いつか出逢ったあなた 19th

ヒカリ

第1話 「ああ、来てたのか。」

「ああ、来てたのか。」


「おかえり。」


 あたし、ソファーにうつ伏せになったまま、顔だけ振り返る。


「何読んでた?」


 わっちゃんがあたしの手元にある雑誌を覗き込んだ。


「これ。」


「ナンクロか。」


「簡単すぎてつまんないのよ。」


「だろうな。おまえなら。」


「冷蔵庫にケーキ入ってるよ。」


「作ったのか?」


「うん。」


 ネクタイを外す音。

 大学病院の外科医、朝霧あさぎり わたる35歳独身。

 その腕の良さは医療業界ではかなり有名。

 さらに、その年に見えない若さと、ロッカーの父、兄、甥を持つ人気者のエリート医師。


 あたしは、二階堂にかいどう そら24歳。

 叔父が、わっちゃんの兄と同じバンド『SHE'S-HE'S』に所属している。


 昔からよく知った間柄ではあったけど…こんな関係になったのは、今から五年前。

 わっちゃんが30歳で、あたしが19の冬だった。


 突然の大雪で足止めをくらってるとこにバッタリ出会って、わっちゃんのマンションに泊めてもらったのが始まり。

 最初はただのお兄ちゃん的存在だった。

 わっちゃんも、たぶん…あたしを妹みたいに思ってたはず。

 あの日以来、なぜかあたしの足はここへ向いた。

 わっちゃんも、それを拒まなかった。


 あたしがわっちゃんに『男』として興味を持つようになったのは…アレだ。

 マンションの近くの公園で、わっちゃんが女の人とキスしてたのを目撃した。

 彼女かと思いきや、そうじゃなくて。

 でも、そのキスシーンはとてもきれいで…

 わっちゃんとキスがしたい。

 あたしにそう思わせた。


 あたしがそれを切り出したのは、翌年の春。



「ね、キスして。」


 あたしがそう言うと。


「は?」


 わっちゃんは一瞬目を丸くしたけど。

 あたしが抱きつくと、すぐに唇を重ねてきた。


 何となく…だけど。

 わっちゃんとキスしてると、自分がいい女になってる気がして。

 極上のキスだな。

 なんて思ってしまった。


 それからは当然のなりゆき。

 あたしの肌はわっちゃんと合うようで。

 わっちゃんは好きとか何とか言わないけど、マンションの鍵をあたしにくれた。

 ま、あたし自身…わっちゃんを好きか?って感じだけど。

 でも、一番安心して身も心も委ねられる人ではある。



「おまえ、明日仕事は?」


「本部で資料の整理。」


「泊まってくか?」


「うん。」


「じゃ、おもしろいもん見せてやるよ。」



 もちろん、あたしとわっちゃんがこんな関係だなんて、誰一人知らない。

 それが謎めいてて楽しかったりする。



「これ、おまえ用に作ってみた。」


 わっちゃんがパソコンを開いて言った。


「へえ、どうなるの?」


 あたしは画面を覗き込む。


「このパネルにある英語を、こうやって…開けて行く。」


「ほお。」


 わっちゃんが英単語を見て入力していく。


「進んでいくうちに会話になってく。」


「あー、ほんとだ。」


「英語だけじゃ物足りないどろうから、何か国語か入れてる。」


「そりゃどうも。で?この一面クリアしたら、次があるの?」


「あるある。一応ストーリーがあんだぜ?」


「どんなの?」


「人生ゲームみたいなの。おまえが間違って進むと、どんどん悪い言葉になってく。」


「…嫌味?」


「別に。」


 わっちゃんは頭がいい。

 我が二階堂家は代々IQの高い人間が揃っているから、当然と言うか…あたしも、兄貴も頭がいい。

 妹の泉は人より少しいいぐらいだけど、その分身体能力はズバ抜けて高い。


 そんなあたしに、わっちゃんの作るゲームはいつも刺激的だ。



「そういえば、華月かづきの調子どうなの?」


 思い出したように問いかける。


 華月かづきいずみと同じ年で、遠い親戚になる。

 モデルなんだけど、去年事故で下半身が麻痺してしまった。

 とてつもない努力をして、現在復帰を目指してるけど…


「ああ、精神的にもろいからな…今、詩生しおとゴチャゴチャしてるみたいだし。」


 詩生しおとは、華月かづきの彼氏。

 幼馴染って立場から、ようやく恋人同士になれたみたいなのに。

 …それより。

 わっちゃんは、どういうわけか華月かづきに弱い。

 弱いと言うか、かなり贔屓。

