『磁気嵐』の夜に 1



 夜は子どもの時間ではないし、大人の時間でもない。


 どちらかというと、自殺志願者の時間だ。



 ♢♢♢



 やることは多くあるが、ついでに尋ねている。


「君は『略奪者レイダー』か?」

「…………」


 先程から後ろをついてくる、スポーツ帽子にサングラスの子ども。

 背はぼくの腰丈にも届かず、身体は厚手の冬服で分かりづらいが、少なくともがっしりとはしていない体つき。


「いや、君は捕らえられていたのか?」

「…………?」


 喋れない、というわけではないだろう。

 上の踊り場で訊いた時はこの子自身が、生きたい、とはっきり口にした。


 もう住む人間が居なくなった薄暗いデパートを、3階のエスカレーター乗り場から見下ろす。

 動かないエスカレーターに、今後永久に音を立てることはないであろう店内スピーカー。

 乱雑に荒らされ、組み替えられ、商品と呼ぶのもおこがましいほどに磨耗したガラクタたち。


 この世界で、生きたいとはっきり言える人間は貴重だと思った。

 あえて理由付けをするなら、まさにそれがぼくがこの隣にいる子を連れて行くことに決めた理由なのだろう。


 しかし、会話から得られる情報が極端に少ないのはいかがなものか。


「君は一体、ここで何をしていたんだ?」

「…………?」


 まさか幽霊というわけでもあるまい。

 そして同じデパートで生活していたのだ、『略奪者』の中で、この子はどういう位置づけだったのだろう。

 しかし、尋ねてもその子は首をわずかに傾げるか、黙っているだけだった。

 まだかなり幼いこの子の理解力の問題だとしたら、もう少し単純な方が判りやすいだろうか。


「君の、仕事は? 役割は?」

「やくわり」


 単語がヒットしたようだ。

 知っている言葉であれば反応があると把握。


「やくわりは、ざつよう」

「雑用か、判った。そうなると、その手に持った袋も何か目的が?」


 少しずつ会話が成立している。

 雑用であるなら、その詳細を聞いて判断できることがいくつもある。

 例えばそれは、この子にぼくへの害意があるかどうかであったり、デパートの内部構造に関することや構成メンバーの情報であったりもするだろう。


「ふくろ? これ?」

「ああ。その手に持った袋だ」

「これは、おしっこ」


 なるほ…………ど?


 一瞬思考が硬直したものの、少しこの子の言葉を補って考えて理解する。

 この子の持っていた古びた袋は、いわば、し瓶の代わりだったようだ。


 その場から動けない、いや、動かすつもりもない捕らえた者達に対する、生活介助のためのし瓶。

 それの利用者であったと想像できる彼女らは、もう既にいなくなってしまったが。


「それと、うんち」

「判った。もう大丈夫だ」


 ついでに向き直り、その子の手を袋から離させようとする。

 その子の色白な細腕は、ぼく手が近付いた途端にびくりと引っ込められた。

 迂闊だった、触れられるのが怖いようだ。


「ごめん。ただ、その袋は捨てても大丈夫だ。彼女らはもう死なせてしまった」

「わかった」


 理解が通ったのか、袋をぽいと放り出す。

 袋は今はカラだったようだが、あとで手でも洗わせようかと真剣に悩む。


「君は雑用で、4階にいた人の世話をしていた。そこまでは判った。他には何かやっていたのか?」

「ほか? おえってするまえに、ふくろを」

「ああいや、そちらは充分だ。その袋ではない、他の仕事だ」


 とにかくあの4階の環境の悪辣さは伝わった。

 そろそろ他の階について聞きたい。


 その子は首を小さく横に振った。


「しごと、してない」


 今度はぼくが首をひねる番だった。

 雑用扱いではあるが、仕事はしていない?

