『磁気嵐』の夜に 3



 質素というにも物足りない食事が終わり、特にやることもなくなったぼくは、美容院の店側にあったチェアに背を預けていた。

 動くと激しく軋む。持ち出されなかったのはこれが原因か。

 理髪店には必ずあるチェアの前の鏡は、既に過去の誰かが持ち去った後のようだ。


 ドアはないが壁をまたいだ奥側の事務室からは、ぼんやりとした明かりがこぼれてくる。

 オイルランプは目測だが、入れている燃料分だけでも今夜は保つと思われる。

 あの子には奥のベッドを使ってもらっている。

 文句一つなく従ってくれるあの子は、多分もう寝ているだろう。


 ぼくはなぜか眠れなかった。

 理由を考えてみる。


 肉体的には、今日はそれなりに厳しい作業だったから疲労もしている。

 少し前まで歩き通しでもあったし、体力も消耗しているはずだ。

 だとしたら、精神的な部分が眠りを邪魔しているのか。


 真夜中の外が、一際明るくなり始めた。


 今夜もそろそろ始まるようだ。


 聞こえてくるのは、滝が落ちるような、大きなファンがゆっくりと回るような、あるいはかつての飛行機が上空を飛び去った時のような低い音。

 音が軽い頭痛を連れてやってきた。


 風も強くなってきている。

 窓とドアは固めてある、一晩くらいはもってくれるだろうと信じたい。

 

 やがて外から入ってくるぼんやりとした光は、ぼくがじっとしている間にも赤や黄色、緑とさまざまに色を変えていく。

 周期は一定ではない。突然変わることもあるし、30秒やヘタすると5分程のまばらな間隔で静かに色を変化させていく時もある。


 さらに遠くから、何かが連続して爆ぜるような燃焼音と、遠雷が鳴り始めた。

 前者はここよりずっと北の地域で、後者は東の方の港湾から沖合いの海にかけての地域で頻発している現象によるものだ。

 それぞれ『焼け焦げたスコーチヤード』や『黄色の樹林帯イエローフォレスト』と呼ばれるそれらは、夜になるとさらに活発化する現象として知られている。


 今起きている全ては自然現象だ。

 たった1つの原因を端に発する自然現象だった。


 人間はそれを単に『磁気嵐』と呼んでいた。


 少なくとも、『集合体コミュニティ』の中の住人はそう呼称している。


 8年前のあの日、地上の全ては世界規模の『磁気嵐』に飲み込まれた。

 今もなお成因は分かっていない災害であるそれは、ただ2つの要素に深刻な傷痕を残した。


 その1つが、気象。


 その日に起きた『磁気嵐』は、地球に修復不能な地磁気の乱れを与えたらしい。


 結果、地上や海上では局所的な豪雨や干ばつに地震、『燃え盛る庭』や『黄色い樹林帯』といった異常災害が発生した。


 昼間の太陽の光はより眩しいものになり、加えて大気中オゾン層の部分的な崩れによって、いくつかの地域では太陽光によるガンマ線やエックス線、また紫外線によるものとされる被曝や炎症の被害が表れたとも言われている。


