第12話 「二階堂…紅美さんですか?」

「二階堂…紅美さんですか?」


 久しぶりに沙都が来て、うちのリビングで勉強を教えてる最中。

 その人は、訪れた。


「…はい…そうですけど…」


 面影が…誰かに…


「…はじめまして…久世、慎太郎の母です…」


 頭を下げたその人を、あたしは目を丸くして見つめた。

 慎太郎の…お母さん?



「あ…どうぞ…」


 玄関のドアを大きく開けると、その人は遠慮がちに家の中に入った。


 頭の中がパニック。

 慎太郎のお母さんが…どうしてうちに?



「…あ、お客さん?」


 リビングにいた沙都が、遠慮がちに教科書を片付けようとしたけど。


「いいよ、沙都。一緒に居て。」


 あたしは…教科書だけを片付けて、テーブルを拭いた。


「どうぞ。」


 ソファーに座ってもらって…お茶を入れる。


「…誰?」


 キッチンについて来た沙都が、小声で言った。


「…慎太郎の、お母さん…」


「…え?」


「……」


 お茶と…冷蔵庫にあった羊羹をお盆に乗せて、リビングに。


「…どうぞ。」


「…どうも…」


 重苦しい空気。

 あたしはなんて切り出していいか分からず、黙ってその人を見ていた。


「…私は…」


 突然の声に、驚く。


「あ…はい…」


「私は、愚かな人間でした。」


「……」


「19年前、主人と息子を亡くし…それ以降、犯人への憎しみだけを糧に、生きてきた人間です。」


「…犯人?」


「慎太郎は…そんな私に呆れて、15の冬、家を飛び出したまま…どこにいるのかも分かりませんでした。」


「……」


「それが…夏にひょっこり帰って来て…」


「…実家に帰ったんですね…良かった…」


「…ちっとも…良くなかった…」


「え?」


「好きな女性ができた…と。」


「……」


「…あなたの名前を聞いて、私は…慎太郎を罵りました。」


「……」


 待って。

 もしかして…


「…あたしに…新聞記事を…」


 ガタン。


 立ち上がると、足がテーブルにあたってお茶がこぼれた。


「紅美ちゃん…」


 沙都が、あたしの手を握る。


「父親と弟を殺した男の娘を、愛したなんて…許せなかった…」


 体が…体が震えた。


 慎太郎は…

 関口亮太に父親と弟を殺された?