 ま、あたしも華月かづきは可愛くて好きだからいいけど。

 時々…弱みでも握られてるのかな。って思う事がある。

 そして、そんな弱み、あたしも知りたいな。って。


「おいおい、あっさりクリアするなよ。」


 わっちゃんがディスプレイを覗き込んで言った。


「もっと難しいの作って。」


 あたしの言葉に、わっちゃんはうなだれて。


「この一面だけで三日かかったのに…」


 って、低い声で言ったのよ…。



 * * *



「疲れてるみたいだね。」


 わっちゃんのゲームも終えてしまって。

 結局、またナンクロを読んでると…帰って来たわっちゃんは、いつになく不機嫌。


「…ああ。」


 あー、タイミング悪いな。

 帰ろうかな。


「じゃ、あたし帰るわ。」


 ナンクロを閉じて立ち上がると。


「…待てよ。」


 わっちゃんが、あたしの手を取った。


「…疲れてるんでしょ?」


「んー…て言うか、落ち込んでる。」


「ふうん。」


「慰めてくれよ。」


 優しく、キス。

 こういうところ、子供っぽくて可愛いなって思ってしまう。

 わっちゃんってあたしより11年上で、しっかりしてるとは思うけど…時々、すごく上手に甘えて来る。

 末っ子だからかな。



「あ、待って。シャワーする。」


「なんで。いいさ。」


「一日中外にいたんだもん。」


 離れると、わっちゃんは少しだけ溜息を吐いて、ソファーに寝転んだ。


「少しだけ、待っててね。」


 小さな声で言って、バスルームに向かおうとすると…



 ピンポーン



「……」


 顔を見合わせる。


「誰か来たよ。」


 なぜか、どういうわけか。

 ここに来客って…ない。

 わっちゃんは人付き合いが下手なのか、上手くかわしてるのか。

 あたしと居る時に来客なんて、今までに一度もない。



「…はい。」


 わっちゃんがインターホンに出ると。


『あっ、あの…』


 女の声。


「はい?」


『あの…沢渡さわたりです…』


沢渡さわたり…さん?」


『はい…あ、えーと…今度…外来になるんです…それで少しお話を…』


「……」


 わっちゃんが、チラリとあたしを見る。


「どうすんの。」


 小さな声で問いかける。

 わっちゃんはあたしに手を合わせながら。


「じゃ、ここを出た所にカナールってお店があるから、そこに居てくれる?」


 って。


『あ、はい…』


「すぐ行くから。」


『すみません。』


 わっちゃんはインターホンを切ると。


「わりいな…。」


 バスルームの入り口に立ってるあたしの所まで来て、前髪をかきあげた。


「30分で帰ってくるから。」


「無理だよ。」


「じゃ、一時間。」


「無理。あたし、帰る。」


「帰るなよ。」


「いいじゃん。沢渡さわたりさんに慰めてもらったら?」


「んな事言うなって。な?一時間。」


「…絶対一時間だからね?」


「OK」


 あたしの返事に、わっちゃんは嬉しそうな顔をして。


「じゃあな。」


 頬にキスをして、部屋を出て行った。


「…本当に一時間で帰って来いよ?」


 閉まったドアにつぶやきながら。

 あたしは、またもやナンクロを広げた。




 * * *



「あたし、先生のチームに配属させていただきたいんです。」


 突然そんな事を言われて、若干引いてしまった。


「いや…それは、俺が決める事じゃないし。」


 夜のカナールは若い連中のたまり場と化している。

 沢渡さわたり…ああ、そう。

 沢渡さわたり 慶子けいこ

 今年の新人の中で、一番だ。って、内科の立野たてのが目をつけてたっけ。


「婦長にお口添えしていただけませんか?」


「俺が?」


「他に方法がなくて…」


 おいおい。

 そんな事したら、あの婦長はすぐに『沢渡さわたりさんとどんな関係ですか?』って言って来るに決まってる。

 変な誤解はされたくない。


「別に俺のチームじゃなくても…ほら、滝口たきぐち先生のチームなんて優秀だし。」


「あたし…先生に憧れてナースになったんです。」


「え?」


「進路で悩んでた時に…ちょうどあの病院で先生に診ていただいて…最初は、優しい先生だなーって…」


「カッコいい先生だなーってのは、つかなかった?」


「あっ、も、もちろんつきました…」


「いいよいいよ、無理しなくて。」


