嬉の37 感動して泣くということ



 昨日、正確には今日だが、遅くまでキッチンで言葉やアリサに詩織と話していたので目が覚めたのはもうお昼を回ったくらいだった。


「おはよう」

「こんにちはだけどな」

「起きたときにかけるのは、おはようでしょ?」

「どっちでも好きにしてくれ」


 目を覚ますと当然のように言葉がベッドにもたれて雑誌を読んでいた。


「なぁこの部屋って鍵ないんだよな?」

「そうね、この部屋っていうかどの部屋も鍵なんてないわよ」

「不用心だな・・・」

「そう?セキュリティは万全だってミドリンが言ってたけど」

「外じゃなくて中のことだよ」


 言葉は俺の言っている意味がわからないみたいで首を傾げている。まぁいいか。


「それはそうと今日はどうするんだ?」

「ミドリンがみんなで街の方に遊びに行かないかって言ってたわよ」

「もう昼だぞ?」

「大丈夫じゃない?アリサもまだ寝てたし」

「そっか、なら行くか」


 言葉と一緒にリビングに降りていく。

 リビングではアリサ以外が思い思いに過ごしていた。

 バカップルは放っておくとして駿はぼーっとテレビを見ていて詩織はどうやら街のガイドブック的なものを見ているようだ。


「よう、おはようさん」

「あ、ミントくん。おはよう」

「おはようというかこんにちはの時間だけどね」

「アリサは・・・まだ寝てるのか?」

「起こしてきましょうか?」

「詩織、頼めるか?」

「ええ」


 詩織はアリサを起こしにリビングを出て行く。


「で、街の方に遊びに行くんだよな?」

「そうだね、ずっとこっちにいても仕方ないからね」

「僕はあんまり神部の中心部に行ったことないんだよね」

「そうなのか?別に大したものないけどな」

「そう?それなりに楽しかったわよ」

「なんか楽しめるところってあったか?」

「変わったラーメン屋さんとか?」

「ああ、あれはまたちょっと違うだろ」

「私はあなたとならどこでもいいのだけど」


「・・・砂糖吐きそうだよ、僕」

「僕も同感だね」


 熟睡していたアリサを起こすのは結構大変だったらしく詩織は中々戻って来なかった。


「ねぇミドリン、街の方に行くのは明日でもいいんじゃない?」

「そうかい?沙織くんがそう言うなら僕は全然構わないけど」

 俺や駿、言葉に異論はない。


「じゃあ私、詩織を見に行ってくるわね」

「なら俺はもっかい寝るかな・・・」

「あなた寝てばかりじゃない、少しは身体を動かした方がいいわよ」


 結局この日はどこに行くともなくそれぞれ思い思いに過ごすことになった。



「いい風ね」

「これくらいの風が吹いてたら夏もまだマシだな」

 寝てばかりとはいかなくなり俺は言葉と砂浜から林の辺りを散歩していた。


「この辺りもミドリンの家の土地なんだよな」

「そうみたいね。彼のお父さんが色々手広くやってるって話だから」

 林の隙間からはキラキラと輝く海が見える。

「沙織もミドリンと上手くやっていけそうだし何よりだな」

「駿くんがちょっと落ち込んでたけどアリサあたりと案外ウマが合うんじゃないかしら」

「ははは、文字通りウマにされそうだけどな」

 林の途切れた場所から海の方に出てみる。


 東の方に小さく別荘が見えた。

 結構歩いたんだな、そう思い言葉を見ると言葉はジッと海を眺めていた。


 言葉を促して砂浜に座る。

 太陽に照らされた砂はチリチリと暑かったが海から吹く風が相殺してくれる。


「ねぇ、最近ね、私少しだけだけど綺麗って感じが何となくわかる気がするの」

「ほぉ、どんな風に感じるんだ?」

 繋いだ手を握りなおして言葉はジッと海を見つめたまま答える。

「上手く言えないのだけど・・・こう、胸の辺りが暖かくなるっていうか。涙が出そうになるっていうか」

「綺麗なものを見て感動して泣くってこともよくあるからな。そういうのなのかもしれないな」

「・・・そうなのね」


 それで納得したのかはわからないが、俺の肩に頭を預けてジッと海を見つめる。


 ザザ〜っと波が寄せる音と林から聞こえる蝉の鳴き声。

 どれくらいそうしていただろうか、何も会話がなくても時間の経過が気にならないほど俺と言葉はジッと海を見つめていた。


 やがて太陽が海に沈みかけ辺りを夕陽が赤々と照らし出す。


「起きてるか?」

「ええ」

「そっか」


 俺と言葉が交わす会話はこれだけ。

 それでも不思議と俺はこの何もない時間が苦にならなかった。


 ゆっくりと地平線の向こうに沈む夕陽が言葉の顔を染めていく。

 何となくそんな言葉の横顔を見て俺は改めて美しいと思った。

 ほぼ毎日のように会っていて隣にいることが当たり前のような存在になりつつある言葉。


 それでもこうしてふとした瞬間に別人のような表情を見せてくれる。


「これが感動して泣きそうってことかしら?」

「多分な、泣きたいなら貸してやるぞ」

 薄っすらと瞳に涙をためた言葉に両手を広げて胸を貸してやる。


「ありがと」

「ちゃんと返せよ」

「ええ・・・」


 悲しくて泣くのではない違う涙は言葉にとって何か意味のあるものになるだろう。


 ただただ細くて折れそうな肩を震わせる言葉の背中に俺はそっと手を回した。




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