第11話 「…えっ。」

「…えっ。」


 12月。

 事務所の向かい側にあるカフェ。

 曲作りに入って寝不足なあたしは、眠気を飛ばそうと店に入ろうとした所で…見覚えのある顔を見つけた。


「マキちゃん!!」


「……」


 マキちゃんは驚いた顔で、しばらくあたしを見つめて…


「…もしかして…りんちゃん?」


 眉間に、しわ。


「え?え?あ…え?」


 マキちゃんはあたしを上から下までジロジロと見て。


「……え?」


 あたしを見つめて、口を開けたまま首を傾げた。

 …そうだ。

 あたし…男のままいなくなったから…


「騙してごめん…あたし、本当は女で…」


 マキちゃんはそれでもしばらく目を丸くしたまま。

 何か考え込んでるような顔になって。

 それから…


「時間ある?」


 あたしの手を引いて、歩き始めた。


「え?どこへ…」


 あたしの問いかけに、マキちゃんは無言。

 そして、歩いて三分もかからない場所にある、小さな雑貨屋にたどり着いた。



「こんにちはー。」


 マキちゃんが大きな声でドアを開ける。


「いらっしゃいま…なんだ、マキか。」


「なんだとは何よ。今日はお客さん連れてきたの。」


「あ、いらっしゃいませ。」


「……」


 小さなお店の中で、可愛らしいエプロン姿のその女性は…


「…ナナちゃん…」


「…え?」


 ナナちゃんはあたしが誰だか分からず、マキちゃんとあたしを交互に見た。


「…凛ちゃんよ。」


 マキちゃんが声を潜めて言うと。


「…………えっ?」


 ナナちゃんは固まった。


「凛ちゃんって…え?ええええ?えーーーーーーっ!?」


 ナナちゃんはあたしの体をバシバシと触って。


「生きてたの!?」


「…え?」



 今度は、あたしが目を丸くする番だった。




「…慎太郎にやられたわね…」


 マキちゃんとナナちゃんの話は、こうだった。

 ある日、慎太郎がみんなを集めて言った。


 実は凜太郎とみんなに紹介していたのは、紅美という家出中の女だ、と。

 もしかすると、誰かが探しに来るかもしれない。

 その時は、みんなであいつを守って欲しい。

 あいつは、ここを居場所だと思ってる。

 守ってやって欲しい。



「そりゃ、守るわよ。あたし達だって、凛ちゃんには勉強見てもらったり、帰り道の用心棒までしてもらってたわけだしさ。」


「…みんな、あたしが女だって…」


「慎太郎が言う前から気付いてたわよ。だって、あなためちゃくちゃきれいだもの。」


「……」


「それからね…本当に来たの。」


「来た?」


「紅美ちゃんを探してる人が。」


「……」


 そっか…

 沙都、店までたどり着いてたんだ…


「そしたら、急に凛ちゃ…あ、紅美ちゃん店に来なくなったじゃない?どうしたのかなあって心配してたら…」


 ナナちゃんが、レジの横にある小さなキッチンでお茶を入れてくれた。


「慎太郎が来て…凛は、実家に帰って…事故で死んだ…って。」


「…えっ?」


「もう、あたし達、泣きまくったわよ。」


「そうそう。追悼パーティーもしたわ。」


「……」


 慎太郎…なぜ?



「それからは…バタバタとあっと言う間に色んな事が変わっていったの。」


「色んな事…」


「そ。慎太郎がみんなに働き口を探して来てさ…全員に何かが決まった所で、お店を売却。」


「本当、早かった。慎太郎が生まれ故郷に帰るって言って…でもまさかルミがついて行くとは思わなかったなあ…」


「……ルミちゃんが…?」


「そ。結婚するって連絡があったから、上手くいったんだろうけど…意外だったな。慎太郎の好みって、ルミとは違う気がしたし。」


「あ、あたしも。ま、ああ見えてルミは一途だしさ…上手くいってるならいいけどね。」



 手が痺れてきたような気がした。

 慎太郎は…

 あたしは連れて行かなかったけど…

 ルミちゃんは連れて行った…んだ…


「…り…紅美ちゃん…?」


 二人が驚いてる。

 あたしの目からは、ポロポロと涙がこぼれ落ちて。

 それが自分でも驚くほど、たくさんで…


「あ……ごめん…」


「…いいのいいの。自分が死んだって言われるなんて…辛いわよ…」


 ナナちゃんがティッシュを渡してくれる。


「……どこなのかな…」


「ん?」


「…慎太郎の…故郷って…」


 ティッシュで拭いても、涙は止まらなくて。

 そんなあたしの様子に…マキちゃんが言った。


「…もしかして、慎太郎と…できてた?」


「………」


「…そっか…辛いね…でもごめん…故郷は分からないの。ルミに聞いても教えてくれなかった。」


 ルミちゃんが悪いわけじゃない。

 分かってる。

 だけど…

 どうして?

