建前と建前と本音 2


「こちらをどうぞ、粗茶ですが」


 祈りは届かなかった。


「わざわざここまで出向いて下さるとは、ご足労おかけしました」


 目の前のテーブルに、褐色の液体が入ったグラスが置かれる。

 どうやら麦茶のようだった。


「近くで大麦を育ててるやつに貰った品物としては使えない種を焙煎しただけですがね。さすがにただの水を出すわけにもいかんでしょう」

「……ご丁寧に、どうも」


 目の前の壮年の男、コスギ氏が勧めてくる。


 あれよあれよという間に連れて来られてしまったのは、例の畑の隅に建っていた一軒家。

 多少改築がなされ、夜間用の鉄板やアルミを取り付けたその家は、一寸の違いもなくコスギの家だった。


 全くの祈り損だった。

 あの自称天使、帰ったらどうしてくれよう。


「大麦はまだ試験栽培で数も少ないから、珍しいでしょう。そちらはお子さんですかな?」

「ああ、いや」


 ソラは隣の席に座り、出された麦茶の辺りに視線を固定している。


「この子は預かり子です。アパートの隣の夫妻が病で亡くなったため、数年前から一緒に暮らしています」

「そうですか、それは大変失礼しました」

「いえ、お気になさらず」


 ソラの外向きのプロフィールとして用意していたのが、今の説明だ。

 ソラが『集合体コミュニティ』に入ってすぐにススキが考案したそれはやけに設定にこだわっており、銀髪で色白な人が多く居そうな国の人名に似せた“ソーラ・クローリコフ”という偽名すら決まっていた。


 それはさておき。


「事前に通告がなされていたと思いますが、本日は『農家』の統計調査のために参りました」

「おや、そうなのですか? ウチにそんな知らせ、来てたかどうか……」


 ちょっと家内に確認してきます、と言って立たれそうになったところを止める。

 もちろんそんな通告など存在しない。


「いえ、こちらこそ申し訳ございません。恐らく、治安維持局の伝達不足でしょう。連携の取れていなかったこちらのミスかも知れません」

「はあ……」

「ただ、日を改める程のスケジュールに余裕がないのも事実でして。可能ならば、簡単な世帯数や家族構成、土地面積のみでも確認させていただければと思います」


 今、少し悩むそぶりがあったな。


 ただ誰しも大なり小なり、生きるための蓄えを作るなどといった切実な理由で多少の違反をしている可能性はある。

 理由は単純で、『軍』が保証する暮らしは本当に必要最低限のみだからだ。


 まあ、ぼくもそれを知っていて『軍』の治安維持局の名前を出したのだが。

 彼を少しでも身構えさせ、怯ませることができただろうか。


 だが、身構えさせたままではよろしくない。

 場が硬直する前に、こちらから和らげようと思う。


「……とは言え、いつもの統計調査とは時期もずれていますし、『図書館ライブラリ』としても唐突に予定外の依頼が入ったため少々面食らっていた次第でして。お陰でスズキではなく、私が駆り出されてしまいました」

「そうなのですか? それは、大変ですな……」

「ソーラ、ああ、この子が野菜がっているのを見てみたいと言うので。もしコスギさんがお留守であれば他を色々景色を見せて帰ろうと、それくらいのつもりで来ていました」

「ははは、なるほどサトミさん。上から押し付けられて大変なのはどこも同じと、そういう事でしょうな」

「ええ」


 こちらが相手にとって話の通じない人間ではないと、そう思わせることが出来ただろうか。


 というよりも、こういった言い方をするしかなかった。


 高圧的に進めて良いのであればもっと手早いやり方があるが、今はソラがいる。

 相手は自覚していないだろうが、こちらはソラという人質を抱えてしまっているような状態だ。

 話がこじれて暴力沙汰になったり、ソラ自身に悪意が向くようなことは避けなければならないからこその、今行なっている交渉だった。


「野菜を見たい、ですか」

「みたい、です。じゃがいも……いがいにも、ありますか?」

「ええ、色々ウチは育ててますよ」


 ソラも口調を敬語に切り替えていた。

 話のダシとして使ってしまったようで少し後ろめたかったが、それでも話を上手く合わせてくれている。


 ……しかし、ソラの話の方向の持って行きかたが、限りなくぼくの望んだものに近い。

 まさか、今のこちらの意図まで精確に把握できているのだろうか。さすがにそれはあり得ないだろう、と思うのだが。


「まあ、この子もこう言ってまして。私も勉強がてら、教えていただくことはできないでしょうか」

「そうですね、構いませんよ」

「ありがとうございます」

「ただ、知っての通りウチは一応、この辺りの取りまとめや税の支払いなどを代表していまして。全部見て回るとなると、それなりの時間が掛かってしまいますがよろしいでしょうか?」

