第44話 幽幻の底庭


「 悠吏 」

 女の口から甘く漏れる。

「 悠吏 」


 女は首だけになっても美しい女だった。

 盛り土の上に転がった女の首は青白く目は何処を見るでもなく虚ろに開かれていた。そして動かぬ口から自分を呼ぶ声が幽かに漏れる。


 女とは一つ違いの異母姉弟であった。

「 悠吏こちらへ 剣の稽古をつけてやるわ 」

 女は剣の才に優れたひとであった。


「 悠吏 これは絶対秘密よ 私 本当は左じゃないの 」

「 何言ってんだ姉貴 」

「 左のフリをしてるだけ 」

「 はぁ 悪い冗談はよせよ もしそうならフリをしてるヤツより俺は弱いことになる 」

「 そうよ 悠吏 あなたは弱い だから私が守ってあげる 」

「 余計なお世話だよ そもそも左じゃなきゃ……

「 私は他人 」

「 どうしたんだ なんかに憑かれたか 」

「 私には左の血が流れてない 」

「 何言ってんだよ本当に 」

 女は泣いていた。

「 あのなぁ 」

「 悠吏は悲しい それとも嬉しい 」

「 嬉しいってなんだよ 」

「 だって…… 私を抱けるのよ 私は悠吏にとってただの女なんだから 」

「 …… 」

「 意気地なし 意気地なし 意気地なし 意気地なし 」

「 がぁぁぁっ 」

 それから女を毎日無茶苦茶に抱いた。


鈴音すずね逃げよう 二人で誰も知らない所に そして夫婦めおとになろう 」

「 ガキの癖に何言ってるの 私は決まり通り右鈴原の家に嫁ぐのよ リンは私をきっと幸せにしてくれるわ 」

「 ダメだ 鈴音は誰にも渡さない 」

「 痛いわ悠吏 」

「 痛くても構わない 」

「 もう 本当に子供なんだから もう直ぐ戦争が始まるのよ そうなれば私は悠吏を守れない でもリンならあなたを守ってくれる 」

「 ふざけるな リンなんか俺より弱い 鈴音もこの国も俺が守る 全部俺が守る だから鈴音は俺の側に居ればいい ずっと側に居ればいい 」

「 しょうがない人 悠吏 もっと痛くして 」

 女の爪が背中に食い込む。

「 悠吏 」

 女の口から甘く漏れる。


「 鈴音 」

 女の首が盛り土の上に転がっていた。

「 きぃぃさぁまぁぁらぁぁぁ 」

 男は獣になった。


 気づけば血だまりの泥濘の中を踠き進んでいた、斬っても斬っても、殺しても殺しても、渇きは増すばかりだ。

「 守れなかった 守れなかった 守れなかった 守ると言ったのに 」

「 無様よのう人間 」

「 黙れ山犬 」

「 ハハッ そうじゃそうじゃ踊れ踊れ 無様に死に狂え 」

「 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ 」

「 良いぞ良いぞ それでこそ姉を抱き愛する女を喰ろうた罪人に相応しい もっとじゃ もっと まだ足りぬ もっと見せろ 」


 キャン。

「 どうした 何故殺さん 」

「 こっちの台詞だ 何故生かした 」

「 さあな 獣の気まぐれじゃろう 人間如きが気にすることではあるまいよ 」

「 どうして鈴音の心臓を俺に 」

「 言ったであろう 気まぐれと 憐れみじゃ 人間の愛とやらが見てみたかっただけじゃ あの女の愛がどれ程のものなのか 貴様を外道畜生道に堕とすのか 或いは違うのか 」

「 なら見届けろ 」

「 良かろう ただし後悔する事になるやもしれんぞ 」

「 今更何を後悔する 笑わせるな 」

「 ふふッ 笑えるぞ 貴様 」


 盛り土の上に美しい女の首がある。この首は誰の首なのだろうか。

 一度たりとも敵う事の許されなかった愛しい女剣士のものなのか、炎を操る凶暴に可愛らしい部下の女のものなのか、革命の旗を掲げた凛々しい少女のものなのか、壊れそうに儚い片目の毒蜂の女のものなのか、舞い散る桜の下の機械少女のものなのか、凍結した時間の中で泣きじゃくる愛くるしい少女のものなのか、健気に任務を遂行する優しい女スパイのものなのか、一体誰の首なのだろう、これはいくつ目の首なのだろう、僕は何人の女を愛し、何人の女に愛され、何人の女を見捨てて、何人の女の首を手に入れたのだろう。


 西にたいそう美しい鳥追いの女がいると聞く、その女の首が欲しい、その女の首を盛り土の上に飾らなければ、でなければ……

 鈴音 もう少しなんだ、早く鈴音に逢いたい。鈴音の心臓をその女に……






「 ユウリ気がついた 」

「 ありさか 僕は 」

「 動かないで 傷が開くわ 何がかすり傷よ バカ 」

「 ここは 」

「 鼠仔猫島よ 岩礁の上のあなたを救助して潜入したの みんなは偵察に出てるわ 」

「 そうか 死ななかったのか 」

「 何言ってるの 私を庇った傷で死なれちゃ迷惑よ いいかげんにしなさい それより痛いわ 」

 ありさの手を握りしめていた。離した手には食い込んだ爪の跡がついている。

「 あっ ごめん 」

「 ずっとうなされてたわよ 大丈夫 」

「 何か言ったか 」

「 スズネスズネってうるさかったわよ 」

「 姉貴だよ 」

「 大丈夫よ 私しか聞いてないから 愛してたのねユウリ そして今でも愛してる 可哀想な人 」

 ありさが顔をそっと寄せキスしてくれた。

「 鼠仔猫の状況は 」

「 爆炎でかなりやられてるわ そっちの対応でしっちゃかめっちゃかみたい おかげで潜入は楽チンよ 」

「 僕の傷は 」

「 まだ動けないわよ 」

「 そういうわけにはいかないだろ 痛みさえ抑えれば問題ない 傷は焼いて塞いでくれ 」

「 これだから戦前の人間は ホーネットの部隊よ 傷くらいすぐ塞がるわよ どっちみち調査に2日は要するわ ゆっくり寝てなさい 戦闘になったら嫌でも動かなければならないのよ 今はその時の為に私の言うこと聞きなさい 」

「 うぅぅっ わかったよ 小夜さんたちとは連絡は 」

「 ホーネットの妨害波で携帯は使えないらしいの 山中でなければ有線が使えるから東京と連絡は取れてるはずよ 今こちらもトーマがケーブルを確保してるわ もう少し待って 」

 そう言いながらありさが優しく頭を撫でる。

「 あまり1人で背負い込もうとしないで ユウリは自分で思ってるほど強くわないわ 」

「 知ってるよ 昔よくあるひとから弱いと言われてた 」

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