 どうして、あたしはダメで…彼女は良かったの?



「…ね、今はどうしてるの?」


 マキちゃんが、あたしの背中に手を添えながら言った。


「…歌を…歌ってて…」


「えっ?歌手なの?」


「…ううん…」


 あたしは、たどたどしく、今までの事を説明した。


 愛されて育ってきた事。

 だけど、自分の生い立ちを知ってしまった事。

 それで色々な事が変わって見えてしまった事。

 家出をして…慎太郎と、みんなと出会った事。

 慎太郎と…愛し合った事。

 そして、今…歌うしかなくなった事。


 二人は時々泣きながら、あたしの話を聞いて。


「…紅美ちゃんには残酷だったと思うけど…あたしは、慎太郎の取った行動が理解できるよ。」


 マキちゃんが言った。


「…あたしには…」


「うん。分からないよね。大好きだったんだもん。でもさ…慎太郎は、きっと紅美ちゃんに自分を取り戻して欲しかったんだよ。」


 ナナちゃんも、そう言って頷いた。


「…自分を取り戻す…?」


 二人は顔を見合わせて、それからあたしに優しい笑顔をくれた。


「慎太郎は、きっと…紅美ちゃんと自分は世界が違うからって思ったと思う。」


「……そんなの…」


「うん。勝手だよね。でも、あたし達は違うよ?」


 マキちゃんとナナちゃんは、あたしの手をギュッと握って。


「応援してる。あたし達、紅美ちゃんのファン第一号と第二号。」


「紅美ちゃんが家出しなきゃ、出会えなかったよ。辛い生い立ちだろうけど、あたし達は感謝する。」


「紅美ちゃんは、あたし達の自慢よ。何があっても負けないで。」


 ポロポロと泣きながら。

 それでも、笑顔で言ってくれた。



 * * *



「一人で温泉行ってたんだって?」


 沙也伽が廉斗れんと君を抱えて言った。


 一月も明日で終わり。

 あさってからは登校もない。

 パラパラと雪が舞い散る寒い日。

 久しぶりに訪れた朝霧邸。


 長男とされる人物はみんなここに住んでるから。

 この豪邸は、頷けるほどの大所帯。

 あの朝霧真音さんに、父さんのバンドのドラマー朝霧光史さん、それに一応希世も。

 有名人がたくさん居るんだよな…なんて、ちょっと笑った。



「誰に聞いたの?」


「ノン君。」


「ギター作りに行ってたんだけど。」


「本当〜?」


 思い立って…自分だけのギターを作りに行った。

 雪が降ったおかげで、思いがけず泊まる事になって…自分を見つめ直す事も出来た。



「はい、おみやげ。」


 紙袋を渡す。


「何?」


「温泉饅頭。」


「やっぱ温泉じゃない。あ、お茶入れるから、ちょっと抱っこしてて。」


 廉斗君を渡される。


「大丈夫かな。」


「平気よ。」


 恐る恐る廉斗君を抱えると、廉斗君はあくびをした。

 その可愛さに目元を緩めながら、ゆっくりソファーに座って、周りを見渡す。

 沙也伽、もうこの家になじんでるな…

 実際、娘みたいに可愛がってもらってるって喜んでたし。



「はーいお待たせ。」


「サンキュ。今日、家の人は?」


「お祖母ちゃんは七生ななおさんとこ。お義母さんはアメリカに里帰り中。」


 そっか。

 忘れてたけど、希世はクォーターなんだっけ。

 少し茶髪なのを、昔は気にしてたな。


「あ、いい香り。」


「お義父さんが早乙女さんにもらったんだって。」


「間違いないやつだね。」


「…紅美、何かあった?」


 ふいに、沙也伽があたしの顔を覗き込んだ。


「え?」


「何か、今日の紅美は違う。」


「…どういう風に?」


「んー……」


 沙也伽はお茶を入れながら。


「…何か吹っ切れた?」


 首を傾げた。


 …さすが、沙也伽だな…

 いつだって、あたしの小さな変化を見過ごさない。

 あたしは小さく笑ってみせる。


「何よー。」


「…沙都から逃げるの、やめようと思って。」


「え?」


 廉斗君を、沙也伽に返す。


「あたし、ずっと沙都が怖かった。あたしの言う事に、沙都が耳を貸さなかったら…って、怖くて。」


「紅美…」


「あいつの事、好きとか嫌いとか、そういうのじゃない所で大事なの。」


「…そうだね。」


