第34話 kiss


「 やあ ツク 」

 彼は薄暗い病室のベッド脇に立っていた。

「 こっちに来てください 話しにくいです 」

 私はそう言ってパーカーを被った黒のスエット姿の彼の手を取りベッドの中へと導いた。

「 エロいことは禁止ですよ 店長 」

「 わ わかってるよ 」

 押し倒した悠吏の胸の上にそっと頭を乗せた。

「 ユキちゃんは大丈夫なんですか 」

「 あいつは実家に帰ってるよ 半年以上失踪してたからいろいろ大変なんじゃないのか 」

「 あいつって呼ぶんですね いいなぁ 私もそんなふうに呼ばれてみたいです 」

「 そ それは 正直言って僕はあいつが何考えてるんだかよくわかんないよ 話しは聞いたろ どうせ余計なことまで 」

「 聞きましたよ ベッドの中で甘えたら何でも教えてくれるって 」

「 あっのバカ あいつはある意味変態だ まともに相手するなよな 」

「 ユキちゃんは完全な三角関係を望んでます 私も危うく一線を越えそうになっちゃいました 」

「 ごめんツク 僕が悪いんだ 」

「 悪くないですよ 私のために死にそうになったんでしょ ユキちゃんが連れて帰ってくれた ユキちゃんは怖いんだと思います セブンスマートが無くなってしまうのが だから私たちが三角関係になれば また取り返すことが出来るって あのありふれた日常を そんなのムリなのに 私もそうでした 店長と その えっと SEXして なのに怖くなって無かったとこにしちゃいました やっと思いが遂げられたのに ありふれた日常の方を選択したんです そんなのムリってわかっていながら 」

「 人はみんなそうやって生きていくんだよ 間違えて失って それを繰り返して 僕なんて間違えてばかりで失ってばかりだ だからツクだけは失いたくはなかった なのにまた間違えた 」

「 間違えてないですよ だって私は今 好きな人の胸にいるんですから て こら そんなに抱きしめないでください 変な声出ちゃうから 」

「 だって やっぱツク可愛いんだもん 」

「 ユキちゃんも可愛いでしょ その優柔不断なとこが店長のダメなとこです 優しすぎます 七星さんのことだって ユキちゃんがいつ刀抜いて暴れ出すか気が気じゃなかったんですからね 」

「 マジでですか 僕さぁ ユキには正直身の危険を感じてんだよね 僕の長い人生の中で一番のピンチのような気がしてさぁ 」

「 店長が悪いんでしょ 何しんみり語ってんですか それよりやしろのこと話してくださいよ 」

「 その前にキスしてもいい 」

「 キスだけですよ 」




 鎮守ちんじゅもり


「 何をしておるユウリ 」

 女の子は男の背後についてまわり問い掛ける。

「 ガソリン撒いてんの 」

 男はポリタンクを手に社に液体をぶち撒けていく。

「 そうか 手伝ってやろうか 」

「 いいよ 」

「 ガソリンとは嫌な匂いがする水じゃな ワシは嫌いじゃ 」

「 じゃあ離れてろよ 」

 日中でも鬱蒼と異世界感を放っているこの杜は 夜ともなると更に異形を解き放つ。草木が風にサワサワと そしてザワザワと音を立て騒めき立ち 今から何が起こるのか心待ちにしている様子だ。

 木々の隙間から垣間見える欠けた月のある醒めた星空の下に千切れた雲がもの凄いスピードで流されていく。

「 ユウリ 腰のその段平だんびらはなんじゃ この前は持ってなかったろうに 何に使うのじゃ 」

「 僕の大切な人に祟ろうとしてる性悪な蟒蛇うわばみを退治するんだよ 鎌首を叩き落とす 」

「 妖怪退治か それはよい 知っておるぞ ユウリは呪われておろう ワシほどにもなればハナっから気づいておったわ ユウリの手に染み付いた返り血の匂いにな 今まで何人殺めたのじゃ どれほど退治してきた 安心するがよい これからはワシが手伝ってやろう 一緒にその呪いを解いてやろうぞ 」

「 遠慮するよ これからも1人でやっていく これは僕の罪だからね そして 今夜 僕はまた罪を犯す 」

「 ユウリはつれないのう それより月夜は何処じゃ 月夜にまた あぁぁん してもらうのじゃ 唄を一緒に歌うのじゃ あの娘も呪われておるがよき娘じゃ ユウリと月夜に子が授かったらワシが名付けてしんぜよう はよう作るがよい 月夜は何処におるのじゃ 」

