第2話 「いいよ兄貴。」

「いいよ兄貴。」


「よかないさ。こんなに切れてるのに。」


 真夜中。

 あたしは、兄貴に腕を引かれて。

 わっちゃんの病院に連れて来られた。

 と言うのも。

 チンピラのケンカの仲裁に入って…久しぶりに暴れたのはいいけど。

 何時の間にやられたのか…気が付いたら左腕から血がダラダラ。


 …あたしも、まだまだだな…


 基本、二階堂の者は二階堂御用達の病院に行くんだけど…

 …ケンカの仲裁でのケガなんて、恥ずかし過ぎて行けない。って駄々をこねたら…

 兄貴がここに連れて来た。



「ったく、鈍いって言うか我慢強いって言うか…」


 真夜中の病院ってヒンヤリする。


「すみません。先ほど連絡した二階堂と言います。」


 兄貴が夜間受付のドアを叩いて言うと。


「ああ、今…あら、先生電話に出ないわね…ちょっと呼んできますね。」


 処置室に案内されて、年輩の看護婦さんがパタパタと小走りに部屋を出て行った。


「嘘っ…」


「しーっ。」


 カーテンの向こうから、看護婦さん達の声。


 なんだ。

 若い看護婦がいるなら、若いのが行けよ。

 そう毒気付きながら、血のにじんだシャツをボンヤリと眺めてると…


「ショックー…朝霧あさぎり先生、目つけてたのに…」


「本当なの?沢渡さわたりさんとドライヴしてたって。」


「本当よ。おとといの夜。」


「ガーン。」


「……」


 …カーテンの向こう側。

 わっちゃんの噂話で盛り上がってる。


 沢渡さわたりさんって…マンションまで来た人か。

 何よ。

 本当に慰めてもらってんじゃないわよ。



「…すげえな。わっちゃん、モテてんだ。」


 兄貴が小声で言った。


「…そうみたいね。」


 あたしとわっちゃんの関係は、誰も知らない。

 みんなの前では『先生』なんてかしこまって呼んでるし。

 わっちゃんも、あたしの事『そらちゃん』って呼ぶし。


「こちらです。」


 さっきの看護婦さんが戻って来た。

 その傍らには…わっちゃんが。


「あ、夜勤の先生って、わっちゃんなんだ。」


 兄貴が安心した声で言った。

 わっちゃんは白衣に腕を通しながら。


「どうした。何で切った?」


 って、あたしを見た途端…険しい顔。


「ケンカの仲裁に入って、たぶんナイフで…」


「おまえ、そらは女なんだぞ!?」


「……」


 わっちゃんがいきなり怒鳴って、あたしも兄貴も固まった。

 …初めて、兄貴の前で呼び捨てられた。


「ああ、悪い…鈴木さん、消毒。」


「は、はい…」


 わっちゃんの剣幕に、看護婦さんも固まってる。

 カーテンの向こうの声も、聞こえなくなった。


「縫う?」


 兄貴の問いかけに。


「縫わないといけないな。」


 わっちゃんは、ぶっきらぼうに答えた。


 何よ。

 なんでそんなに不機嫌なわけ?


