第3話 「ったく…ムカつくな。」
「ったく…ムカつくな。」
二泊三日の温泉旅行。
一人で満喫してしまった。
美味しい料理もたらふく食べたし、美味い酒も浴びるほど飲んだ。
ただ、二人で予約してたのに一人で行って、しかもハイテンションで過ごしてたせいか…宿の人たちはヒヤヒヤしてたみたいだ。
男に裏切られて自殺ー…なんて。
温泉を最後まで満喫したあたしは、嫌味にもわっちゃんにお土産を買った。
それを持ってマンションに。
あの男、どうしてやろう。
「あいたたた…」
少しだけ、左腕の傷が疼く。
抜糸もまだなのに、調子に乗って熱いお湯に浸かり過ぎたかな…
直接湯には浸けなかったけど、のぼせる寸前まで湯舟に浸かってたし…
お酒もたくさん飲んだし…
酔っぱらってて、何もかも適当だったし…
暗証番号を打ち込んで中に入る。
エレベーターで8階に上がって、手慣れた調子で鍵を開けて中に…
「…ん?」
玄関に、女物の靴。
…誰。
「…先生?」
あたしが不審そうに靴を眺めてるとこに…知らない女が登場した。
「……」
「……」
「あの…どちら様でしょうか…」
ピキッ。
どちら様だあ!?
それは、こっちのセリフよ!!
「ああ、失礼しました。親戚の者です。旅行に行ってきたので、お土産を持ってきました。」
親戚なんて、大嘘。
だけど、友達とか、妹とか。
そんなの、言いたくなかった。
そして、ここで帰るのも嫌だった。
「上がって待ちますね。」
「えっ…あ…」
…なんでエプロンしてるわけ?
キッチンからは、いい匂いもするわよ。
まるで自分の家みたいじゃない。
何なの。
誰なの。
あたしがリビングのソファーにふんぞり返ると。
「あの…申し遅れました。看護婦の
「沢渡…さん。」
ふいに蘇る、あの夜。
あたしを残して、一時間で帰ると言いながら帰って来なかったわっちゃん。
そして、わっちゃんとドライヴしてたって噂になってた…沢渡さん。
あの、沢渡さんか。
くっそぉ…
「あ、おかえりなさい。」
ふいに、沢渡さんが小走りで玄関に向かった。
「ただいま。」
ふん。
まるで夫婦だな。
わっちゃんはあたしの靴にも気付かなかったのか、リビングに入ってあたしの姿を見て驚いた。
「き…来てたのか。」
「おかえり。」
あたしは不機嫌な顔。
「あの…お土産を持って来られたので…」
あんたは女房か。
「おみやげって…」
わっちゃんが紙袋の中を覗き込む。
「どこに行ってたって?」
紙袋の中は、大量のカルルス煎餅。
あたしは不機嫌な顔のまま。
「じゃ、すぐ夕食にしますね。」
沢渡さんがキッチンに向かうのを見て。
「…悪いな。」
わっちゃんがあたしに近寄って小声で言った。
「…あの人、ここに泊まってんの。」
「……」
「今日泊まろうと思ってたのに…」
「怒ってんのか?」
「怒らないと思う?」
「だよなあ…」
あたしとわっちゃんが押し問答してると。
「支度ができましたけど…」
沢渡さんが遠慮がちに声をかけて来た。
「ああ、ありがと。さ、食べるぞ。」
わっちゃんは、笑顔。
…何よ。
この、スケコマシ。
「美味そうだ。いただきます。」
テーブルには、すき焼き。
「先生、白ネギ、こっちは煮えてますよ。」
「わっちゃんはネギ嫌いなんですよ。」
あたし、そのネギを取って食べる。
「え…でも昨日は…」
「あ、ああ、食べるよ。バカだな。それは昔の話だろ?今は食えるんだって。」
カチン。
あたしが作った時は、食べなかったじゃないかっ!!