 男はガソリンを撒いた社に紅い火を放った。

「 ヒメ もう終わりだ 」

 火の手のまわりは速く 一瞬に社を赤い舌の中に呑み込んでいく。立ち昇る黒煙は静寂な星空を毒に染めていく。

 男は女の子に向き直り、左手で長過ぎる刃物を抜き放つ。

「 蟒蛇ノ姫神 貴様の鎌首貰い受ける 」

 女の子は男の顔がよほど怖かったのか泣きだしてしまった。わんわんと、声を上げて、炎に赤く染まった顔を男の方に見上げて、大粒の涙をぽろぽろとこぼしながら。

 女の子はわんわん泣き続けた。




「 それでさぁ さすがに毒っ気抜かれちゃってさぁ 泣き止まないし しょうがないから炎の中から御神体を救出して連れて帰ったんだよ 大火傷して散々だったよ 」

 泣きじゃくるヒメを前にして困り果てた悠吏の顔が目に浮かぶ。

「 じゃあヒメちゃんはあそこにいるんですか 」

「 何回かヒョッコリ出て来たり社の中に居たことはあるよ 見つかると遊んでやんないといけないから大変なんだぞ でも あの場所じゃ力が弱過ぎる 土地神がその場を離れたんだからね 信仰してるのも僕だけだし いずれ消えて無くなるのかもしれないよ 」

「 どうして教えてくんなかったんですか ズルいです 」

「 ヒメは僕だけじゃなくツクも呪われていると言った それが気になってね 君がヒメに引き寄せられたんじゃなくって 君がヒメを引き寄せたんじゃないのかって そして呪われた僕も君に引き寄せられたんじゃないのかって すべてが君を中心に引き寄せられてるんじゃないのかってね ある意味 君は底無しの大穴なんじゃないのかってね だから秘密にした もともと燃やして無かったことにするつもりだったんだし 」

 私が底無しの大穴、すべてを呑み込む底無しの大穴、そうなのかもしれない。沢山の思いや気持ちを飲み干しても 未だ渇きは癒されることは無い。第1期混沌世界とは実は私が呑み込んだ世界の成れの果てなのかも知れない。なら私自身が混沌の王様なのだろうか。

「 店長は何に呪われてるんですか 」

「 終戦前にね 姉貴の脈打ち血の溢れる心臓を食べたんだ 自分が生き延びるためにね 復讐を果たすために 」

「 ウリンバラですか クニガミですか 」

「 ツクには敵わないな そうだよ 右鈴原と国神にだ 敗戦が濃厚になり国神は姉貴を儀式の贄として右鈴原を戦争という名の亡霊にしようとしていた 今後 禍を撒き散らす為のね 右鈴原と姉貴と僕は幼馴染みで姉貴とリンは許嫁でもあった 右鈴原は自らその任に就き 姉貴は自らリンの為に差し出したんだよ 僕には許せなかった 僕が駆け付けた時 姉の首は既に盛り土の上に転がっていて 首だけになっても美しい女だったよ ケモノらが姉貴の身体だった物を貪り食い その中に右鈴原の姿もあった 僕はそのまま右鈴原と 国神と ケモノらと 斬り結び 気がついたら自身の血の海に沈みケモノらに取り囲まれていてね その時 他のケモノらを掻き分けて 1匹の蒼く美しいケモノが進み出てきた 口に咥えていたモノを地に伏した僕の前に落として食えと鼻先で促すんだ それは脈打ち血が溢れ出す姉貴の心臓だった そのケモノは僕がどうするのか興味深げに観察してたよ 人として死を選ぶのか 人を辞めケモノとなるのか あとは察してくれ 」

「 ずっとクニガミとウリンバラを追いかけてるんですか 」

「 いんや 終戦後 生きていくのに精一杯でね しばらくは泥濘の中を踠き進む日々だった 手がかりを探しながら裏の世界にどっぷりハマっていって 自身の身動きさえとれなくなる始末だよ そして復興沸き立つ東京には刺激的で甘美なモノに溢れ返り僕もそれに飲まれていった 気が付けば右鈴原だの国神だの姉貴だの もうどうでもよくなっていたんだ それは新しい世界には必要無いものだった このままぐずぐずのままに年老いて死んでいくものとばかり思っていたんだけど でも そんなに都合よくいかないらしくってさぁ いつ迄経っても年老いない とは言ってもあっと言う間だったよ 自分より若かったヤツが寿命で死んだなんて聞くとさすがに時間を感じざる得ないけどね 」

「 クニガミが現れました どうするんですか 」

「 正直面倒臭いだけだよ 今更出てくんなって感じだ 今の僕にはツクやユキや七星やヒメの方が重要物件だからね 」

「 女の子ばっかりじゃないですか でも 安心しました これでやっと死ねる なんて言い出さなくって ウリンバラも出てきますよ 大丈夫ですか 」

「 やっぱそうなるよな どこにいるかわかる 」

「 鼠仔猫にいます 」

「 そりゃ好都合だ 全部一緒にちょちょいと片付けて来るよ 」

「 死なないでくださいね 」

「 ああ ツクこそ気をつけるんだぞ ツクのおばあさんが結んだ契約の内容がわからん以上 あの金属を手放しに受け入れるのは危険だ 下手をしたらツクが飲まれる可能性がある 常に制御するのは自分だと意識しといた方がいい 」

「 わかりました 」

「 それよりツク もっとキスしてもいい 」

「 キスだけですよ 」


 目覚めた時には彼はいなくなっていた。私は布団を手繰り寄せギュッと抱きしめながら、いなくなった彼の感触を求めて涙を流した。

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