アノニマス・データ 1


 経験から学べなければ、愚者にもなれない。



 ♢♢♢



「ソーラ、そっちの荷物を見せてくれ」

「わかった」


 言って、ソラが持っていた買い物の荷物を預かるために立ち止まる。

 ぼくとソラの歩みが止まる。


 いや、違う。


 他にも数人、足を止めた人間がいる。

 ぼく達よりも後方だ。


 こちらが道を曲がるたびに、早足になって近付く足音。

 逆に真っ直ぐな通りに差しかかると、途端に早足はゆっくりとしたものに変わる。

 それが、複数。


 正確な人数を知りたい。

 もう一度、何か適当な演技をしてどこかで立ち止まり、再度チェックをする必要があるだろうか。


 ……いや、ダメだ、繰り返すと疑われてしまう。こちらがまだ気付いていない、と相手が信じこんでいることによるアドバンテージが消えかねない。


 ここは断定で進めることにした。

 ぼく達が複数の人間に追跡を受けているという、断定。


 人数は3人から5人ほど。それより多い人数は尾行に適さないだろうし、少なければそれで良い。


 相手が予想通りの人間であるなら、相手の目的を推測したうえで、ぼく達の先の道に待ち伏せを用意している可能性は少ないと考える。

 加えて、この辺りの詳細な地理情報は知らないはずだ。


 どうする、とソラが目で訴えかけてきていた。

 察しの良いこの子は、既に後方の気配に気付いているのか。それとも、ぼくの様子の変化に気付いていたのか。


「幾つか野菜を買うのを忘れていた」


 しゃがんで、彼女の持っている買い物用の布袋を覗き込む。

 他の位置から見ると、そう見えるような体勢になった。


 この距離ならソラとぼくの顔の距離は近くなる。周りに聞こえない程度に会話の声が小さくなるのも、いたって不思議ではない。


「ソラ、その角を曲がったらいったん早足で、かつ足音を立てないようにぼくの後ろからついて来れるか」

「もんだいない」

「判った」


 立ち上がって、ソラの荷物を受け取る。

 声の大きさを元に戻す。

 