 そして2つめが、電子機器。


 まず破壊されたのは、通信設備だった。

 磁気による乱れは広域電波障害を引き起こし、ほんの数秒前まで使えていた無線機や計器を即座に使用不能にした。

 しかしそれよりもまずかったのは『磁気嵐』に併せて発生する、誘導電流による電子回路の故障だ。

 大きな導線になるほど被害の大きくなるそれは、大陸間ネットワークをズタズタにした上で、小型精密機械から電車の送電線にまで様々な障害を残した。


 『磁気嵐』はあの最初の日を端にして、日本時間にして深夜0時前後をピークに周期的に発生するようになってしまった。

 そのため、現在の電子機器はごく限られた環境で不安定に動作する程度だ。

 平時でも、通信機器を阻害するくらいには磁気の乱れが発生している。


 そうして人類は滅亡した。


 いや、違う。


 人は生きてはいる。


 だが、産業や生活基盤や文明そのものを、全て1つの現象から連なる厄災によって破壊された。

 8年前まで連続していたはずの世界はそこで断絶してしまった。


 電力や通信に依存しすぎた社会は、それらが失われることにあまりにも弱くなりすぎたのだ。


 その後の混乱期を経て今を生きる人々はもう、かつて積み上げた財産を自分達の手で壊し、崩し、齧り取り消費しながら、諦観の中でかろうじて生き永らえているに過ぎない。


 現代はもう、そんな世界だった。


 いや。


 そんなだからこそ、自分は。


「…………?」


 ふと、閉じていた目を開けた。

 気配を感じたというよりはもっと単純で、奥の部屋から足音が聞こえたのだ。


 身体をチェアから起こすと、横にあの子が立っている。

 サングラスごしにこちらを見ている。

 寝ている間も帽子とサングラスは付けたままだったのか。さすがに寝苦しくないだろうか。


「そと」


 少し佇んでから、その子が一声言った。


「え?」

「そと、でる」


 意味を考える。

 そう時間を経ず、頭の中の検索がヒットした。


「トイレか。ごめん、それなら」

「ちがう」

「なら、どうして」

「……そとに、でたいから」

 

 また意味を考える必要があった。

 この子と行動していると、ぼくは1つ1つの会話にかなり集中力を高めて臨まなければならないようだ。

 この子の言葉は端的だが、いくつもの重要な意味を含んでいることが多いように思う。


「外は危険だ」

「……わかった?」

「外には今日の今も、そして明日の今も、身体や心に有害なものが発生している。外に出ればそれを直に浴びてしまう」


 正確には、"などと言われている"と語尾に付くが。

 実際に被害があるかどうかは個人次第かつ運次第であり、つまりは現在、確実性についてはかなり微妙だ。


 ぼくの知識としてある先程の『磁気嵐』に関しても、本当に正しいかどうかは判らない。

 ぶっちゃけ同居人からの受け売りの情報だった。


 ぼくの説明を理解したのか、その子の動きが止まる。判ってもらえただろうか。

 そう思ったところに、予想外の言葉が飛び込んできた。


「わたし、ずっとでてた」

「…………なに?」

「4さいのときから。よる、ずっと。デパートの、おくじょう」


 そして、問題ない、とだけ言って表のドアに歩いていってしまう。

 慌ててチェアから降りた。


「おい、ちょっと」


 美容院の元のドアはなかったため、ぼくは拾った廃品を重ねて塞いでいた。

 それを1つ取り外し、隙間からその子が意外なほどに素早く出ていく。


 追いかけるべきだろうか。

 外に出るメリットとデメリットを天秤にかけてから、結局ぼくも廃品の残りをどける。

 表へと自分も出る。


 そして、外の世界は極光オーロラに満ちていた。


 亀裂の入った地面。

 触れればもろく崩れそうなガードレール。

 風は強く、どこからか低く間延びした反響が聞こえる、4車線の道路。

 ところどころに転がる車はなかば解体された後に放置され、瓦礫が点在し、見回す限り荒らされず無事な家屋は存在しない。


 しかし、オーロラの夜空は綺麗だった。

 思わず頭痛を忘れてしまうほどには。


 わざわざ夜に眺めたのなんて、いつ以来だろう。

 その子は、道路の中央で上を見ていた。


「君は何歳なんだ?」

「7さい」


 やはりというべきか、幼かった。


 そして、その子が『災害後の子ども達アフターマス・チルドレン』である可能性が高いことも知った。


 およそ8年前の『磁気嵐』以降に生まれた子ども。

 彼らは『集合体』にもそれなりの数が生まれ、暮らしているが、胎児期に8年前までの時代よりもよりも大きい確率で身体になんらかの変化が起こりやすいという統計が出されているらしい。

 変化自体は、それこそ『磁気嵐』前から存在した障碍しようがいも含め、非常に多岐に渡るとのことだった。


 そして、その話が本当ならば、この子は4年間ずっと夜中に『磁気嵐』を浴びていたことになる。


 判らない。

 どれ程影響が出るのかは判らないが、普通なら1ヶ月も活性化した『磁気嵐』を直に浴び続ければ、脳や神経に異変が出てきそうなものだ。実際に頭がおかしくなったやつも『集合体(コミュニティ)』内の路上で見かける。


