ヒトかあるいはモノとロボットと

 数日前から歯の左下の辺りが痛み始めた。暫くは市販の鎮痛剤などで耐えることが出来たが、さすがに仕事に支障が出る程の痛みになってからようやくミレディーに相談した。取り敢えず診察だけしようかと、マンションのクリニックモールの歯科医院に二人で行った。

 マンションにはスーパーも病院も併設してある。ちなみにどちらも無人でオートメーション化されている。病院の場合、パートナーが見れる範囲なら自由に使っていいことになっている。

 取り敢えず歯科の自分の枠を確保するとレントゲンを取ることになった。レントゲン室の真ん中に普通に立っているだけでよく数秒で結果が出た。

「これ親知らずが伸びてきてるわね」

「今度は下の方か……」

 上の親知らずは2本ともミレディーに抜歯してもらった。上の方は割とすんなりと処置出来たが、下の方はそうなるかは分からないという。

「これ横倒れしてるわね。しかも頭のほうが極わずかしか歯茎に出てきてないから、結構手間ね」

「あの、具体的には……」

「歯茎を切ってから歯の先端を削っては引きずり出し、また削ってはの繰り返しね」

 それを聞いてひどく不安になってきた。

「出来そう?」

「やれと言われたら出来なくもないけど、かなり大事よ? 通常の麻酔でも痛みが抑えられるかどうかはちょっと分からない。何よりね」

 と、前置きした。正直イヤな予感がする。

「反対側も横倒れしてるから、近々こっちも痛みだすと思う」

「……どうすればいいかな?」と、半ば覚悟を決めていった。

「正直これは専門の口腔外科に行ったほうがいいかも。そこでまとめて一気に取ったほうがいいわね」

「予約お願いします……」

 予約を確認しもらったら最短で2週間後とのことだった。全身麻酔と術後の安静のため1週間の入院が必要とのことである。

 それまでは取り敢えず処方箋薬局で支給された痛み止めで耐えるしかない。数日間は痛み自体はどうにかなったが副作用の眠気に悩まされる日々となった。


 主の健康管理もパートナーの仕事に含まれる。バイタルはウェアラブルデバイスで常にモニタリングしており、不調を見つけたら即座にパートナーに通知が飛ぶ。

 バイタルで見つけにくい体内の状態も1日1回、カプセル型の診療用デバイスを飲むことで診断を行っている。医療用の技術およびデータは世界中のアンドロイドで共有されている。彼らは必要ならば内科診療の処方箋から、果ては症例があるなら脳外科心臓外科手術まで行うことが出来る。医療処置も常に主のバイタルデータを持っているパートナーのほうがスムーズに把握出来ているので、大体そのままパートナーが外科処置も行うことが殆どだが、稀に人によっては専門医に頼むこともある。ちなみに僕は特に抵抗がないので医療行為もミレディーに一存している。


 ようやく手術の当日となった。入院に必要な道具の用意と手続きはミレディーがそつなくこなしてくれた。先に病室を確保し、手術着に着替えてから時間を待つことになった。19時開始とのことなのでまだ余裕がある。

 ミレディーが主に執刀担当で、麻酔医との調整があるので先に手術センターに向かっている。手持ち無沙汰でやることもない。ベッドに横になりぼんやりと天井を向いていると、ふとこんなことを思い出した。

 昔聞いた話だが、医者は自分の身内を診ることは出来ないという。何故そうなるのかは医者ならぬ身には想像するしかないのだが、きっと身内をモノ扱いーーそれも壊れたーーすることが出来ないからじゃないかという気がする。

 身内の体にメスを入れたり、皮膚を焼き切ろうとしてその匂いに耐えきれず泣き崩れる医師の姿をどこで見たかはうろ覚えだが、確かに記憶にはある。


 待っている間に病院を散策することにした。カフェもあるが今は絶食状態なので何も口にできない。しょうがないのでギャラリーなどを回ってみることにした。

 市内で景観に最も力を入れている建物はおそらく美術館だが、2番目はというと病院である。今の時期はバラで入り口のアーチを彩り、また庭園も各種のバラを植えている。またギャラリーも併設されており、こちらも美術館に次ぐ展示数を誇る。

 何故ここまで景観に力を入れているかというと、それはこの病院の中でも最も美しく彩られた場所、即ち終末病棟ーー通称、アルカディアーーにあるのだろう、というのが暗黙の了解だった。

