スカベンジャー 2



「いやしかし、早い帰りだったな! よかったよかった、いやマジで!!」


 言葉の全てに濁音が入っているようなダミ声で、ドアを開けた男が笑う。


 笑い声すら地鳴りのようなその大男は、ぼくの背丈よりも10センチではきかないくらい背が高く、そして筋骨隆々としている。

 40〜50代ほどの年齢のスキンヘッドで、身体は何を塗ってるんだとばかりに朝からテカテカと油光りしていた。


「俺が廃品集めから帰ってきたらサトミがまた『フォース』のバカ共の命令で外に同伴させられたって聞いてな、どうやって『軍』の基地に火ぃ付けようかってここの皆で昨日考えてたんだぜ?」

「いや、ダメだろう」

「最終的にゃ、全員一致でペルキの持ってる一尺玉花火をあいつらの基地の食堂辺り目掛けてこっそり投げ込むことに決定だった!! ぐわははははッ!!」

「それはペルキが捕まるだけだ」


 本当にやめてあげてくれ。


 早めに帰ってこれて良かった、と色々な意味で少し安堵していると、笑っていた大男の動きが突然止まった。

 朝から建物の掃除でもしていたのだろう、額に浮かべた汗を薄汚れた半袖の作業着で拭い、そして目を擦る。擦った後、目は大きく見開かれた。


「おっ、おっ、お前! 後ろの嬢ちゃんは!?」

「名前はソラ。『フォース』の任務に同行させられた先で『略奪者レイダー』の拠点を制圧し、捕まっていた彼女を救出した」


 経緯を至極ざっくりと伝える。

 事実は少し異なるが、まあ問題ない。

 ソラはというと、目の前の光るマッチョが怖かったのか、ぼくに触れないようにしつつも後ろにぴったりと隠れるという器用なことをしている。


「いや、そんなら一緒にいた『軍』のヤツらが確保しちまうんじゃ……? まさかわざと連れてきて泳がせて、ここを『軍』と結託してふん捕まえちまおうってえオトリ作戦か!? んにゃろうサトミ、お前見損なったぜ!!」

「いったい何を言ってるんだ」


 曲解にしても酷すぎだ。


「制圧の際に、ぼく以外の人員は殺された。この子は自分が預かったほうが良いと判断したから連れてきた。あと身体を洗わせて欲しい。ぼくも、ソラもだ」


 慣れてはいるが、乾いた血が肌にこびりついている感触は結構不快なものだ。

 ソラはどうかは知らないが、とりあえず身体を洗っておくことに損はないだろう。


 区域内に幾つかの河川を保有しているため、水を手に入れるのが容易という点では『集合体コミュニティ』はとても優秀だ。

 ただし、あまり飲み水としては適していないが。そちらを手に入れるには多少の手間が必要になってくる。


「お前以外全員死んだぁ!? そりゃ、ホントに大変なことやらされてたんだなぁ! ……判った、とりあえず今はその汚ねえのを取らねえとな! 俺がサトミも嬢ちゃんもまとめて洗ってやるッ!」