 少し時間を経て、その子が呟いた。


「しごとは、ほかのみんな。わたしは、ざつよう。ぱしり。どれい」


 途端に彼女は多弁になった。

 まるでずっとそう言われ続けてきた姿が想像できるほどに、するすると単語が並ぶ。

 なんとも判りやすく、このデパートでのこの子の立ち位置を理解してしまった。


 これ以上訊いてもいいものだろうか。

 そう思ったせいか、自分の口からはらしくもない言い訳じみた言葉が出た。


「君が雑用係だったということも判った。ぼくが訊いてばかりなのも良くないから、君からこちらに訊きたいことはあるか? それとも何もないか?」

「わかった」


 その口調はぼくのマネなのだろうか。

 言葉の使い方が間違っているようにも思えるが。


「きく。あれは、きみがやったのか?」

「あれ、とは?」


 ぼくの言葉をまねてたどたどしく話し始めたその子が、3階にある一軒のレストランの前で転がっているものを指差す。

 血溜まりに浮かんだそれは、1番最後に無力化した『略奪者』だった。


「そうだ。ぼくがやった」

「わかった」


 亡骸の方を、かなりじっと眺めている。

 まずいものを見せてしまったか。


「ごめん。君の家族を殺してしまった。それが必要だった。謝ることはできないが」

「かぞく」

「どうした?」

「かぞく、じゃない。ちがう。わたしは、どれい。たまよけにもならない、がき」


 判らない。


 判らないが、なぜか自分の腹のあたりに意味もなく若干の不快感があった。


 ぼくが状況を説明してしまったことにか、それに対するこの子の返事を聞いてしまったことが原因なのかは判らないが、胸のあたりに空気が重く溜まっているような感覚がした。


「そうか、判った。先に言っておくが、この下にはさらに何人か終わらせた『略奪者』がいる。それもぼくが全てやった」

「わかった」


 しかしその子はあっさりと頷き、それきりだった。

 気にしていないのか、それとも。


「なら行こう。ここからは必要な物を集めて脱出する。何か君から見て使えそうな物があれば教えてくれ」

「わかった」

「一応言うが、袋以外で頼む」

「………………わかった。こっち」


  念のためと、その子の口が開きかけたところで先んじて最後の一言を足す。

 考える時間が長かったな、今。


 ぼくは先を歩いていくその子を、後ろからスポーツ帽子を眺めつつ追いかけた。

 エスカレーターを若干危うげな足取りで降りると、2階のフロアを迷わず一方向に歩いていく。


「こっち」

「判った」


 そこは、本の置かれたブースだった。

 暗い店内に並んでいる棚の本は、どれも今では扱いとしては等しく古本に分類されるだろう。

 埃をかぶったレジの横には、まだ刊行が行われていた頃の日付の新聞が置かれていた。

 それらに一切構わず、その子は奥へと進む。


 その足取りの迷いのなさを見て考える。

 あの子が実はこちらへの敵意を隠しており、罠をぼくに仕掛けてくるという可能性については、少しでも警戒すべきかどうか。

 今はまだ信用と信頼がお互いに全く足りていない状況だ、多少の注意は必要だろう。


 振り向くと、その子はぼくを見上げた。

 サングラス越しに視線が合っている気がする。


「ここ」

「これは」

「みんな、あつまってた」

「…………使えそうだ。確かに役に立つ」


 奥の事務室にあったのは、いくつかの本。

 手に取って中身を検分する。

 どれも本の表紙や内容の部分に、サバイバルや工業、歴史といった単語が並んでいた。

 つまりこれらは、情報資源だ。

 現代では食料や燃料と並び、特に重要とされる資源。

 8年前に終わってしまった技術文明の名残り。


 『略奪者』達も収集して活用していたのであろうそれらの資源は、ぼく達にとっても有益に働く可能性は高い。

 何よりそこに、『フォース』よりも先に品物を確保できたという要素も大きなプラスとなる。

 幾らか資源が元の数から"目減り"していても、ぼく以前の発見者がいないのであれば確認のしようがない。

 これは大きな収穫と言っても過言ではないだろう。


「みんなみてた。ここ、あつまってた」

「ありがとう。これは持っていこうと思う。よく彼らの動きを観察していた。君は優秀だな」

「ゆうしゅう?」

「……他の人に優っていること、あるいは生きる上で、より生きやすい人という意味だ」


 意訳ではあるが、およそそんなところだろうか。


「ゆうしゅう」

「そうだ」

「きみも、ゆうしゅう?」


 難しい問いかけだった。

 今度こそどう答えるか詰まってしまう。


 結局、誤魔化すことにした。


「優秀な時もあるし、そうでない時もある。失敗することもあるからだ」

「わかった。しっぱいは、こわい」

「ああ」


 その子は無意識にか、細い片腕を反対の手で押さえていた。これまでの様子からして、手酷く体罰を受けていたこともあるのだろうと推測する。


 本の数はそこまでなかったため、ぼくは置いてあった適当なバッグに詰め込んで背負った。

 これなら手提げやヘタな肩掛けバッグよりは、武器を構えるのに邪魔にならないだろう。


「他には、皆が集まっていた所はあるか?」

「あっち。ひ、がある」


 言われた先で、ライターやロウソク、車から抜き取ったであろうオイルを発見した。

 サラダ油などもあるが、あれらのかさばる物資は個人で運ぶには骨だ。後で『軍』に任せるしかない。


 さらに『略奪者』の食料を集めていた備蓄庫から、いくらかの野菜の種を入手する。

 食べられるかは若干怪しい缶詰等の保存食、そして普通の野菜など、今日から3日分ほどの食料もここで手に入れた。

 希少になりつつあるプラスチック製品、タッパーやペットボトルといった容器も含めて回収する。


 なるべく様々な物資をバッグに放り込んでから、少しサビが浮いているジッパーを閉じた。

 本当はもう少し鹵獲品を吟味したいが、そろそろ出なければならない。


 最後に、ぼくがうろうろしてる間もずっと先導してくれていたその子に訊く。


「なにか君自身が持って行くものはあるか? 別に自分のものでなくても構わない」

「ない。……ごはん?」

「それはぼくが持った」

「わかった。ない」


 なんとも潔い発言だった。


 ならば、もうこのデパートからは撤退しよう。

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