蓄積される消費 1


 石器が主流の時代があった。

 鋼鉄が主流の時代があった。

 原子力が主流の時代があった。


 今は主流は廃棄物になった。



 ♢♢♢



 家に戻ると、ドアを開けてくれたソラが開口一番に言った。


「おかえりなさい、おにーちゃん」


 ぼくは硬直した。


「ごはんにする? おふろにする?」


 棒読みのソラのセリフは続く。


「それとも、ス、ス、キ?」

「……食料は備蓄が心許ない。買う必要がある」


 そして、湯が出るような風呂はここから多少歩いたところの共同浴場に行かなければならないし、入浴料も気軽には入れないくらいに高い。

 普段は男女問わず、適当に近くの川の水場で身体を流して済ますのが常識だ。それも、数日に一度程度の頻度だが。


 食事も風呂も無ければ、選択肢は1つだ。

 出迎えてくれたソラを促して部屋に入り、そしてぼくの部屋に座っていたやつの所へ向かった。


「サトミ! よし来い、私はいつでもいいぞ!」


 そう言われたので、遠慮なく首を絞め上げた。


「ぎにゃぁぁああああ!!」

「おいススキ、ソラになんてこと教えるんだ」

「ぎぶっ!! ぎぶっ!!」


 手を離すと、ドサっと床に落ちた金髪の下手人が荒く息を吐く。

 上目遣いでこちらを見てきた。


「ソラは妹ではなく同居人だ」

「いいじゃん! そういうの好きだろ!?」


 何事もなかったかのように机の一辺に座ったソラが、不思議そうにこちらを見ている。

 ソラの前に本が置いてあるのは、読みかけだったということだろうか。


「あまり変なことを教えないで欲しい。ソラがススキみたいになったらどうするんだ」

「天使が2人もいるなんて、やったぜ、まさに天国じゃないか!」

「生き地獄だ」


 自分の両側でそれぞれ好き勝手な言動を浴びせてくる2人のススキ、という光景を想像した。

 寒気が止まらなくなった。


「な、なんて言い方するんだよサトミ……。私はサトミが喜ぶと思ってっ、かわいいお茶目が出てしまっただけなのに……っ!」

「なかないで、てんしさま」

「そ、ソラはぁ……優しいなぁっ……!」


 ぼくの持ち物であるボロい机に突っ伏して肩を震わせるススキと、よしよし、といった様子でススキの背を撫でるソラ。


「それもソラに教えたのか?」

「あ、やっぱり判るかな?」


 すぐにススキの顔の位置は元に戻った。


「頼むから、もっと役立つことを教えてくれ」

「おや? この机、意外とサトミの香りがするな。なるほど、盲点だったな。今度使おう」

「聞いてくれ」


 全く反省する様子もなく机に鼻を寄せていた自称天使は、顔を上げるとぼくを怪訝そうな目で見た。


「おい、サトミ? その傷はどうした、まさか『フォース』にやられたのか?」


 1人で立っているのも締まりが悪く、自分もテーブルの適当な位置に座る。

 掃除はしているが、そこまで臭うだろうか。


「言いがかりで絡まれたところを、サクラに助けられた。その時の傷だ。サクラが来なければさらに酷いことになっていた」

「なにっ、あいつに会ったのか!? あの、雌ギツネに!?」


 ススキの眉間が釣り上がり、机から乗り出すようにしてこちらに詰めよってくる。


 いや、雌ギツネってなんだ。

 ぼくはサクラの、にへらっとした締まりのない笑顔を思い出した。

 そして、外に向けて取り繕っている時の冷厳な表情を思い浮かべた。

 どちらも、雌ギツネという印象にしては不適切なように感じられる。


「そんな言い方はないだろう」

「いーや、あの女はそうやってサトミにすり寄って籠絡し陥れようとしているんだ! 許さん! たとえ誰が許しても私が許さんっ!」

「籠絡なんてされた覚えはない。まあ確かにサクラにはぼくから情報を提供しているが、こちらも向こうから情報は得ている」


 そして、様々な要素からお互いの情報にフェイクが混ざっている、あるいは混ぜられている可能性ですらそれぞれ承知の上だ。

 一応それは取引としてはフェアな関係だとぼくは思っていた。というか、今も思っている。


「ノンっ、違うっ! そうじゃない!!」


 しかし、ススキには何かしら気に食わない部分があるようだ。

 『軍』と立場の異なる情報源となり得る『廃品回収スカベンジャー』であること以外に自分に利用価値はないはずだが、他に何かサクラが籠絡なんて行う理由があるのだろうか。


「うぅー……。いいかサトミっ! 次に何かサクラがおかしなマネをしてきたら、あるいは万が一にでも君を『軍』に勧誘してきたりなんかしたら、君はあいつにビンタかまして『自分には家で帰りを待ってる金色の天使がいるんだ、このブタ野郎ッ!!』って一蹴するんだぞ」

「ススキおまえ、その、潔いくらいサクラのこと嫌ってる理由はなんなんだ?」

「もし君が『軍』に入るとか言い出したら、私は『図書館ライブラリ』ならびに懇意にしてる『農家アグリ』達を煽りに煽って総力戦をおこしてやるからな! ついでに適当な『廃品回収(スカベンジャー)』のグループも煽って巻き込むことをここに誓う!」

