僕はロボット

 市から養父募集の通知が来た。色々と思うところがあってずっと断り続けていたが、話だけは聞いてみようかという気になってきていた。ミレディーは「あなたがいいと思うなら」と言われているので、やるやらないは僕の一存となっている。

 今から数世紀前にはもう、家族制度での人口の維持ができなくなってから、基本的に子供を育てるのは社会の役目となっている。昔ながらに家族で育てる人らもいるにはいるが、結局子供の安定的な教育を維持出来なくなり養父に依頼するケースもある。

 最もその場合こそが厄介で、子供の家族観のケアのためにカウンセリングのコストが嵩むので国としてはあまり推奨していないのが実際だ。生みの親がそのまま育ての親となるのは、確かに自然なのだろう。だがその自然な家族観に従った結果の崩壊だったという。実際のところ、生みの親への関心を消し去るのに何世代も費やし、ようやく最近になって今の社会制度に落ち着いたそうだ。男の子は男性の街へ、女の子は女性の街へと送られ育てられていく。

 ところで僕の場合はどうかというと、別にこの時代では変わった話でもない。普通に機械の人工子宮で生まれたという何の変哲もない話だ。生まれに変哲もなく、真面目で善良な親達に育てられた。

 善良な親……、そうだ、いつも養父の話を先送りにしているのは、僕の親が常に基準になっているからだ。正直なところ、最初の親とは上手くいかなかったのだ。昔の自分を、成長した自分が受け入れられるようになったのもごく最近のことだ。


 僕は昔、自分がアンドロイドだと思っていた。

 幼少期の、初等科過程に入る前は幼稚舎で過ごしていた。そこでは数人の同じ世代の子供らと、その世話役のアンドロイド達が一緒に住んでいた。僕らは彼女達を先生と呼んでいた。

 社会生活を送る上で必要な基礎訓練や教育、それ以外だと普通に遊んで過ごした。春には遠足や、夏には海水浴に連れて行ってもらったりした。

 ある日、キッチンで夕食を作っていたアンドロイドにこういった覚えがある。

「それ、僕にもやらせてよ」と、確かジャガイモの皮を剥いていたのを見て、自分もやりたくなったときのことだ。

「駄目ですよ。怪我しますから」と、断られた。

「大丈夫だよ、それに怪我したって平気さ」

 幼少期特有の全能感があった。実際怪我なんて外で遊んでいれば日常茶飯事だった。

「危ないから駄目」と押し問答しているうちにこういった。

「じゃあ先生が怪我したらどうするのさ」、と。

「先生は怪我しないんです」

「もし、したら?」

「その時は修理してもらうのよ」

 修理という言葉に違和感を覚えた。僕の日常で修理というと家電製品が壊れたからとか、おもちゃが壊れたときに使う言葉であって、人間に対して使う言葉じゃなかったからだ。

 その頃まだ僕らは彼女等がアンドロイドであるとは知らなかった。同じ血の通った存在だと思っていたのに、その時から僕はひょっとしたら自分もアンドロイドではないかと思い始めた。

 体に流れる血も、赤い色をしたオイルで、実は体の中には歯車とか配線とかが埋まっているのでは、とどこかの絵本で読んだロボットのイメージを自分に当てはめていた。


僕はアンドロイドだ。アンドロイドは完璧に造られているはずなんだから、僕も同様に完璧であるに違いないと思っていた。

実際言われたことは必ず1度で理解しようとした。理解できなくても理解できるまで粘り強く取り組んだ。僕は模範生だった。先生達は別に出来不出来に関わらず別け隔てなく接してくれるが、何をやっても先生が褒めてくれるので、僕は特別だという意識が延々と醸成されていった。


 やがて初等科過程に進むと、このまま寄宿舎生活を続けるか、家庭に入るかを選ぶようになる。家族というものに興味を持っていた僕は、養子を募集していた家族に入ることになった。

 最初の両親ーー父親役が人間で、母親役がアンドロイドのーーこの街でのごく普通の家族だ。父親は絵に描いたような真面目な人間だが、僕とは反りが合わなかった。真面目に働き、真面目に養ってくれるが、僕の趣味嗜好や関心事にはまるで興味を示さなかった。そのころまでまだ僕は自分をアンドロイドだと思っていたのだ。あらゆる意味で人間らしく、人間の理想を模したように行動する彼らを見て、逆説的に出来すぎた人間の模倣したような人間であろうとしたのだ。

 だが、母親役のアンドロイドは親身になってくれて僕を育ててくれた。名前はクレアといった。初等教育、中等教育は全てクレアから教わった。初等科過程の途中から家庭での会話はクレアとしかした覚えがない。僕はクレアの同類だと思っていた。本当の意味で家族だと思っていたのはクレアだけだった。

 父の特徴は一言でいうと凡庸な善人だったのだろう。分単位どころか秒単位で規則正しく、あらゆる知識を持ち高潔な人格を設定されたアンドロイドと対比すると、幼少期の僕にはあまりに物足りない存在だった。ましては自分をそんな超人的な存在だと思っていた僕には。一体どんな態度をとっていただろうか。今となってはよく覚えていないが、おそらく相当父にとっては居心地が悪かったのではないか。「クレアなら何でも知っているのに」とか「クレアなら出来たのに」とか、小児らしい無遠慮な残酷な言葉を、高い自意識のまま無遠慮にぶつけていた。

 不器用ながらも真面目に勤め上げ、家族を養ってくれていた父親に対してだ。


 まったく滑稽で不気味な存在だっただろう。アンドロイドの真似をしようとしても真似しきれない中途半端な存在、そんな出来損ないが却って本来の人間であるはずの父と相容れるはずもなかった。何故僕を受け入れてくれないのかと積もりに積もった不満も、長じるまではその根本原因に気づくことはなかった。

 こうした冷え切った関係では問題があるのでは、とカウンセリングで指摘されたとき、別の養父を選ぶかの話になった。正直悩んだのはクレアとの関係だ。母親とは良好な関係だったのでそれは維持してほしいという旨だけ伝えた。

 やがて希望通り新しい養父が見つかり、家を出るときになっても父とは二言以上の会話はなかった。

 次の家族は両親ともにアンドロイドの家族だった。僕は初めて家族を手に入れたと心から喜んだ。


 僕は本当の人間を知らなかった。人間の不完全さはただの欠陥で、アンドロイドはそれを克服した超人だと思っていた。アンドロイドである僕はそんな欠陥を許してはならず、完璧な存在になろうとしていた。最初の母親であるクレアや、二度目の家族、彼らのような存在こそがあるべき姿なのだ、という思い込みを間違いだと指摘したのもクレアだった。

「貴方は人間よ」と。

 高等科過程に進む頃合いだっただろうか。

 クレアとは月1で会っていた。近況報告や他愛ない話だったけど、僕はクレアと会うことだけが楽しみだったのだ。どんなつまらない話でもクレアは聞いてくれた。どうでもいい結果でも褒めてくれた。僕とクレアとそして新しい両親こそが家族なのだ、と。思っていた。

 だが、それはあっさりと否定された。

「違うのよ。貴方は間違っている」と。

 ある日否定された。僕は言葉を継げなかった。自分の在り方の否定だけではなかった。家族から拒否された、と思った。居場所を失いかけたのだ。

「もう貴方とは会わないほうがいい気がする」とだけ告げられ、それ以降クレアは会ってくれなかった。

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