「いえ、本当に…」


 赤くなられてしまった。

 思わず恐縮してしまう。

 こんなおっさん相手に。


「患者さんに接する先生を見てるうちに…ああ、病院っていいなあって。」


「それでナースに?」


「はい。」


 うーん。

 ちょっと嬉しいぞ。


「今すぐじゃなくても、いつかは俺のチームになる事もあるさ。」


「あたし…長くは居られないんです。」


「え?」


「母が重い心臓病で、今アメリカに居て…」


「そうか…」


 とは言っても、うちのチームに欠員はいないし。

 変に動かせて誤解されるのも困るし。


「ま…滝口たきぐち先生と相談してみるよ。」


「ありがとうございます!!」


「いや…どうなるか分からないよ?」


「それでも…ありがとうございます。」


 盛大に喜ばれてしまった。

 うーん…困ったな。

 まあ、とりあえずは明日、だな。


 それからしばらく、医療の話で盛り上がった。

 新人の沢渡さわたり君は、色々と勉強になる、とメモを取った。



「おー、ここ空いてるぞ。」


 ふいに隣のテーブルに、若い男が四人入って来た。


「あ、沢渡さわたり君、何か食べる?」


 沢渡さわたり君のカップが空になってるのを見て問いかける。


「いいえ、あたしは…先生、何かお忙しかったんじゃ?」


「…あ。」


 忘れてた。

 そら

 慌てて時計を…あ、時計してない。


「今、何時?」


「9時19分ですけど…」


 しまった。

 過ぎてる。


「あれっ…おい、あれ、そらじゃん。」


 …ん?


「おー、ほんとだ。」


 隣のテーブルの男達が、立ち上がって店の外を指差す。

 そこにはまさに、リュックを背負ったそらが、ヘルメットを被ってバイクにまたがるところだった。


「おーい…って、聞こえねーか。あいつ、この辺だっけ?」


「いや、違うだろ。」


「相変わらずかっちょいい女だな。」


 バイクが大きな音を立てて走っていく。

 俺は頭を抱えるしかなかった。


「先月映画館で会ったぜ?」


 ピクン。

 耳が大きくなる。


「男と?」


「いや、妹とだった。」


「男っ気ねえな。」


そらと言えば、富樫とがしとはどうなったのかな。」


 …富樫とがし?


「おーおー、そうそう。あったなあ。」


「何それ、俺知らね。」


富樫とがしの奴、すげーマジだったのに。そらって世界一鈍感な女。頭いいクセに。」


「言えてる!!」


「でも聞いたか?心理学の教室で…」


「あれか?富樫とがしそらにキスしたって。」


「それそれ。」


 …こいつら、察するにそらの同級生。

 心理学…そらが選択してたのは三年からだから…

 もう、うちに入り浸ってた頃。


「卒論出した日だっけ。」


 て事は…もう俺と…


富樫とがしそらに告白したんだよな。」


「長い片想いだったよなあ。」


「そしたらそらの奴、あっさり私も好きだよ、って。」


「あいつの好きって、ペットとか友達みたいな感覚だよな?」


「そ。それを富樫とがしは読めなかった。嬉しさのあまりキス。」


「やるじゃん、富樫とがし。」


「そしたら、そらが。」


「何すんの、って。」


「あはははは。ひっでぇ女。でも、あいつの性格知ってたら当然か。」


「おまけに、そんなキスじゃダメ、ってさ。」


「あははは!!ますますひでえ女!!」


「俺だったら再起不能。」


富樫とがし、今外国暮らしだっけ?」


「あ、見たぜ?先週。」


「どこで。」


「空港。すげー凛々しくて、一瞬誰か分からなかった。」


「元々いい男だったもんな。なんでそらはふったんだろ。」


 ……


 なんだ?

 俺の知らない所で、結構青春謳歌してるじゃないか。


「…先生?」


 沢渡さわたり君に顔を覗き込まれてハッとする。


「あ、ああ。」


「時間…大丈夫なんですか?」


「あー…うん。大丈夫。」


「じゃあ…」


 沢渡さわたり君は、少しだけ照れたような顔で言った。


「どこか、出かけませんか?」


「今から?」


「ダメ…ですか?」


 どうせそらも帰っちまったし…

 何となく一人になるのが嫌だったのも手伝って。


「ドライヴでもしようか。」


 俺は立ち上がって沢渡さわたり君に言った。

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