「ソーラ、いったん家に戻ってからまた急いで市場に買いに来よう。一緒に来るか」

「いく」

「なら行こう」


 麦わら帽子が縦に揺れたのを見て、間髪いれずに急ぎ足で進み始める。


 角を曲がって、さらに速度を上げる。

 ソラが出せる限界程度の速度。


 さらにすぐ次の角を曲がった時に、交差点側の手近な廃墟に侵入する。

 元々一軒家だったその家屋の2階に上り、外を見下ろす。


 外は夕方、オーロラが夕焼けの中で存在感を増し始める時間。

 現在は西プラントの調査を開始してから4日目、その帰り道。


 市場からはだいぶ距離があるため、この区域はもうかなり人の往来が少なくなってきている。

 曲がった時も、通りの人間はぼくとソラのみだったほどだ。

 相手の尾行が襲撃に変わるとしたら、この辺りからだろう。


 窓から見ると、1つ前の通りを3人の男が走ってきたのが見えた。


 かなり慌てている。

 気がはやっているのか、もう既に各々の持つ刃物を取り出して手に握っていた。

 他2人はナイフだが、持っているのが小型の草刈りガマである1人は何かの冗談なのだろうか。


 一応、彼らには情報を2つ与えている。


 ぼくらが急いでいたということ。


 そして、また戻ってくるということ。


 案の定、彼らはそれぞれ分かれて探すことになったようだ。

 しばらく辺りをしらみ潰しに探しても帰るぼく達の姿を捕捉できなければ、また集合して1つ前の角辺りで待ち伏せを仕掛けるという算段だろう。


 1人がこちらに来ている。

 カマを持った1人だった。


「あれが近付いてきたら、ぼくは外に出る。すぐに戻ってくるが」

「わかった」


 麦わら帽子を外して胸元に抱き寄せていたソラは、頷くと足元の買い物袋を見た。

 ボロボロになったフローリングの床に、横倒しになった手提げ袋が夕日を浴びている。


「荷物を頼む」

「わかった」

「ただ、1本だけカブを貰っていく」

「かぶ」

「ごめん。少しおかずが減る」


 カマのやつが近付いてきたこと、そして他の2人の姿がその近くにないことを確認し、階下に降りる。


 そいつが家の横を通り過ぎようとした時、ぼくは扉の無い玄関から外に出た。


 辺りを見回していたそいつがこちらを向いたのと、ぼくが手に持った野菜を振り上げたのが奇しくも同じタイミングになる。

 そいつの顔の正面には当たらないように、葉を握ったカブを頭頂に向かって打ち落とした。


「がっ」


 男の口から空気が漏れ、ぼくの側に倒れこんできた。


 相手の状態はというと、まだ悶絶している程度だ。

 ブラックジャックの要領で使ってみたが、やはり野菜は野菜、相手より先に武器が砕け散ってしまった。


 この場で叫ばれても困るため、相手の首に腕を回して抱え上げ、勢いをつけて側頭部を玄関にぶつけておく。


 ごづっ、と玄関の木枠に当たった頭が音を立てた。

 男がくぐもった苦悶の声を発し、手にしていたカマを取り落とす。


 抵抗が弱まったところを引っ張って家の中に運び込み、さらに首を絞めたまま2階へ引きずる。

 窓から身を乗り出していたソラがこちらに気付き、駆け寄ってきた。

 やけにタイミングが良い。まさか、ぼくが殴りかかった瞬間も上から見られていたのだろうか。


「ソラ、悪いが1階の玄関に落ちてるカマを拾って、砕けた野菜を家の端に蹴って追いやっておいて欲しい」

「わかった」

「人が来そうだったらカマの回収だけで大丈夫だ」


 既に階下に走っているソラに後ろから注意をして、ぼくは絞めたままだったやつを床に落とす。

 持っていたナイフを抜いて上に乗った。

 そうしてマウントを取った姿勢で見下ろす。


 男はぼくと同じか、多少上下する程度の年齢くらいか。

 背は少し低めなものの、刈り上げた頭に意思の強そうな目、そしてがっしりとした体格は、いかにも日々を力仕事に従事しているといった風体だ。


「なぜ尾行し、かつ刃物を構えていたのか訊かせて欲しい。叫ぶ必要はない」


 変なマネをされる前に、首に刃を沿わせる。

 一応これでも研いであるのでそれなりに切れるほうだ。首の周りをぐるりと這わせると、赤い軌跡が皮膚の間から薄く浮かび上がった。

 相手の顔が酷く歪む。


「い、いて、なっ」

「質問の答え以外のことを話した場合、さらに深く刺して一周させる」

「か、は」


 まあ、声帯やその周りの筋肉を傷つけるほど深く切るつもりはないのだが。

 逆に言うなら、そこまで達しない程度には切っても構わないだろう。


 さて、どれだけ情報を取り出せるか。

 どうせ正直に話す気なんてないだろう。

 こういう手合いは、身内を守るために口が固くなるものだ。