「何よ。カッコつけちゃって。」
「
あたしはガーッとご飯をかきこむと。
「ご馳走様でした。」
手を合わせる。
そして。
「帰る。」
立ち上がった。
「あ、あの…」
「ご馳走様でした。お幸せに。じゃ、失礼します。」
何か言いたそうな沢渡さんにお辞儀して、玄関に向かう。
「…おい。」
すぐにわっちゃんが追って来て。
「感じ悪いな。」
あたしの腕を取った。
「痛い。」
「何が。」
「腕だよ、バカ。」
「あ?あ…ああ!!悪い。大丈夫か?」
怪我の事も忘れてるなんて…
「…良かったね。いい彼女が出来て。」
嫌味たっぷりにそう言うと。
「おまえ…すげーやな奴だぜ?」
わっちゃんも、嫌味たっぷり。
「わっちゃんのせいだもん。」
「……」
わっちゃんは大きく溜息をついて。
「…しばらく、来るな。」
って…
「……」
わっちゃんを見上げる。
目が、怒ってる。
…何なのよ。
怒りたいのはこっちだよ。
温泉旅行しようって喜ばせといてさ。
すっぽかした挙句、その間に女連れ込んでるなんて。
冷静に考えてると、一気に萎えた。
こんな男のために憤慨するのもバカらしい。
「…そ。分かった。」
あたしはポケットから鍵を出して。
「ん。」
わっちゃんに渡す。
「……」
「持ってると来ちゃいそうだから。あの人にあげれば?」
嫌味も含めて言ってやる。
バカ。
大バカ。
心の中で叫びながら。
「じゃあね。」
それでも何も言わないわっちゃんに、背中を向けて。
あたしは行き場を失くした感情を、持て余すしかなかった…。
* * *
『二階堂様、二階堂空様。』
…空?
外来ロビーを歩いてると、アナウンスが聞こえた。
結局、空とはあれから二週間会ってない。
沢渡君は元気になって、自分の家に帰ったものの…たまに電話をかけてくる。
あの状況じゃ、空が怒るのも誤解したのも仕方ないとは思いつつ…
またいつもみたいに、時間が空けばぶらりとマンションに来るだろうと思…
あ。
部屋の鍵…返されたんだっけな…
それに…抜糸にも来なかったよな…あいつ。
少しだけロビーを見渡す。
あのアナウンスは、清算の三番窓口だな。
さりげなくチェックしてると…
いた。
…え?
左腕…吊ってる?
どうしたんだ?
声をかけようと足を進めて…止まった。
男が、空の肩を支えた。
…誰だ?
見た事ない奴だな…
空は、その男と病院を出て行った。
俺はそれを眺めた後、医局へ向かう。
「…滝口先生。」
医局に行くと、居たのは滝口先生一人。
「はい?ああ、朝霧君か。」
「あの、今日…二階堂って患者が来ましたか?」
「二階堂?ああ、来たよ。背の高いカッコいい女の子だろ?」
…やっぱ、あいつ目立つんだな…
「治療に来たよ。」
「治療?」
「君が縫合したんだって?」
「はい。」
「どこのヤブに抜糸させたのか知らないけど、女の子なのに膿んで腫れて大変さ。あれじゃ、せっかく君が綺麗に縫合したのに傷痕が残る。」
「…膿んでた?」
「歩くだけで痛んでたらしい。」
「……」
あいつ…
「ありがとうございました。」
お礼を言って医局を出る。
そのまま中庭に出て、海の携帯に電話した。
『もしもし。』
「あ、海?俺。渉。」
『わっちゃん?何。』
「空…ちゃん、抜糸に来ないんだけど。」
『あー…どこかで抜いて酷い事になってさ。今日そっち行ったはずなんだけど。』
「あ、そ?俺今日外来じゃないんだ。」
『あいつバカだから、抜糸前に熱があるのに温泉なんて行ってさ。』
「…熱?」
一人で行かせてしまった、あの温泉…か?