 だからこそ『集合体』も、今日の『略奪者レイダー』達も、建物の窓に磁気避け目的の鉄板やアルミ等を熱心に取り付けて夜は引きこもっているというのに。


 ぼくがガードレールに座って考えていると、またもや気配なくその子が近くにやってきていた。

 よじ登るようにして、少し離れた隣のガードに座る。


 その時、一際強く風が吹いた。


 こちらはなんともなかったが、目深に被っていたはずのその子の帽子が飛ばされる。

 運良くぼくが掴み取ることができたので、それを返そうとした。


 その子の髪は白かった。


「……帽子を、気を付けてくれ」

「わかった。でもだいじょうぶ」

「大丈夫、とは?」

「よるはだいじょうぶ」


 ついでとばかりにサングラスも外して見せてくる。


 驚いた、としか言いようがなかった。


「よるはまぶしくない。めも、いたくない」

「そう、なのか」


 少し遅れて理解が追い付く。

 話として聞いたことくらいはある。


 その子はアルビノだった。


 スポーツ帽子にむりやり詰め込まれていたざんばらな長髪は白く。

 目は、左目の方のみが黒ではなく赤色。

 ぼくにゆっくりと説明してくれる、あまり感情が表に出ないその顔は、陶磁のように透き通った色合いをしていた。


「きもちわるい? はきそう?」

「え?」

「みんな、そういってた」


 なぜかぼくは、そこで奇妙に納得をしてしまった。

 すとん、と腹のところで理解が収まった。


 この子が顔を隠していた理由。

 『略奪者』の中で1人、特殊な立場にいた理由。

 虐げられていた理由。

 その辺りの疑問が一気に解決してしまった。


「きみも、きもちわるいか?」

「それは、髪が白いからか? それとも目が赤いからか?」

「ぜんぶ」

「外見はぼくはそこまで気にならない。『集合体』にはおかしなやつは多くいるし、そもそも自分から好き好んで変な格好をしているもっとおかしなやつもいる」


 何も返されないのは、こちらの言葉を考えているからなのか。

 または、さらに何かぼくが言うべきなのか。


 いや、しかし。


 今さら知ったが、この子の性別は女だったのか。


「…………」

「髪の白も赤い目も、別に嫌いじゃないという人はいる。ぼくもどちらかと言えばそっち側だ」

「わかった」


 判られてしまった。


「ただ、ここはデパートの上ではない。夜は野生動物が襲ってくる可能性もあるから、戻るべきだ」

「もどる。もう、そとでれない?」

「『集合体』に行けば、夜に外に出ることもできなくはないだろう」

「わかった」


 他に望んで出たいと思う人間なんて酔っ払いか狂人だけだとは思うが。

 ただ、まあ確かに良い景色ではあった。

 久しぶりの感覚だった。


 そこで、この子の性別以外にも知らなかったことがあるのに気が付いた。

 むしろ、最初に訊くべきことだった。


「君の名前は?」

「なまえ」

「ぼくはサトミだ。君の名前は?」

「サトミ。わたしは、おい、それか、おまえ」

「つまり、名前はなかったのか」


 もう何を告げられても動揺しない自信があった。


「おいや、おまえは、相手を呼ぶ時の広い呼び方で、他の人と一緒にいるときには適していない。個人を特定するための特別な呼び方が必要だ」

「とくべつな、よびかた」


 『集合体』に着くまでの間にこの子自身に考えさせてもいいが、それは何か違うと感じた。

 何が違うのかは判らない。


 視界の端で輝くカーテンが見えた。

 オーロラだ。

 この子もあの光景をずっと、綺麗だと思って眺めていたのだろうか。


「ソラだ」

「そら?」

「君の名前だ」

「ソラ。わかった、サトミ」


 そうして、彼女はソラになった。

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