「やめろ、変態」


 ぼくは身体を洗われる年齢なんてとうに過ぎているし、この子はもっとだめだ。そんな光景を他の人間に見られれば、前の時代であれば普通にこの大男は通報されるだろう。


「そうか? じゃあ桶と水、あんま白くねえタオルでも持ってくるわ。お嬢ちゃんもそれで良いよな?」


 僅かに慣れたのか、ぼくの横からにゅっと帽子とサングラスが出てくる。


「わかった。……ソラ、です」

「おう、俺ぁ『フック』のサガイだ!」

「ふっく?」


 威勢良くのしのしと歩いていったサガイ。


 それを見送りながら、後ろの子の視線に応える。

 少しは説明したほうがいいだろう。

 急な話に多少の戸惑いが見えた。


「ソラ、ここはぼくの所属する『廃品回収スカベンジャー』のグループの拠点だ」


 黙ったまま、話の続きを促すようにサングラスの視線が揺れる。


「バッグに詰めてきた物資、ああいった物を『集合体コミュニティ』の外から集めている。それが仕事……みたいなものだ」


 正直、仕事というわけでもないし、それだけが『廃品回収スカベンジャー』の全てでもない。


 『集合体』の中の職業として認められている、『フォース』や『図書館ライブラリ』や『農家アグリ』とは違い、そもそも『廃品回収スカベンジャー』なんて職は存在しない。

 自分たちや一部の他人が、他と区別するためだけにそう呼んでいるだけだ。


 そんなことを、かいつまんでソラに説明する。


「……わかった?」


 内容を全て判ってもらうにはやはり難しかったようだが、今はざっくりとした理解で問題ないだろう。

 『廃品回収』とは、要はまともな仕事ではない、それだけ把握してもらえれば充分だった。


 サガイはほどなくして戻ってきた。

 手ぶらで。


「あんたはガサツだからやめろってかあちゃんに怒られちまった」

「同情はする」

「……かあちゃん?」

「俺のカミさんだよ。んぉおーーい!! まだかよーーぉ!?」


 建物がビリビリ揺れそうな大声を出したサガイに向けて、フリスビーのようにタライが飛んできた。

 油光りする頭に巨大な鉄の桶がぶつかり、双方ともに大きな音を立てて床に崩れ落ちる。


「んぐあぁぁっ」

「アンタ、うるさいよっ! ごめんねぇサトミ、帰ってきた途端こんなのにまとわりつかれて」


 タライの出どころは彼女だ。

 建物の表側の出口からこちらへ来たのは、同年代のサガイよりは小柄なものの、やはり格闘技でもやっていそうな程には体格の良い人物。


「あら! ホントに女の子連れ回してる!」

「その言い方は人聞きが悪くないか」

「よろしくねえ、私はタニヤ。タニヤおばさん、か『酒売り』って呼んでね?」

「さかうり」


 サガイはなぜか表の方に追いやられてこちらの視界から消え、タニヤが残った。

 どこから持ってきたのかぼくとソラの間に仕切りを置くと、ソラの面倒を見ようとするタニヤ。


「じぶんで、できます」

「そう?」

「じぶんで、あらいます」

「偉いわねぇ。……あら、あらまあ、これは確かに、サトミも連れてくるわけだ」


 そう言うと、服を脱いでいたこちらを覗き込む。仕切りの意味はなんだったのか。


 タニヤはなにやら笑顔で親指を立てた。


「良い判断だったね!!」

「…………」


 どう返事すれば正解なのだろうか。


「しっかし、この子お肌キレイねぇ」

「さかうりは、ちゃいろ」

「茶色かー、確かに!!」


 笑い声の大きなタニヤが吹き出している。

 ソラには今度、小麦色という言葉を教えよう。


「ふっく、さかうり」

「んー?」

「さがいと、たにや。なんで?」

「あぁ、サトミ、なんにも説明してないの?」

「まだ来たばかりで、そんな暇もなかった」


 脱いだ自分の服はかなり酷い様相を呈していた。

 乾いた血と脂は余すところなくこびりつき、それ以外に浴びた体液と合わさって赤と黄色のマーブル模様になっている。あれを水桶につければ、たちまち水が使いものにならなくなっていまうだろう。

 ぼくは先に、使い古しのタオルで全身と、そしてところどころ血で固まっていた髪をどうにかすることにした。


「私達は『廃品回収』の中じゃ、お互いの呼び方が名前とは別にあったりするってこと。カッコ悪いあだ名みたいなもの」

「あだな」

「そう。『フック』も『酒売り』もそう。ちなみに、ここが私達のグループの拠点ね。あのむっさいダンナは家計簿も付けらんないから、私が仕方なーくここの管理をやってるのさ」