「やめろ、それは本当に『集合体コミュニティ』が滅びかねないぞ」

「天使たるもの滅びのラッパの1つや2つ持っているものさ」


 恐ろしいくらいにネジの飛んだ狂言をススキがのたまい始めた。

 最も恐ろしいのは、こいつにはそれが不可能ではないかもしれない、という底の知れなさがあることだろうか。


 ススキとサクラは面識もあり、お互い知らない仲ではないが、ともかくそりが合わないというか相性が悪い。

 会うたびに険悪な様子で、このススキの謎の拒絶反応もその一端だ。


 いや、そもそもぼくが『軍』に入ることなんてありえないだろうに。


「ススキ、ぼくみたいな『廃品回収』は『軍』から敵視されてるのは知っているだろう。サクラの考えがどうかは判らないが、少なくともここを離れる予定もない」

「そうかそうかっ、それは、良かったっ……!!   ……ところで、その言葉には私へのプロポーズ的な意味合いが?」

「全くその意味合いはなかった」


 そうだ、ぼくが今ここを離れることはあり得ないだろう。

 なぜなら、今はこの白衣の変人だけではなく、新しい同居人もいるからだ。


 幸運なことにソラはススキの暴走に巻き込まれず、テーブルの反対側で何やら分厚い本を広げていた。

 ススキの私物である本の1つだ。

 ぼくの隣の彼女の自室には、こういった保存状態の良い書物が山のように置かれている。


 何をどうしてか、悲嘆にくれたような恨みがましい雰囲気を醸し出すススキの視線を避けるため、熱心に本を見ているソラと話をすることにした。


「何の本を読んでいるんだ?」

「ずかん」

「見たところ、動物図鑑か」

「どうぶつずかん」


 来てすぐにこうなるのは想像していなかったが、実はここにソラを連れてくることにはこうした意図もあった。

 つまりススキの蔵書を借りることで、この子に知識を付けてもらうという狙いだ。


 『災害後の子ども達アフターマス・チルドレン』であり、かつ人生のほとんどを『略奪者レイダー』の中で虐げられてきたこの子には、まだ足りないものが多い。その最たるものが知識だ。


 『集合体』で生きるにしろ、何をするにしろ、ソラがこの世界で1人生きていくには現状厳しいものがある。


 この子は生きたいと言った。

 だからぼくは、生きるための知識をこの子に渡す必要がある。


 ……それが、ススキへの貸しになるとしても。


 そこまで考えが及び、今さらながら不安が鎌首をもたげたが、今は構わない。

 あとでぼくの意図に気付いたススキがどんな貸しの返しを求めてきても、甘んじて受け入れるしかないだろう。


 そうして考えごとをしている間も、ソラは手に持った図鑑を眺めていた。

 図鑑のページをめくりもせず、ずっと一箇所を真剣な顔つきで見ている。


「そこには何が書いてあるんだ?」

「いぬ」


 反対側から覗き込むと、こちらにも本が見えるように傾けてくれた。


「犬か。野犬の話はした気もするが、ソラの見たことのあるやつは載っていたか?」

「ない」

「サトミ、今残っている犬は大体が交雑種になって、なおかつ世代交代時に変異を受けた個体も多い。昔から生き残っている個体でもない限り、かなり外見は変わってしまっているだろう」


 そういうものか。

 まあ、仕方のないことなのだろう。


 それを聞いても、ソラはまだ図鑑を読み進めようとしない。

 ずっと犬の項を見ている。


「……他の動物は見ないのか?」

「ほか?」

「犬以外にも動物はいる。この界隈で見られるのはあまりいないが、多少ならペットとして飼われている動物もいるだろう」


 猫や小動物は、『集合体(コミュニティ)』内で飼育もされていたはずだ。

 ただし、余裕のある人間しか飼うことはできないが。

 そして、その余裕というものはほとんどの人間が持っていないものだった。


「サトミは、どうぶつ?」

「え? ああ、まあ……」


 いきなりの質問に面食らう。

 その隙に、隣のやつが答えてしまった。


「サトミは人間だな、ただし『野良犬』でもあるのが面白いところだ」

「のらいぬ。さかうりもいってた」

「お、もうタニヤさんから聞いてたんだな?」

「にんげん、どこのページ?」

「人間は動物図鑑には載らないんだ。気になるなら、今度それっぽいのをまた貸してあげよう」


 そういう本も持ってたのか。

 その本はぼくも気になる。


「ススキ、どのような本なんだ?」

「昔の保健体育の教科書だ」


 …………いや。


 いや…………正しい、のか?


 しれっと言ったススキは平然を装っているが、実際にその場はぼくも立ち会うというか、監視する必要があるかもしれない。

 しばらくはやつの動向に留意しておこう。

 目を離した隙に、ソラにヘンな言動が感染していたなんて事態になれば、非常に困る。


「それならさ、ソラや、ソラ君や。その図鑑の中ではどんな動物が気になった? どんなのが好きかな?」

「すき?」

「あ、これいいな、とか思ったのはどれだい?」

「いいな? いいな……」


 ソラは動物の候補というよりも、好きや、良いなという言葉の意味について考えているように見えた。

 しばらくして、1つを指差す。


「いぬ」

「ありゃ、結局それになるのか。理由を聞いてもいいかな?」


 本の中でもまだそれしか見ていないなら、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。

 そうぼくは結論付けたのだが、ソラにはきちんとした理由があるようだった。

 図鑑から目を離さず、ただ小さく頷く。


「いぬは、ゆうしゅう」

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