第4話 「待った?」

「待った?」


 やって来た華月かづきは、満面の笑み。

 こいつ…辛い事があったばかりなのに…


「いや、五分ぐらい。」


 病院のカフェで待ち合わせ。

 華月は車椅子をロックすると。


「わっちゃん、あたし…アメリカに行く事にした。」


 って…


「…え?」


「高原のおじちゃまがね、アメリカの事務所にモデルが欲しいって。だから、向こうへ行こうと思うの。」


「行こうと思うって、おまえ…神さんはなんて?」


「行って来いって。行って…色んな人に会って来いって。」


「……」


 華月と付き合ってた詩生しおが、華月のマネージャーを妊娠させてしまった。

 華月の足の事で責任を感じていた詩生。

 きっと…色んな事が重なって、耐えられなくなったのだと思う。


「あたしね…もう、大丈夫。」


「……」


「ほら、偶然だけど立てた事があるじゃない?それにね、この前のリハビリでは、少しだけど…足が前に出たのよ?」


「…本当かよ。」


 自分の爪先を見つめる。

 俺は…何もしてやれないのか?


「だから、大丈夫。今まで、わっちゃんに頼りっぱなしで迷惑かけたけど…」


「何言ってんだ。俺、まだ何もしてやれてないぜ?」


「ううん。十分だよ。」


「……」


 華月は俺の手を取ると。


「わっちゃん…ずっと、あの時の事を気にしてるんなら…もう、全然いいんだよ?」


「華月…」


 俺の目をまっすぐに見て言った。


「誰か、大切な人がいるんでしょ?」


「え…?」


 突然の問いかけに、驚く。


「今まで、せっかくの休みもあたしのために使って…今度は、その人のために使ってあげて?」


「…そんな事、おまえが気にしなくていい。」


「ほら、やっぱりいるんだ。」


「華月。」


「あたしは、わっちゃんを助けたなんて思ってないからね。」


「……」


「だから、あたしを助けよう助けようって思わないで。ただ、少しだけ手を貸すぐらいの気持ちで…」


「……」


「アメリカの、いい病院…紹介して?」


「……調子のいい奴…」


 華月は、涙目。

 俺も…泣きたくなった。

 華月の目を見て、16年前の…あの出来事を思い出す。


 19だった俺は、突然のように自分の生き方に行き詰った。

 …自殺を考えた。

 二階堂と桐生院家で旅行に行った夜。

 俺は…崖の上に立ち尽くしていた。

 そこへ…どうしてだか、華月がついてきていた。


「わっちゃん、そこ、こあいよ。だめよ。」


 まだ4歳だった華月は、そう言って俺の手を引いた。


「なんでおまえここに…帰れ。」


「やだ。ひとりじゃこあいもん。わっちゃん、いっしょにかえよ?」


「俺は…もう帰らない。」


「じゃあ、かじゅきもかえあない。」


「…頼むから、帰れ。ほら、その道を真っ直ぐ行けば帰れる。」


「やだ。」


 華月はくいしばって、泣くのを我慢した。

 海を諦めた俺は、山に向かった。

 それでも…華月はついて来た。


「来るな!!」


「だめあよ、わっちゃん。まいごなゆよ!!」


 バカか。

 迷子になるのはおまえだ。


「わっちゃん、わっちゃん…」


「……」


「わ……ん…」


 だんだん、華月の声が小さくなっていって。

 俺自身より、華月の身の安全を考えた。


「…バカだなおまえ…」


 少し引き返すと、急斜面を上れなくなった華月が、俺を見上げた。

 暗がりで…4歳の女の子が…怖いだろうに、泣きもせず手を差し伸べて来る。

 その華月の手を掴むと、土や草で汚れてて。

 それを見た俺は…体中をナイフで刺された心地になった。


「…怖くないか?」


「わっちゃんがいゆもん。」


「……」


 月明かりしかない、山の中。

 来た道さえ分からなくなっていた。

 俺はいい。

 だけど華月は…


 俺は華月を抱きかかえると、その命を必死で守ろうとした。

 きっと華月は何が何だか分かってない。

 だけど、無意識にでも…差し伸べられた手は、十分俺を動かした。


 翌朝、捜索隊が俺たちを見つけた。

 華月は『わっちゃんが助けてくれた』と、みんなに言い。

 神さんにも、知花さんにも…泣きながらお礼を言われた。


 本当は道連れにしてやる気持ちさえあった俺に…

 ありがとう…ありがとう…何度も、頭を下げた。

 …俺が助けたんじゃない。

 俺が、助けられたんだ。



 一週間ぶりに会った華月は、俺の耳元でつぶやいた。


「とーしゃんとかーしゃんが、かじゅきがいきてゆのは、きせきって。かじゅきは、きせきがちゅくえゆんだって。だからね、かじゅきは、わっちゃんががんばえゆきせきをちゅくゆよ?」