『熱い湯に浸かった上に、大酒かっくらったって。もう子供じゃないんだからって親父に叱られて、渋々病院に行ったけど。』
「…一人で?運転して?」
『いや、新人が一緒。空の大学の同期とかって盛り上がりついでに組ませてる奴。』
「へえ…」
大学の同期。
「もしかして、富樫って奴?」
『なんだ。わっちゃん、富樫を知ってんだ?』
「いや、ちょっと小耳に挟んだ程度。」
カナールでの会話が蘇った。
空をずっと思い続けていた男。
―空港で会ったぜ?なんか、すっげーいい男になってた―
空を支えた手。
優しい眼差し。
…あいつか。
* * *
「サンキュ。」
富樫に手を貸してもらって、車から降りる。
「結構ひどいですね。安静にしてて下さい。」
「そんな事言われてもねえ…」
「どうだったの?」
庭を歩いてると、母さんが心配そうに声をかけて来た。
「化膿しているので、しばらく安静にという事です。」
「うるさいな、富樫。」
「空。」
「だって。」
「しばらく休みなさい。」
「そんなの…今忙しいのに。」
「いいから。完全に治してから復帰して。いいわね?」
「…はーい…」
唇を尖らせたまま洋館に入る。
「大丈夫ですか?」
「ほっといて。」
富樫に八つ当たりして、さっさと階段を上がって部屋に入る。
「あーあ…」
大きく溜息。
…富樫は何も悪くないのに。
八つ当たりなんてして、あたし子供だ。
ベッドに横になって、三角巾を外す。
痛む左腕にそっと触れながら、目を閉じた。
もう二週間…わっちゃんに会ってない。
わっちゃんとは、もう会わない。
そう…決心したから。
なのに、あの病院に行っちゃうなんて…
未練タラタラだよ…
『入っていいですか。』
ドアの外から、富樫の声。
「…うん。」
「薬です。」
「あー…ありがと。」
ゆっくり起き上がる。
「…ごめんね。」
「え?」
「さっき、冷たい言い方して。」
「いいですよ。」
何となくむず痒い。
富樫に敬語使われるのって…まあ、仕方ないんだけど…
「それにしても驚き。富樫がドイツの部署にいたなんて。」
「私も驚きました。ヤクザだと思ってましたから。」
顔を見合わせて、笑う。
「本当に…夢みたいです。そ…お嬢さんと働けるなんて。」
「え?」
「いえ、安静にしてて下さいよ?」
「はいはい。」
いい奴。
富樫が部屋から出て行くのを見届けて、薬を飲む。
「にっがあ…」
何、この薬。
苦いなあ…
「ほんと…苦いな…」
泣けてしまった。
あたし…何してんだろ…。
* * *
「なんで俺の外来に来ない?」
目の前に、わっちゃん。
滝口先生に診てもらおうと病院を訪れると。
待ち伏せしてたのか…ロビーでわっちゃんが腕組みして言った。
…別にここに来なくていいのに。
二階堂には、二階堂の者だけが通う医者があるんだから…そっちに行けばいいのに。
あたし、わっちゃんに対して気持ちが萎えた。って思ったはずなのに…
やっぱり未練だよね。
わっちゃんがいる場所を選んで来ちゃうなんてさ…
…でも。
やっぱり許せないよ。
あたしを一人で温泉に行かせて、沢渡さんと毎日楽しく夫婦ごっこみたいにさ…
旅行に誘ってくれた時、あたしは浮かれたんだよ…?
あたしは一瞬だけ、わっちゃんを見つめた後。
「…だって、ヤブなんだもん。」
目を逸らして、うつむく。
「誰が。」
「先生。」
「…話がある。」
「……」
「今夜、来てくれないか?」
「行かない。」
「空。」
「来るなって言われたり来いって言われたり。そのたびに言う事聞いてたら、あたしって都合のいい女みたいじゃん。」
言いたい事を、言い切る。
でも、わっちゃんは。
「絶対来い。」
って、無理矢理…あたしに鍵を握らせた。
「…バカ。」
「バカはおまえだろ?」
「なんでよ。」
「熱があるのに温泉行くか?」
カッとなってしまった。
あたしは鍵をわっちゃんに投げつける。
「どうせあたしは大バカよ!!」
大きな声を出してしまって、一気に注目を集めてしまった。
「でも…じゃあ…あたしは、わっちゃんの何?あたしをバカにさせてるのは…わっちゃんじゃない…」
ズキンズキン。
左腕と一緒に、胸も痛む。
あたし…いつからこんなに…わっちゃんを好きだったの?
「空…」
わっちゃんが驚いた顔してる。
あたしが、らしくない事言うから。
「…もう会わない。」
「……」
「じゃあね。」
辛くて、苦しくて…胸が張り裂けそう。
人を想うって、こんなに苦しい事なの?
追いかけて欲しかったのに、足音は聞こえなかった。
腕も掴んでもらえなかった。
夫婦ごっこに選ばれたのは、あたしじゃなくて沢渡さん。
もう…潮時なんだ…。
「…バカ…」
小さくつぶやくと、一筋…涙が頬を伝った。
地面に落ちたそれを見つめながら…
あたしは、気持ちを閉じ込める決意をした。
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