「…ぶつかってみる。」


 沙也伽の入れてくれたお茶を一口。

 少し抹茶に似た感じの…甘みのあるお茶。


「うん。今のあんたなら、きっと大丈夫。沙都も分かってくれるよ。」


 沙也伽がそう言ってくれて、あたしは心に決めた。


 明日。

 学校帰りに…沙都に会おう。



 * * *



「…紅美ちゃん…」


 学校の帰り道。

 あたしは沙都を待ち伏せした。

 よく二人で歩いてた公園。

 彼女と歩いてるのを見たくなくて、しばらくは下校コースを変えてたけど…



「どうしたの…」


「沙都を待ってた。」


「僕を?いつから…」


「さあ。でも、会いたかったから。」


「……」


 沙都は無言であたしの手を握ると。


「冷たいよ。事務所で会うのに、どうして…」


「事務所だと、バンドメンバーでしかなくなるから。」


「……」


 あたしは沙都の目をずっと見ていた。

 だけど、沙都は自分の爪先ばかり。



「彼女は?」


「…いつの話だよ。もう、とっくに別れた。」


「そういうの、あたしに話さなくなったし。」


「…興味ないかと思って。」


「……」


「…え?」


 あたしの手を離そうとした沙都の手を、ギュッと掴んで…そのまま引き寄せた。

 沙都の背中に手をまわして、気持ちをこめる。



「く…紅美ちゃん…?」


「沙都、あたしを探してくれて、ありがと。」


「……」


「でも、あれからずっと…あたし達、遠いね。」


「…それは…」


「どうして?」


 沙都はあたしの背中に手をまわさない。

 両手をぶらりとおろしたまま、言葉に悩んでいるようだった。


「…紅美ちゃんは…どうして僕に何も話してくれないの?」


 やっと絞り出した言葉は、それだった。


「…それはね…」


 あたしは、沙都から少し離れて…目を見てしゃべりだす。


「あたし、沙都に自分の醜い部分を知られたくないって思った。」


「……」


「殺人犯の娘だなんて…沙都に知られたくない。そう思った。」


「…僕は知りたかったよ。紅美ちゃんの全部を。」


「…そうだね。沙都はいつでも…あたしのそばにいてくれて…あたし、それに甘え過ぎてた。」


「……」


「家出して、慎太郎と出会って…恋をし…」


 その瞬間、沙都があたしを抱きしめた。


「…まだ…好きなの?」


「…どうかな…」


 あたしを抱きしめる沙都の手に、さらに力が入る。


「…沙都、覚えてる?」


「…何…」


「初めてキスしたの、ここだったね。」


「……」


 可愛い沙都。

 あたしが持っていないものを、たくさん持ってる。

 素直で、優しくて、純粋で…

 だからこそ、憧れた。

 あたしの分身みたいに思った。



「あたし…沙都みたいになりたかった。」


 沙都の胸に体を預けてそう言うと。


「…何言ってんだよ…」


 沙都はイライラしたような声。


「僕なんか…紅美ちゃんを守る事も、何もできなくて…」


「あたしは、守られてたよ。」


「……」


「沙都がいてくれたから、ずっと…」


「……紅美ちゃん。」


「ん?」


「キスしていい?」


 沙都が、あたしの顔を上げる。


「…最後の、キス…」


 …ああ。

 沙都も…ハッキリさせたかったんだ。

 あたしとの、ぬるま湯みたいな関係。


「…うん。」


 沙都の手が、あたしの頬を包む。

 懐かしい、優しい手。


 唇が…触れた。

 久しぶり過ぎて、震えてる気がした。

 あんなに、何度もキスをしたのに。

 初めてみたいだった。



「…また、勉強見てくれる?」


 沙都は涙声。


「うん…一緒に卒業しなきゃね…」


「ありがと…紅美ちゃん…」


「…あたしも。ありがと、沙都…」


 沙都の腕は優しくて。

 このまま、またあの頃みたいに…なんて、言いたくなってしまう。

 だけど、そんな事をしたら。

 沙都はまた…あたしに縛られたまま。



 沙都。

 あたし達…

 姉弟みたいなバンドメンバーになれる…よね。


 きっと…。

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