「…奇跡…か…」


「うん…わっちゃん…」


「…ん?」


「きせきって、なに?」


「……ふ…っ…」


 涙が止まらなかった。

 こんな小さな女の子を、俺は道連れにしようと思ったなんて。

 俺を信じて疑わなかった、華月を…


 本当は…明確だった死にたい理由。

 だけど誰にも明かせるわけなんてなかった。

 朝霧家の末っ子として、親からも兄姉からも甘やかされた俺は…

 何でも手に入ると思っていた。

 だけど手に入らなかった。


 それが…死にたくなった理由だなんて。



「帰ってくる時は、歩いてるから。」


 ふいに、目の前に華月が真顔で言った。

 あの夜、俺に手を伸ばして来た華月の顔と重なる。

 …俺が今生きてるのは…ほんと、こいつのおかげだ。

 ブレっぱなしの人生で、誇れる事なんて一つもないけど。

 それでも…華月に対しては、誠実でありたいと思ってしまう。


 華月と同じ目線になって。


「…だよな。おまえは、奇跡が作れる奴だからな。」


 そう言って額を指で突くと。


「うん…。あたしも、そうだって信じてるから。」


 華月は…きっと奇跡を起こす。

 それは、俺も信じてる…。



 * * *



「は……」


 溜息もかすれるほどの脱力。

 昨日、華月がアメリカに発った。

 華月に励まされたものの、俺はあれからも空と会えないまま。


 いつものケンカとはわけが違った。

 あいつ…本気で怒ってたよな…

 もう、会わないって…

 それもこれも、俺が悪いんだけど。


 もう、一ヶ月以上会ってない。

 こんな事は初めてだ。

 会いたい。

 空に…会いたい。



 車をガレージに停めて、エレベーターに乗り込む。

 …何か口実を作って会いに行こうか…

 それとも偶然を装って…


「…あ。」


 色々考えながらエレベーターを降りると、空。


「……」


「ち…ちょうど良かった。話があるんだ。」


「…あたしは別にないから。」


「待てよ。」


 腕を掴む。


「少しだけでいいから。」


「……」


 俺の言葉に、空は少しだけ間をあけて歩き始めた。

 玄関を開けて中に入る。


「何か飲むか?」


「要らない。」


「まあ…座れよ。」


「ここでいい。話って?」


「……」


 こいつ…本気で…?