 演技や交渉といったものはどうにも苦手だが、やるしかなさそうだ。


 相手の目を正面から覗き込む。


「最初に、あんたの所属を教えて欲しい。黙っていても得にはならない」

「…………」

「そうか、コスギの所の『農家アグリ』か。次はあんたの名前を聞かせてくれ」

「…………」

「なるほど、ヒラノという名前か」


 彼の目が見開かれる。

 これまで受けたダメージによる恐怖に加え、疑問の色が混じり始めているように見える。


「次だ、さっきの尾行の目的は」

「…………ッ」

「横を向くな、こちらの目を見ろ。そうか、コスギの調査に関する件で間違いなさそうだな」


 さらに目を覗き込む。

 血とカブの汁の臭いがする。


「だが、一体何を警戒したんだ? 時期を外れた調査だったが、何かまずいことでもあったのか」

「んなっ…………」

「んな? そんなものはない、と言おうとしたのか? しかし、あんたの目は幾つかの植物の違法栽培をしていると言っているが」

「はぁ……!? な、なんだよお前!?」

「しかも外のプラントで栽培していて、その場所まで教えてくれるのか。話が早くて助かる」


 口を開閉している。

 この距離で声が届かないということはないから、ただパクパクと動かしているだけなのだろう。


「なるほど。あんたがそこまで丁寧に教えてくれるなら、あえてコスギの義理の息子を外で襲う必要はなかったか。あんたの証言は、重要な証拠として記録に控えさせてもらう」


 一方的にそう言葉を畳み掛ける。


 彼の目は既に限界まで見開き、眼球は憔悴から焦点が定まっていなかった。

 ようやくこちらの発言の意図に気付いたらしい。


 なるべく高圧的になるように話を続ける。


「ま、まてよ」

「早まったな、そちらはただ調査員に絡んで少し脅そうとしていただけなのかも知れないが、あんたが捕まったおかげでようやく処理に踏み切れる」

「待てよっ!」

「これを通達したのち、コスギ以下の『農家』は全て『フォース』の治安維持局に処理される。調査員への威嚇妨害も含めて罪に問われる」

「あ、あぁ……っ! 頼む! 待ってくれ!」

「頼む必要はない。少なくとも、あんたはここで終わらせておく。証言は得られた」

「違う! コスギじいさんは何も言ってねえ、オレ達が勝手にやったんだよ!!」


 ようやく話してくれるようだ。


 襲撃の人数を訊くと3人だと答えが返ってきた。こちらが確認した人数と相違ない。

 この後の話は多少信用が置けそうだ。

 

「オレ達3人がやったんだ! じいさんはむしろ止めてたんだよ! だからっ」

「判った。だが、麻薬原料の栽培は事実だ。彼らも例外なく裁かれる」

「裁くって、そんなモンじゃねえだろ! お前らがやるのは、ただ罰だっつってオレ達をもっと酷え奴隷扱いにするだけじゃねえか! アキタにやったお前らの仕打ち、忘れてねえぞ!!」


 呻くように彼が嗚咽し、小さな声で叫ぶ。

 過去にあった『軍』の検閲を間近に見ていたとか、その辺りだろうか。


 横目でソラを見る。

 かなり前から戻ってきたのは知っていたが、今は窓際でこちらと外を交互に見ているようだ。

 見張りをしてくれているらしい。

 手に持ったカマをぷらぷらさせている。


「知らないな。その時の嫌疑も違法栽培だったのか? どちらにしろ、今回も同じような処理がなされるだろう」

「ふざっ、ふざけんなよ……! ハメやがって……!!」


 ぼろぼろと泣いている。

 雰囲気からして、傷の痛みからではなさそうに見える。


「何がなされるだろう、だよ、他人事みたいによぉ……。何が『農家アグリ』と『集合体コミュニティ』との雇用契約だっ、じいさんがどんだけ苦しい思いしてた、かっ、知らねえから言えんだよ、お前はっ」

「そうか」


 その言葉がどんな意味合いなのかはいくつかの推測ができるが、そのどれにあたるのだろうか。


「なあ、頼むよ……。おかしいだろ、こんなのっ……! た、頼む……! せめて、他のやつは見逃してくれよっ!」

「尾行していた残りの2人か。それは難しい」

「そうじゃない、もっと関係ないやつらだよ……! せめてじいさんのっ、ガキどもは見逃してくれよっ」


 もうこの場で訊くことは大体終わっただろう。

 内容は気になるが、あまりここにずっと居続けるのもまずい。

 他の2人が来ないとも限らない。


「この場の尋問を終了する」


 ナイフを持ち上げ、泣いている彼の頭頂へと振り下ろす。


 夕飯まではもう少し時間がかかりそうだ。

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