「…どうやって、ここを調べて、紅美ちゃんに新聞記事を送ったんですか?」


 冷静な口調で沙都がそう言って…あたしはゆっくりとソファーに座る。


「…息子と…同じ病院だったんです…」


 お母さんはハンカチを握りしめて。


「最初は…気付かなかった…だけど、噂を耳にして…」


 ハンカチを握りしめた手は、小刻みに震えてる。


「息子が死んだ日…あの男の娘が助かったと聞いて…見に行きました。」


「……」


「息子の葬儀を終えて…毎日通いました。」


「…え?」


「慎太郎が言ったんです…弟が、命を繋げた赤ちゃんだね、って。だから…どんな人生を歩むのか…」


「……」


「最初は…同情しました。関口の親戚は皆、母親と一緒に死ねば良かったのに、と…でも、引き取られる事を知って…」


 沙都が、あたしの肩を抱き寄せる。


「若くて、きれいなお母さんに抱かれたあなたを…憎いと思いました…」


 ああ…

 あたしの存在に…ずっと苦しんでる人がいる。

 もう、顔を上げる事が出来なくて。

 あたしは…静かに、お母さんの声を拾うだけだった。



「それから私は…何かのたびに、この家の近くに…訪れました。」


 お母さんの話は続く。


「弟さんが産まれ…幸せそうな家庭…七五三に…発表会に、運動会…入学式や卒業式…なんて幸せそうなんだろう…」


「……」


「新聞記事を送ったのは…あなたに、事件を知って欲しかったからです。あの事件によって、今も苦しむ残された者が居るっていう事を…」


「待ってください。」


 お母さんの話を遮ったのは、沙都だった。


「お母さんが苦しまれたのは…十分わかりました。でも、同じ苦しみを誰かに与えて欲しいと、亡くなられたお二人は思われたでしょうか。」


「…そんな事…」


「分かりませんよね。でも、もしあなたが亡くなった立場だとしたら?残された旦那さんや息子さんに、人を恨む人生を送って欲しいと思いますか?」


「……」


「もう…過ぎた事です。事件も、あなたが紅美ちゃんに新聞記事を送った事も。」


「…沙都…」


「慎太郎さんは、紅美ちゃんに…凜太郎って名付けて、一緒に居ました。」


「…え?」


 沙都の言葉に、お母さんが顔を上げて…あたしを見た。


「…男のふりするなら、助けてやるって言われて…髪の毛切って…凛、って…呼ばれてました。」


 あの瞬間を思い出すと…今も胸が締め付けられる。

 それでも、慎太郎があたしにしてくれた事は…あの時から、ただ、あたしの助けになる事だけだった。


「慎太郎が…」


 お母さんの目から、大粒の涙がこぼれる。


「…慎太郎さんは、ずっと家族を大切にされてると思います。」


 沙都のその言葉に、あたしも…涙が溢れた。

 ほんのひと時でも…あたしは凜太郎だった。

 慎太郎の、弟だった。

 乱暴な口調とは裏腹に、優しい仕草が好きだった。


 凛。


 そう呼ばれる時、あたしは…現実逃避できてて。

 辛い過去を忘れる事ができてた。

 それがまさか、その辛い過去をあたし自身が…



「…慎太郎さんは、今どこに?」


 沙都が問いかける。


「…故郷にいます。お嫁さんをもらって…幸せにしています…」


「そうですか…」


 あたしの肩を抱く沙都の手が、優しく上下した。


「…今日は…どうして?」


 涙を拭きながら、問いかける。


「…慎太郎に、勧められました。」


「……」


「言いたい事を言って、そして、謝罪をして来い、と…」


「…謝罪…」


「…余計な事をして…あなたの人生を…変えてしまった、と…」


 お母さんはあたしに対して頭を下げ。


「…ごめんなさい…」


 謝られた。


「…真実を知った時…辛かったです。」


 今も…普通に新聞を読むのが怖い時がある。

 これが俗にいう、トラウマってやつなのかな。


「でも…知ったおかげで…色んな事と、ちゃんと向き合えるようになりました。」


 あたしは立ち上がる。

 そして、深々とお辞儀して言った。


「…ありがとうございました。」



 きっと…あたしにも、お母さんにも。

 残った傷は、消える事はない。

 だけど、それを忘れるんじゃなくて。

 大事にしたまま…生きていこう。


 あたしは、あたしとして。




 * * *



「わかんないよ〜。」


「わかんないよ〜、じゃないっ。これクリアしないと、卒業式出られないんだよ?」


「だって…難しいんだもん…」


「あんた、やる気あんの?あたしが時間を割いて教えてるって言うのに…」


「…はぁぃ…」


 沙都は卒業試験、追試と落としてしまった。

 それでも、先生方が大目に見てくれて、再追試が行われることになった。

 それで、こうして事務所でも猛勉強してるのだけど…


「もうダメだよ〜。」


「何がダメよ。ほら、もう一息。」


 そんなあたしと沙都を、ノンくんがギターを磨きながら笑ってる。

 あたし達は、四月にデビューする。


「…もう、中退でもいい…」


「バカ言わないでよ。それなら留年しなさい。」


「もう勉強、やだ。」


「沙都。」


「……くすん。」


 賑やかな毎日が戻ってきた。

 あれほど辛いと思い続けた日々。

 今となれば、夢のように穏やかになってしまった日々。

 たくさんの傷を負い、たくさんの傷を負わせた。

 その傷も、時間という薬が少しずつ癒してくれると信じる。



 そして、あたしはデビュー曲を。


 あの日々に捧げようと思っている。



『Lovely Days』



 交わした言葉 かけがえのない温もり

 膝を抱えた夜も 守ってくれた背中


 悲しい事は全て 悪い夢だと思えばいい

 目覚めればそこに必ず愛があるから


 歩いて行くよ 目指すあの場所へ

 辿り着けるまで諦めずに

 届くならば あの太陽が沈むまでに


 頑なな気持ち 重く閉ざした心

 開く勇気と鍵を教えてくれた背中


 悲しい事も全て抱きしめて眠ればいい

 目覚めるたびにきっと強くなってくから


 歩いて行くよ 目指すあの場所へ

 辿り着けるまで諦めずに

 望むならば あの白い月が満ちるまでに


 嵐の夜も 舞い散る雪の日も

 あたしの心はずっと闘ってる

 道標は自分で立ててゆくから


 立ち上がってみせるよ 何度転がっても

 険しい道を体が拒んでも

 あの眩しい青に負けない輝きを手に入れるまでは





 18th 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いつか出逢ったあなた 18th ヒカリ @gogohikari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