「どれぐらい必要でしょうか」

「申し訳ないのですが、昼過ぎのこの時間からとして、1日に3、4時間使うとしても、大体5日程は時間を見ていただいた方がよろしいかと……」


 なるほど。

 元からこのプラントが広いのは知っていた。ならば、それぐらいの時間も必要になるだろう。


「それで問題ありませんよ。この子も興味を持ったことには時間を忘れて取り組んでしまうたちでして。むしろ、お仕事のお邪魔でないかとこちらが心配です」

「最近はウチの若い者に任せっきりですからな、私は時間が余ってますよ」

「それは安心しました。もし、午前から見させていただけるのなら……ああ、申し訳ありません、私の方の都合が合わないのを失念していました。この子の勉強の時間もありますし」

「おべんきょうの、じかん」


 ソラと目が合うと、こっくり頷いてそう言ってくれた。


「本当に勉強熱心な子ですね。お幾つですか?」

「8さい、です」

「それぐらいの歳で野菜のなっている様子にまで興味があるとなると、ウチの聞かん孫よりも『農家アグリ』向きかもしれませんな」

「恐縮です。お孫さんがいらっしゃったんですね」

「ウチのは10歳ですけどね。取り柄としては、こんな世の中でもやかましいくらいに元気に生まれてくれたことぐらいですかねえ」


 コスギは目尻のシワを深くして、両手で持った麦茶をすするソラを見ている。


 ぼくの方は手を付けていないが、ソラの方には隙を見て許可を出しておいた。

 小さな子どもまで慇懃にふるまわせる必要はないからだ。


「そうだ、ウチの孫も畑の方に連れて行っちゃあくれませんか?」

「お孫さんを、ですか?」

「ご迷惑をかけるようならすぐに追い出しますので。近くに通っている学校はありますが、ソーラちゃんのような賢い子と話すのはあの子にも良い刺激になるかもしれませんから」

「もちろん構いませんよ」


 話がまとまり、彼がまとめている『農家』団体の世帯数などの簡単な口頭での質問を終えてから外に出た。


「なあ、おまえなんてーの? 外人?」

「そーら・くろーりこふ、です」

「うわ、マジ外人じゃん! すげー!」

「そちらの、おなまえは?」

「オレ? ケント! ケントのケンの字はこうで、トはこう書くんだ、知ってるか!?」

「わかっ……わかり、ました」


 様々なイレギュラーは発生したし今も継続しているが、ある程度はコントロールできている。


 今は外で、家の隣にあったジャガイモ畑の測量を終えたところだ。


 とは言っても大したことはしておらず、現存するメジャーをススキから借りてきていたため、それを用いて畑ごとの面積を測り、株の配置や生っている実の個数をまとめているだけだ。


 時間は多少かかるが、必要なところはコスギが説明してくれるお陰ですぐにジャガイモの区画は終わった。


 まあ、実際はこの作業に意味はないのだが。

 後で『図書館』に提出したら活用してもらったりできるだろうか。


「では、次は近いところなら、ヤマシタ君の所のトマトですね」

「よろしくお願いします」


 コスギはこの区域のまとめ役であり、その下に付いている『農家』達は、彼を通して外部の組織とやり取りをしているというのは説明にあった通りだ。

 グループを形成させたうえで、リーダー以下グループ内は連帯責任、グループ外とはあまり交流を持たせないように設定。

 バラバラに各『農家』を相手にするのではなく、縦の流れを作ることで負担を減らそうという『フォース』の統制の意図が透けて見える。


「おまえ、なんで長袖着てんの? 暑くねーの?」

「さむがり、だから」

「へー、色白いし氷みたいだし、冷たそうだしなー」

「…………そんなかんじ、です」


 ソラ、こっちを見るな。

 もう少し付き合ってやってくれ。


「ははは……申し訳ありません、あまり礼儀や気遣いといったものを知らないもので……」


 コスギも苦笑いしていた。


 まあ、子どもの他愛ないやり取りですから、と伝えておく。

 こんなところでターゲットとの関係を悪くする必要はない。

 すると、ソラとあれこれ話していた彼が今度はこちらにやって来た。


「そーいや色違うけど、ソーラの父さん?」

「いえ、ソーラは知人から預かっている子です」

「こらっ、ケント!」

「わっ、じっちゃん! いきなり怒るなよ!」

「すみませんね、お騒がせして……」


 コスギが慌てて頭を下げさせている。

 日焼けしたすきっ歯な少年は、何を怒られているかも理解していない様子だった。


「いや、子どもは元気なのが一番です。ソーラにも見習わせてあげたいと思います」

「そう言っていただけると助かります」

「まあ、父さんにしては若いしなー」


 判っているのかいないのか、ちょっとズレたコメントを残したのちにケントは、またソラの所へ戻っていった。


「目に付けてるそれは?」

「がんたい」

「なんでそんな物付けてんの? 暗くね?」

「ものもらい」


 それからしばらく4人でプラントを歩いて回り、日が沈んできたタイミングで作業を終えた。


 コスギとケントと別れ、ぼく達は『集合体』の中央を経由して北に、自宅へと歩いて戻った。

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