最悪1人で良かったのだが、まさか2人とも拘束してしまうとは。
眼帯の付いていないほうのソラの目が、ぼくとコスギへと真っ直ぐに向けられている。
ケントの首にソラの刃が近付くと、相対的にぼくの首に当たるナイフに込められていた力が緩んだ。
「それでコスギ、あんたはどうする?」
ようやく、まともに話ができそうだ。
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