地球に帰るまでが旅行です 後編

 エレベーター上昇中はやることがないと言いつつ、結局ミレディーとVRのゲームをしていた。対戦ゲームだと絶対に勝てないが、協力プレイだと本当に心強い。ゲーム内容はSTGでシャトルで逃げる敵を僕とミレディーの2機で宇宙に上る前に撃墜するものだ。

 ミレディーが敵の護衛機を次々落とすので安心して撃墜することが出来たが、その後炎上するシャトルから出てきた敵の迎撃機に早々に落とされ、結局ミレディーがボスを倒した。

「あそこで追加の敵が出るなんて聞いてない」

「だいぶ前にアップデートで追加されてたけど」

 そんな風にぼやいていると終端のオービタルリングに到着する頃合いになった。


 終端駅に着いた。正直宇宙に出たのはこれが初めてでもっと感慨にふけっていても良さそうなのだが、如何せん次のシャトルの発射までそれほど余裕が無いのが本当に悔やまれる。

 急いでステーション行きのリニアに乗らなければならず、慌ただしさ故に買い物も出来そうにない。

 だが、ここから見下ろす地表の眺めは、ARで体感したつもりになっていたことを恥じるほどだ。この区画は半透明になっていて、地表の海がほぼそのまま見える様になっている。擬似重力もこの区画だけはやや弱く、泳ぐように進むと地表の海と向かい合うように進むことが出来る。もう少しこれが堪能できたらと本当に悔やまれてしょうがない。

 眼前の暗い宇宙に浮かぶように佇む月を見ても、まだそれが目的地なのだという実感に乏しい。


 ステーションからいよいよ月へのシャトルに乗る。シャトルと言うより太陽風航行で進むそれは確かに見た目通りに旧時代の帆船とも言えた。

 帆船と言いながらも爆発的な推力で3時間ほどで月の表面まで運んでいってくれる。

 船に乗ってようやく一息つけた。だが、実際外を見てもなにかあるわけでもなく、どんな田舎の真夜中の町並みよりも暗い宇宙が広がっているだけだ。正直言って、このシャトルが一番快適だが、最も早く着いてしまうというのがこの旅最大の皮肉に思えて仕方がない。

 時間を追うにつれ、指の先ほどの大きさにしか見えなかった月が、徐々に近づいてきていると実感できるほどに船の速度は速い。やがて月を通り越し1周半した後にクレーター内の駅に到着した。


 プラトン峡谷というらしい。到着するまでに一望した月の表面は、かつて地上で見た銀色の光はどこにもなく、昔写真で見たとおりの砂と岩とクレーターしかない。

 1日半前に地上で見上げた月が、今足元にある。踏みしめた感触に対しては未だに実感がない。先人がかつて言った偉大な一歩に続く足は、きっと数万人によって踏み越えられているからだろうか。

 だが、歩き出したその一歩の軽さが、地球ではないことを物語っていた。浮かび上がったまま空中でバランスを崩しそのまま前に倒れ込んでしまった。

 ミレディーが手を差し出して言った。

「あなたが月に来た最初の人間だったら相当愉快だったわね」

 感謝しつつこう述べた。

「偉大な一歩を踏み出すにはまだ早かったよ」


 ここから出て月地表をバスで移動すること小一時間、目的地の砂漠、もとい海に到着した。

 この海はなんて名前? と聞いたら雨の海、というそうだ。月に海が無数にあり、それぞれの海に名前がついていることは疎いながら知っていた。

 晴れの海、静かの海、嵐の大洋、このあたりは僕でも知っている。それらの由来は知らない。この海がなぜ雨というのかも。ミレディーに聞いたら多分知っている。だが僕はあえて聞くことを知らなかった。どの海も目前のと同様、名前とは程遠い乾いた砂と岩の大地でしかないことを知っている。なぜ雨の海かと知ったところで、名前との差は埋まらないのだ。


 ここからは徒歩での移動になるのだろうか、と思っていたら、ラクダがいた。紛れもないラクダだ。何故そう言い切れるかというとかつて地球の方の砂丘に出かけたときにもラクダに乗ったからだ。ラクダそのものはいい。問題は何故月の砂漠もとい海でラクダなのだ、ということだ。

「気にすることでもないでしょうに」

 とミレディーは先に乗り込んでしまった。暫く呆けていたが気にしてもしょうがないので僕も乗り込んだ。一頭のラクダに僕とミレディーで乗った後、案内の人が手綱を握って歩き始めた。


 しばらくラクダの背で揺られていると、なぜミレディーはここに連れて来たがったのか少しわかる気がした。

 それは山陰の砂丘の光景を思い起こさせた。

 今から数年前のある日の週末、その時も夕方に突然連れ出された。何を思ったか砂丘が見たい、と。

 着いたときには夜だった。夜中の砂丘の、駐車場から波打ち際まで想像以上に距離があったのを覚えている。波打ち際の間際で二人して砂浜に大の字になった。

 何でそんなことしたかったのか、結局本人には未だに聞けていない。だけど、その時の気分に対して最も開放的な行動だったという実感だけはずっと覚えていた。その時の光景と全く似ていないが、確かに見ようによっては夜中の砂丘に見えないところもなかった。