「…何か用があって来たんじゃないのか?」


「合鍵、もう一つあったから。それと、本とか返しに。」


「……」


 今まで…

 あんなに、この部屋が似合ってた空が。

 まるで初めてのような違和感。


「…何もないなら、帰る。」


「待てよ…」


 帰りかけた空の手を取る。


「本気なのか?」


「…何。」


「本気で…俺と別れるのか?」


「…別れるって…あたし達、そもそも付き合ってたのかな。」


「……」


「お互い、都合のいいように会って寝てただけでしょ。もう、そういうのはいいかなって。」


「俺は…嫌だ。」


「……」


「確かに、温泉の事も…沢渡君の事も、俺が悪い。でも…おまえだから、甘えてしまうんだ。」


「……」


 空の表情が、一瞬変わったような気がした。


「そばにいてくれ。」


「…無理だよ…」


「おまえなしで生きてくなんて…辛すぎる。」


「……」


 俺の口から出たとは思えないような言葉。

 でも、本心だ。


「もう、離さない。」


 抱きしめる。


「わっちゃん…離して。」


「いやだ。」


「わっちゃ…」


 想いを込めて、キスをする。

 そして…



 * * *



「先生、何かいい事でもあったんですか?」


「え?」


 婦長にそんな事を言われて、口元を引き締める。


「いや、別に。」


 本当は昨日の今日で…嬉しくてたまらない。

 空が帰って来た。

 今日も仕事が終わったら食事の約束をしている。

 ああ、たまには花でも買って帰ろうか。

 あいつ、好きな花とかあるのかな。


「ああ、いたいた。朝霧先生。」


 俺がデスクでニヤニヤしていると、医局長がやって来て。


「これ、目を通しておいて。」


 って…


「…これは?」


「A市の総合病院の院長の孫娘。」


 手渡されたのは、写真。

 着物の女性がニッコリと…


「それで?」


「それでって、お見合いしかないでしょ。」


「お見合い!?」


 俺が口に出そうとする前に、ナース達が声を張り上げた。


「…ほらな?朝霧先生が結婚しないから、大勢のナースが夢を見て独身のままでいるんだよ。」


「いや、それは別に俺のせいでは…」


「彼女、いないって言ってたよな?」


「あー…それが、その…今は…」


「なんだ、いるのか。」


「はあ…まあ…」


「いい話なのに。」


 医局長の言葉に、俺は意を決して。


「すみませんが、お断りください。」


 キッパリ。


「…そうか。ま、早く結婚する事だね。じゃないと、君は色んなところから目を付けられてるから。」


「…ご指導ありがとうございます。」


 医局長が写真と共に去ると。


「先生っ、彼女って、沢渡さんですか?」


 カーテンの向こうから、佐野君が出てきた。


「な…なんで…」


「あーっ、動揺してるーっ。」


「いいから仕事しろ。」


「はーい。」


 佐野くんはクスクス笑いながらカルテを持って出て行った。

 俺は大きく溜息をついて。


「結婚…か。」


 流れまくっている決断を、そろそろ決めたい。と思っていた。



 * * *



「…おかえり。」


 わっちゃんが、予告通り8時に帰って来た。

 こんな事、めったにないのに。

 なんと、花束まで抱えてる。


「ただいま。」


 満面の笑み。

 なんだか…照れくさい。

 あたしはキッチンで食事の支度。

 久しぶりだから、気合いが入ってしまった。


「空。」


「?」


 後ろから抱きしめられる。

 今までだったら…あたしがキッチンにいると、わっちゃんはリビングのソファーにいたのに。


「ずっと一人で寂しかった。」


「…誰か連れ込んでたんじゃないの?」


「まさか。」


 …確実に変わってしまった気がする。

 あたしも、わっちゃんも。

 少しだけ不安になる。

 こんなの…上手くいくのかな…


「空…」


 キスされると…どうも弱い。

 この男、キスはとびきりなんだよな…

 もっと、って。

 つい、お願いしたくなるほど。


『ピンポーン』


 ……


 顔を見合わせる。


「…誰か来たよ。」


「いい、ほっとけ。」


「沢渡さんじゃないの?」


「なんで。」


「だって…なんかいい雰囲気だったし。」


「根に持ってるか?」


「当たり前でしょ。」


「悪かったって…」


 また、キス。

 んー…誤魔化されたくないのに、このキスは拒めない。


 ピンポーン


「…鳴ってるよ。」


「……」


 わっちゃんは不機嫌そうにあたしから離れると。


「はい。」


 インターホンに出た。


『あ、先生?佐野でーす。』


「…佐野君?」


『沢渡さんも一緒ですよっ、もちろん。』


「もちろんって…」


 インターホンからは賑やかな声。

 きっと、佐野さんとやらと、沢渡さん以外にも、人がいる。


『お邪魔していいですかー?』


「ダメ。」


『えーっ、どうしてですか?』


「どうしてもダメ。帰ってくれ。」


『せっかくみんなで来たのにー。』


「ダメ。」


 …どうして…

 どうしてわっちゃん、あたしの事、言わないんだろう。

 今までは、そんな事どうでも良かったけど…

 最近、秘密がむなしい。


「だからダメなものは…」


 わっちゃんがエプロンを外してるあたしを見た。


「…帰る。」


「なんで。いいからいろよ。」


「これ、あの人達と食べて。」


 あたしは早口にそう言うと、玄関に向かう。


「待てよ空。」


「やっぱり、もうダメなのよ。」


「空。」


「あたし、もう…わっちゃんを信用できない。」


「……」


 あたしの言葉に、わっちゃんは言葉を失くして立ち尽くした。


『先生ー?』


 インターホンから、看護婦さん達の声。


「…じゃ…」


 あたしはドアを開ける。

 冷たく閉まるドアの音が、廊下に響いて胸が締め付けられた。

 今度こそ…終わり。



 エレベーターで下に降りると、まだ看護婦さん達がウロウロしてた。


「あ…」


 沢渡さんともろに目が合って。


「…こんばんは。」


 小さくそう言って、バイクに向かってると。


「空!!」


 後から、わっちゃん。


「あ、先生。」


 看護婦さん達が、一斉にわっちゃんの方に向かう。

 あたしは知らん顔してバイクにまたがる。

 エンジンを…


「結婚しよう。」


 あたしがキーを回しかけた瞬間。

 わっちゃん、あたしの手を押さえて、そう言った。

 看護婦さん達が、口を開けて立ち尽くしてるのが、視界の隅っこに入る。


「…何言ってんの?」


「言ったろ?もう離さないって。」


「言ったでしょ。わっちゃんの事、信用できないって。」


「空、だからそれは…」


「苦し紛れに結婚しようなんて言わないで。」


「苦し紛れ?苦し紛れなんかじゃないよ。」


「もうやめて。あたしは…あたしが思うようにするから。」


「…富樫って奴とか?」


 ふいにわっちゃんから富樫の名前が出てきて。

 あたしは…なぜか赤くなってしまった。


「…そっか。」


「……」


「おまえが、あいつの方がいいって言うなら…仕方ないよな…」


「……」


「…悪かった。」


 わっちゃんはそう言うと、看護婦さん達の方を見向きもせず、マンションに入って行った。

 あたしはしばらくぼんやりとしてしまったけど。

 エンジンをかけて…その場を離れた。


 …どうして…こんな事になっちゃうの?

 好きなのに…

 信用できないなんて…。





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