 終末病棟に入る患者のために、彼らが最後に見る景色のために、またあるいはほんの少しだけ外に関心を残しておいてほしいから、とか直接聞いたわけでもない。ただ、自分が病院の運営側だったら、そのくらいの気遣いはするであろうと想像した。


 考え事をしていたら時間が近づいてきた。3階の手術センターの入口に行けば、該当の手術室の番号を教えてもらえるとのことだったのでそちらに向かった。そういえば前に行ったときはストレッチャーに乗せられていたが、今回は特に歩くのに問題がないのでそういう処置はない。

 前に来たときと同様に、非常に広々とした手術センターの中を指定された手術室に向かって歩いている。病棟もそうだが、ちょっとした高級マンションかあるいはリゾートホテル並の意匠が施されている。特に手術センターは陰鬱さをまるで感じさせない造りになっている。廊下は明るく広々として開放的だが、全くの無人状態なのが若干不安になるが。

 ストレッチャーに乗せられて運ばれたときはぼんやりとしか見えなかったが、徒歩で移動するとなると中々見る機会がない場所だけについ探索したくなるが、時間厳守なので探究心を抑えて手術室に向かった。

 ミレディーも麻酔医の方も既に準備は済んでいた。ミレディーの手術着姿は最後に見たのは何年前だっただろうか。

「緊張する?」と、半笑いで語りかけてきた。

「正直なところ緊張する」とやせ我慢せずに答えた。本音を言うと、実はあまり緊張していない。緊張とは別種の感情だ。これはなんといったらいいんだろうか、と考え事をしている間に笑気ガス用のマスクを被せられた。

「寝ている間に終わりますので」と麻酔医の方がいっている間、不安とも緊張とも違うこの違和感の正体がようやく見えてきた。

 さっき思い出した光景、身内を切れずに泣き崩れる医者と対照的に全く躊躇することなく主の体にもメスを入れるアンドロイドのことだ。今医師として動いているミレディーも必要ならきっと僕の頭蓋骨を割って脳にメスを入れることさえ出来るだろう。事実、それで助かった人の話も聞く。

 アンドロイドはモノだ。それは自明の理で重々承知している。そしてまたアンドロイドも主をモノとして扱い、最適な処置を選んで実行してくれる。お互いお互いをモノ扱いし、その距離感こそ最も安定した関係を築けると知ったことが、きっと人類史上最大の発見ではないかと、麻酔で溶けゆく意識のなかでぼんやりと思った。


 目覚めると日付が変わる頃合いだった。眠気がまだ残っている。傍らにミレディーがいる。

「2本とも無事取れた」

「うん」とだけ返した。意識がまた沈んでいった。ああ、そういえば、ありがとうって言えたっけとそこだけが引っかかった。


 翌朝になって鏡の前に立つと両側の頬の腫れ上がり方に衝撃を受けた。事前に聞いてはいたが、実際になってみるとやはり辛い。

 ミレディーは昨日晩からずっと傍らに寄り添ってくれていた。基本的に椅子さえあればスリープモードにして過ごすことが出来る。

「ああ、おはよう。ってすごい顔ね」と、僕の顔をからかっていった。

 一応術後の検査もミレディーが診てくれたが、腫れ以外の後遺症などは特に無かったとのことで安心した。そのうち点滴も外れるだろう、と。


 午後は病室で2人で過ごした。

「大して必要でもなく、寧ろものすごく邪魔にしかならないなら生まれてくる前に除去しておいてほしいくらいなんだけど」

「”本人”からやれと言われたらやるけど、でも本人確認は難しいわね」

「何でさ?」

「受精卵に意思確認するの、ちょっと私じゃ無理ね」

「それは確かに違いない」と、項垂れた。

 ふと、ぼんやりと思い浮かんだことを口にした。

「意思っていつから発現するんだろうね?」

 別に何かの答えを期待したというわけでもない独り言だった。

「さあ?」

 ミレディーがこう答えるときは、世界中のデータベースのどこにも該当する情報がない、という意味合いで、人間の生返事より遥かに重い回答だった。

「そもそも、私にも意思があると思う?」

 これは誰の推論なんだろうか? アンドロイド全般のだろうか、それともミレディー個人のか。

「分からない」としか答えられなかった。あるいは、もしかしたら自分にも意思なんてないのかもしれない、という予感がした。

 お互いがお互いをモノ扱いする関係、その心地よさはもう暫く続けていたいと、やはり鎮痛剤でぼんやりとした頭で考えていた。

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