 もうじき進むと神社があるという。なぜ月に神社が、と思ったが、山陰の白兎神社からの御霊分けという。兎の神様からの御霊分けは分かるが、雨の海である理由は山陰が雨の国だから、と。

 やがてその脈絡なさそうに建てられた神社についた。この砂漠を海原に見立てると、その海岸にあるようにも見える。願い事らしい願い事もない。形だけの参拝の柏手は、月の空によく響いた。

 おみくじ引こうよ、と誘われ、断りきれなかったので無人の社務所の古式ゆかしい筒から棒を一本引いた。番号の箱を開けると何の変哲もなく中吉と出た。ミレディーは大吉だった。特に根拠もなく嬉しがっているのを見て、何故か安心感が湧いた。ちなみに自分の内容はというと、願い事に、焦らずして待つ、旅立には、遠方に利益あり、と。

 因みに住居から見て月は十分遠方だと思うのだが、ここには利益があるのだろうか。


 予測していたとおりだが、海と言っても砂漠と変わりないのでサーフィンをしている人もいなければ泳いでいる人もいない。潮風があたるわけでもなく、ほぼ無音の空間ですることといえば夜空を見上げるくらいだ。ミレディーが地球の出は何が何でも見る、と言って聞かないのでそれまでは待つことにした。

 神社から離れると、月の地平線、と言っていいのかわからないが開けた場所に向かって移動した。地球の出を見るなら恐らくここが一番長めのいい場所なのだろう。以前砂丘の海岸沿いでやったように大の字になって仰向けになった。隣を見ればみレディーも同じようにしていた。耳を澄ませても波の音もしない。風の音も耳を済ませればかろうじて聞こえる程度だ。月の地球化と言ってもまだ始まったばかりで全速力で地表を走り回れば、ものの十数秒で酸欠になる。


 何故ミレディーは僕をここに連れてきたのだろうか、と考えたときにあの時の海岸に連れて行かれたときのことを思い起こすと、きっとそれがこの時点での最良の行動だからということなのだろう。

 事実、あの時あそこに連れ出されていろいろと思いつめていたものが一気に吹っ切れたからだ。何故それがわかるのかというと、長く連れ添ったミレディーだから、としか言いようがない。

 ミレディーは空を見上げている。あの時も星が見えていた。今見てる星は、きっと地球からは見えない。


 やがて遠い地平線から青い地球が姿を表し始めた。あれが僕を育んだ母なる地球か、と思うと確かに感動的な光景とも言えるのだが、如何せん距離的に離れすぎてて正直良く見えないというのが本音だった。双眼鏡でも持ってくればよかったかなと今更ながら思う。

 ミレディーはなにか思うところがあるのだろうか。さっきから地球が昇ってくるのをじっと見ている。あそこで僕が生まれた。そしてミレディーが造られた。ここからも山陰の海が見えるだろうか。僕にはそもそも遠くて見えないが、ミレディーには見えているかもしれない。

 何も語らない彼女の心、と呼べるものがあるのかは分からないがそれを推し量るにはいつもの事ながらまったく手がかりには乏しかった。


 峡谷空港に戻ると、お土産探しを始めた。置いてあるものというと「流星ういろう」「クレーター饅頭」「無重力せんべい」など。何故かどれにもウサギがプリントしている。とりあえず1個ずつ選んでおいた。


 発着までの待ち時間、適当に時間つぶしをしようとカフェに向かった。来たときも思ったが、この辺りは不人気なのか連休なのに空いていた。聞けばやはり大体の人は嵐の大洋に向かうそうな。

「急に連れ出しちゃったけど、来てよかった?」

 ミレディーもやっぱり気にしていたんだろうか。

「良かったと思うよ。家の中で引きこもるよりはずっと」

「そう、良かった」と漏らした。

 彼女なりに気を使っていたのだろう。

「単なる出不精ならまだしも、あなたが引きこもってるとき時々本当に死んじゃったかと思うくらい反応がないときがあるもの」

 ああ、うん、否定できない。あんまり同居人を不安にさせるものではないと反省しつつ、時間になったので帰りの便に乗った。来たときには見えない光景だった、暗い夜の海のような宇宙に浮かぶ、いやあるいは沈んでいるような青い地球に吸い込まれるように月から飛び立っていった。


 地球に向かう道すがら、青い海にそのまま船ごと飛び込んでいくような感覚に襲われると、ふと来た時のリング内から見下ろした地表の海の青さとバタム島の海を思い出した。

 何を思ったか「やっぱりさ、明日も休日にする」と言い出し、明日の予定をキャンセルした。

 リング内の無重力回廊で1時間近くも海と向き合い、ようやく全身で宇宙に来たと実感することが出来た。月でも脱ぎ捨てられなかった重力の重さをようやくはぎ取れた気がする。


 エレベーターで降下したあと、降り立ったその足で待ちきれないといった風にそのまま海へと走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る