「……わかった?」

「3階より上では私が密造酒をお求めやすい価格で売ってるよ! 子どもはダメだけど!」


 ならどうして子どもに宣伝するのか。

 それに、大声で密造を誇るのはどうなんだ。


「あだな。サトミは?」

「えっと、それはその、本人の許可を得てからで……」

「いや、どうしてそこで突然許可制になるんだ」

「サトミは?」


 仕切りの向こうから聞こえるはずの声が近くで聞こえ、頭を拭いていたタオルを離す。

 すると、ソラが目の前に来ていた。


 濡れた白髪が細い肩に張り付いている。

 あのデパートではろくに食べていなかったのだろう、痩せ気味の白い肌はところどころ骨が浮いていた。


「『野良犬』、と呼ばれることがある」

「のらいぬ」

「野犬を見たことはないか? 昨日は遭遇しなかったが、都市部でもいくらかの生き残りが野生化して、外で共食いをしたり食料を漁りにきたりする」

「こらっ、サトミ! 女の子の裸見たらダメでしょっ!」


 タニヤに怒られたが、別にぼくが覗いたわけでもないし、まずそんな母親のようにどやされるほど、ぼくとタニヤの歳は離れていない。一周り半ほど下ぐらいだ。


「いぬ。みんなを、れいだーをおそってた」


 過去にあの『略奪者レイダー』のグループも野犬の群れに襲われていたようだ。

 『集合体』も、あのバリケードができるまではかなり野生動物には難儀していた覚えがある。


「かみついて、れいだーをたべてた」

「そういうこともある」

「いぬは、ゆうしゅう」

「うん。優秀だな」


 だからソラ、一旦向こうに戻ってくれ。

 またぼくが理不尽に怒られる。


 ふと目が滑って、ソラの白い腕に古い傷痕があるのを見てしまった。

 今はもう聞かなくなったリストカットなどという言葉を思い出させるそれは、腕の内側ではなく外側に幾本もの線のような痕として残っている。かなり広範囲の傷だ。


 その子はすぐにぼくの視線に気がついた。

 赤と黒の目がこちらを上目に覗く。


「これは、しっぱい」


 昨日も聞いた覚えがある。

 つまり、今は全員死んだ『略奪者』の残した虐待の痕だ。


「死ななければ失敗はやり直せる。あと、ぼくはソラが失敗してもそんなマネはしない」

「わかった」


 判ったのか微妙な応答ではあるが、これ以上ここで話すことに意味はない。

 ぼくはソラを仕切りの向こうに戻してタライの外の水浸しを拭き、この拠点に預けてあった適当な服を着た。


 ソラも廃品拾いでの収穫物であると思われる服を着ていたが、その後ろでタニヤがやけにニヤついていたのが気になった。

 ソラの服は無料で良い、とのこと。

 ここの『廃品回収』グループの物品管理に厳しいタニヤにしては、やけに甘い判断だった。


 回収した武器やら物資やらの大部分を一旦預け、食料だけを持って表に出る。

 昔は繁華街だった通りの一角にある、居酒屋が詰まったビルがこの拠点だ。


 サガイはまだ外に放り出された状態で、拠点の窓の鉄板を張り替えていた。


「ちっ、昨日の風め……。あれ、サトミ! 終わったのかよ!? かあちゃんは!?」

「どうもしない。水も含めて助かった。ありがとう」

「ありがとう、ございます」


 外は朝の10時といったところか。

 ソラも帽子とサングラスを付け、日差しよけを万全にしている。


「いや、いいんだよ! サトミに関しちゃ昨日の夜に皆で、戻って来なかったらどんな墓を建てるかで盛り上がった後ろめたさもあるしな!」

「盛り上がってどうする」

「いやなに、済んだことだ!」


 実際に心配はしてくれたのだろう。

 それが花火と墓というのはなんともここの『廃品回収』らしい雑な話だが。


「ふっく」

「ん? どしたよ?」

「ふっくは、どうしてふっく?」


 お、やっぱり気になっちゃうか、などと言いつつ、サガイはおもむろに片腕を外した。

 実は彼の腕は肘から先が義手で、木で成形した腕を長袖で覆い、グローブを付けて隠している。

 そして、それを外すと。


「ふっくから、ふっく」

「おうよ! これが俺の1番の相棒だ! ……いや、そう言ってっとかあちゃんに怒られっちまうけどな! がはははッ!」


 義手の中には、凶悪な形をした一本の鉤爪が入っている。

 数年前に負傷して腕を腐り落としかけ、それならいっそと腕を切って付け替えたという経緯の代物だ。


 割とその金属のフックと生の腕との接合部はえぐいことになっているのだが、本人はカッコいいなどと満足しているくらいだった。

 『廃品回収』をしているだけあって、サガイも確実に奇人の枠に入れられるだろう。


「ソラちゃん、こいつはロボットみてーな性格したヤツだが悪いヤツじゃねえ、しっかり頼むぞ」

「わかった、ふっく」


 もう何も言うまい。

 というかそんな印象だったのか、ぼくは。


「サトミ、次はどうすんだ? このまま『軍』の報告をバックレるのはまずいだろう?」

「元より行くつもりだった。ただし、あいつにソラを預けてからだ。その後、もう一度ここから出て正面から入り直す」

「あぁ、ススキちゃんな。そういうことなら鹵獲品は適当にしまっておく」

「昼前には戻る」

「昼過ぎにこっち来るならあいつらも皆いると思うが、元気な顔見せてやるとかどうだ?」

「そうなると、どうせ騒ぎになって時間を取られるだろう。全力で急いで戻る、昼前には必ず」


 『軍』が素早い行動を取るとは思えないが、万が一もある。

 齟齬が出ないように、早めに正面ゲートに向かう準備をしなければ。

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