 わっちゃんは手際よく麻酔を射つと、手慣れた感じで縫い始めた。


「他に痛い所は?」


「別にないです。」


「……」


 ぶすっとしたまま答えると。


「外来の予約を入れよう。明後日、必ず診察受けるように。」


 わっちゃんはあたしの腕に包帯を巻きながら言った。


「仕事があります。」


「傷が残るぞ。」


「別にいいです。」


「……」


 あたしとわっちゃんのやり取りを、静かに見てた兄貴が。


そら、仕事はどうにでもなるから。わっちゃんの言う通り、ちゃんと診察受けろ。」


 あたしの頭をポンポンとして言った。


「…分かった。」


 不機嫌な顔のまま、あたしは痛み止めをもらって兄貴と一緒に病院を出た。



 * * *



「…なんか、変な感じ…」


 わっちゃんの肩にもたれて、つぶやく。

 今日、約束通り…外来で診察を受けた。

 わっちゃんは、看護婦さんに何かを取りに行かせてる隙に…あたしに映画のチケットを渡した。


「…今夜、待ち合わせて観に行こう。」


 小声でそう言われて…

 なぜだか、不機嫌だったあたしは、どこかへ行った。



「何が変な感じ?」


「わっちゃんと映画館にいるのが。」


「俺は楽しいぜ?」


 あまりにも正直な答えに、嬉しくなる。

 まるで恋人同士だな。


「おまえがスカートってのも新鮮だな。」


 わっちゃんが、あたしの膝に手を置いた。

 約束が嬉しくて…つい、仕事が終わってオシャレしてしまった。



「やーらしいな。」


「なんとでも言ってくれ。」


 今まで部屋の中でしか会ってなかったから…こういうのって新鮮。


「今日、泊まる?」


「どうしよっかな…」


「泊まれよ。」


「…沢渡さわたりさんにも言った?」


「ばっ…」


「…何動揺してんのよ。怪しいな。」


「…妬いてんのか?」


「妬いてはないけど、根に持ってる。」


「何もないって。」


「だって…華月とだって温泉行ってるしさ…」


「あれはリハビリだぜ?」


「それでも。あたしとは温泉もドライヴもないのにさ…」


「……」


 わっちゃんはあたしの髪の毛をもてあそびながら。


「やっぱ、今夜泊まれ。」


 耳元で…囁いた。


「…命令?」


「相談したい事があるから。」


「何の相談?」


「……」


 あたしの問いかけに、わっちゃんは無言。

 不審に思ってわっちゃんを見ると。


「…温泉旅行の相談。」


 って、わっちゃんはあたしの頭に唇を落としたのよ…。



 * * *



沢渡さわたりさん、お母様が亡くなったんですって。」


「ああ、それで最近見かけなかったのね。」


「母一人、子一人だったんですって。」


「まあ…それは辛いでしょうね…」


「おとなしい子だから、気付かなかったわ…」


 異動があって一週間。

 うちのチームにはならなかったものの、滝口先生のチームになって心機一転頑張ると言っていた沢渡君。

 姿が見えないと思ってると…この噂。

 気の毒に…。

 じゃあ今はアメリカかな。



「それじゃ、お先に。」


 いち早く仕事を終え、カバンを抱える。

 今日から空と温泉旅行。

 新幹線の指定席で待ち合わせ。

 さすがに、今までの華月と行く療養旅行とは違って、存分に楽しめる気がする。


 車を飛ばしてマンションへ。

 荷物は夕べ空が詰めていてくれたから、それを持ってタクシーに乗るだけだ。


 夕暮れが夕闇に変わり始める。

 ここ数日は天気も良さそうだし、どんな旅になる事やら…

 あいつの事だから、料理は美味くないと文句言いそうだし。

 景色にもうるさいはず。

 そう思って、自分の持ってるコネをフル活用した。

 景色も料理もイケてる温泉。


 そこで…そろそろ俺たちの関係について、ハッキリさせたい。

 俺は…結婚したいと思ってるが…

 空はどうなんだろう?


 いつまで経っても、誰一人、俺との関係を明かさない。

 もしかして、遊ばれてるんじゃないだろうか…なんて思いもあったが。

 …沢渡君や華月に、根に持ってる。というセリフのヤキモチを妬くぐらいだ。

 きっと、俺は想われている。


「…ん?」


 駐車場に車を入れて表に回ると。

 マンションのエントランスに人がうずくまっている。


「どこか具合でも?」


 顔色を覗き込みながら声をかけると…


「先生…」


 顔を上げたのは、沢渡君だった。


「君…どうしてここに?」


 母親が亡くなって、アメリカにいるんじゃ?


「あたし…どうしたらいいか…」


 沢渡君は立ち上がったかと思うと、俺の腕に寄りかかって。


「これから、一人で…どうしたらいいのか…」


 小さな声で、つぶやいた。


「と…とにかく、中へ…」


 暗証番号を打ち込んで扉を開ける。

 エレベーターの中でも、沢渡君は憔悴しきった顔でうなだれていた。


「ほら、足元気を付けて。」


 玄関のドアを開けて、中に入れる。

 …痩せたかな…


「ここに座って落ち着いて。」


 ソファーに座らせてお茶を入れる。

 …無理もないよな…

 心臓を患ってるって言ってたっけな。



「あたし…親不孝者ですよね…」


 お茶を一口飲んで、沢渡君はそう言った。


「どうして。」


「母さん…早くおいでって言ってたのに…あたし、もう少し、もう少し…って…」


「……」


 自慢じゃないが、軽いノリの女としか付き合った事がない。

 空も、決して軽くはないが重たいわけでもない。


 こういうのは得意分野じゃないんだよな…

 …嫌いなタイプじゃないけど…


「…後悔しない方がいいんじゃないかな。」


 とりあえず、語る。


「…え?」


「君が後悔したら、お母さんだって悲しむよ。君は自分の仕事に情熱を注いでて、それをやり遂げてからって思ってたんだから…その気持ちはお母さんに伝わってるんじゃないかな。」


「先生…」


 次の瞬間。


「…え。」


 沢渡君は、俺の胸に飛び込んできた。


「お…おい。」


「少しだけ…」


「……」


 そう言われちゃ、拒むわけにもいかない。


「…辛かったね。」


 そう言って頭を撫でる。

 俺の言葉に気が緩んだのか。

 沢渡君は、しばらく泣き続けていた。



 * * *



「…ごめんなさい…」


 か細い声。


「いいさ。」


 ソファーに座って、沢渡君に肩を貸している。

 …なかなか、いいムードだ。

 なんて思ってしまうのは、非常識だろうか。


「葬儀が終わって…こっちに帰った途端、どうしたらいいのかって…そしたら先生の顔が浮かんで…」


 可愛いじゃないか。

 俺の事を一番に思い浮かべるなんて。


「一人になるのが怖くて…」


「落ち着くまでいればいい。」


「…え?」


 つい、言ってしまった。


「落ち着くまで、いていいよ。」


「先生…」


 沢渡君は、意外そうな、それでいて嬉しそうな目。


「ただし、誰にも言うなよ?」


「ありがとうございます…」


 今度は、安堵の涙。

 いちいち泣き方も可愛らしい。

 女の子らしいと言うか…


 …空が泣いた所…見た事ないな。



 ♪♪♪♪♪


 ふいに電話が鳴った。


「ああ、ちょっとごめん。」


 沢渡君から離れて、受話器を取る。


「はい。」


『………何やってんのよ。』


「………あ。」


 やばい。

 ……忘れてた!!


「…今は…?」


『もう着いたわよ。あたしに一人で泊まれって言うの?』


 当然だけど、空の声はかなり怒っている。


「悪い…ちょっと…ダメなんだ。」


 できるだけ小声で言うと。


『そこに居るって事は急患じゃなさそうね。』


「あー…」


『もういい。じゃあね。』


「お、おい。そ…」


 …切れた。

 うわー。

 非常にマズイ。

 言い出した俺がこれじゃ…



「先生…?」


 ソファーから沢渡君の不安そうな声。


「え?」


「何か…予定があったんじゃ…?」


「いや、別に。」


 とりあえず、笑ってみせる。

 仕方ない。

 空には、また別な埋め合わせをしよう。


 俺は、のんきにそんな風に思いながら。


「何か食べるぐらいの元気は出たかな?」


 沢渡君の顔を覗き込んだ。

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