第10話 「温泉行く人ー。」

「温泉行く人ー。」


 家でぼんやりしてると、がくが新聞を丸めて離れた場所から言った。


「…え?」


「温泉だよ。」


「去年行った所?」


「いや、あそこは取れなかったって。」


「なーんだ。」


「じゃ、紅美は行かないんだ?」


 ジャンプして、あたしの隣に来たがく

 …なんだか、背が伸びたかな?

 あたしよりずっとチビだったけど、少し目線が近付いた気がする。



「いつ?」


「体育祭の代休。」


「海君、二階堂の仕事いいのかな。」


「たまには息抜きするって乗り気だったけど。」


 仕事大好き人間のクセに。

 ま、温泉だけは毎年行ってるから、本当に息抜きなんだろうけど。



「泉ちゃん達は?」


「行くって。空ちゃんも、わっちゃんと来るって言ってた。」


「桐生院からは?」


きよし君だけ。」


「じゃ、去年のメンバーに華月かづきちゃんに代わってわっちゃんが入るって感じね。」



 イトコの華月かづきちゃんは、今アメリカでモデルをしてる。

 一年契約だったけど、更新して二年目に突入。



「ああ…でも沙都さとは来ないよ。」


「…え?」


「…彼女ができたから、用があるってさ。最近付き合い悪いんだよな。」


「……そっか。」



 夏休みの間、スタジオで打ち明けられた。

 彼女が出来た。

 あたしは笑顔を向けるしか…なかった。



「どうする?」


 がくの声にハッとする。


「あ、ああ…」


 少しだけ考えて。


「そうだね。温泉浸かって美味しいもん食べて、ストレス発散しよっか。」


 あたしが元気良く言うと。


「紅美にストレスなんてあんのかよ。ギター弾いて歌って食って寝てるだけじゃん。」


 がくがケラケラと笑いながら言った。


「……」


 あたしは無言でがくの腕を取ると。


「あいててててててててっ!!」


 コブラツイスト。


「誰が食って寝てるだけ?」


「いたっ!!いたたたっ!!おっおお姉さま!!許してっ!!」


 がくの大声を聞きつけて、やって来た父さんが。


「何やってんだ。」


 あたしとがくの絡まった体を見て。


「紅美、右手が甘い。」


 あたしに指導した。


「こう?」


「ひーっ!!あいたたたたたた!!おっおおおお親父!!アドバイスすんなよーっ!!」



 …大丈夫。

 沙都に彼女が出来ても…

 あたしと沙都は、バンド仲間。

 幼馴染。


 …だけど…


 あんなに居心地の良かった沙都は…

 もう、いない。




 * * *




「おい。」


 バッ。


「…見つかったか…」


 保健室で寝てると、海君に布団をはぎ取られた。


「…ったく…おまえなあ…」


 担任の小田切先生こと海君は、呆れたように腰に手を当ててあたしを見下ろすと。


「また留年するつもりか?」


 目を細めて、低い声でそう言った。


 二学期が始まって。

 またもや…体育祭で盛り上がる校内。

 あたしは去年と同じように、保健室に入り浸っている。


 お祭り騒ぎが嫌いなわけじゃない。

 一年の時は、たぶんそこそこに張り切っていたようにも思う。

 二年の時は…どうだったかな。

 去年は…まあ、あんな事もあって気分が乗らなくて。

 サボってばっかだったけど。



「仮病じゃないもん。」


 布団を奪い返したついでに、寝返りをうって海君に背中を向ける。


「風邪か?」


「生理痛。」


「……」


 海君は溜息をついて。


「薬飲んだか?」


 椅子に座る気配。


「これぐらいで飲まないよ。」


「その程度なら授業受けれるんじゃないのか?」


「男子には分からない痛みなので。」


「まあ、そうだけど…おまえ、何か悩んでんのか?」


 海君はあたしの頭をガシッと掴むと。


「こっち向け。」


 ぐぐい。と、頭の向きを変えさせようとした。


「いたっ…何よ…別に悩んでないよ。」


「でも、おまえって悩みがあると保健室で寝てるじゃないか。」


 う。

 バレてる。


「…悩みってほどじゃないよ。」


「小さくてもいいから、言え。」


「……」


「沙都の事か?」


「…わかんない。」


「わかんない?」



 実際…今、自分が何で落ちてるのか分からない。

 慎太郎の事を想うと胸が苦しくなるのは変わらないし、沙都の事を想うと寂しくなるのも同じ。

 家族に愛されてるのは分かるし、親戚のみんなも、沙都を含むバンドメンバーも、みんなあたしには大事な人たちだ。


 だけど…


 結局は一人なんだなあ…って。

 急にそんな寂しさに襲われて。

 あたしは、今までどれだけ沙都に守られていたんだろって。


 好きとか愛してるとか。

 そんな気持ちになった事はなかった。

 居て、当たり前。

 そんな存在に…あたしは、胡坐をかいてただけかもしれない。


 目を閉じて考えてると、海君が優しく頭を撫でてくれた。

 …時々、お父さんみたいになるよなあ。

 でも、他の女子生徒にもこんな事してたら、あたしは許さないぞ?

 小さく笑いそうになって…堪える。

 寝たふりしていよう。

 起きたら、また色々言われたり聞かれたりしちゃうし。


 …海君、あたしが卒業するまで学校に残るって言ったって…本当なのかな。

 本当なら、もう任務は終わってて、二階堂の仕事に本腰入れていいはず…って、父さんと母さんが話してたのを聞いた。


 …本当に、色んな人に心配かけてるよな…あたし。

 もっとしっかりしなきゃ。



「…紅美。」


 海君に名前を呼ばれたけど、寝たふりを続けた。

 授業に戻れって言われるのは嫌だ。

 すると海君は、優しく頭を撫でて…


「……」


 静かに、保健室を出て行った。



 * * *



「あ〜いい湯だったね。」


 泉ちゃんはご満悦。


「まったくね。やっぱ温泉よね。」


 空ちゃんも、浴衣をパタパタさせながら笑顔。


 あたしとがくは、体育祭の代休。

 他の面々は…どうにか都合をつけての決行となった、平日の温泉旅行。


 あたしは、何となく去年の温泉の方が良かったなー、なんて。

 …沙都がいないせいか、華月ちゃんがいないせいか。

 少し…盛り上がりに欠けている。



「夕食もうすぐよね?部屋でのんびりしようか。」


 空ちゃんの言葉に賛成して、あたし達は部屋に向かう。


「ねーねー、姉ちゃん。わっちゃんのどこが良かったの?」


 部屋に入ってすぐ、泉ちゃんが空ちゃんに問いかけた。


「何よ今さら。」


「まだ結婚して四ヶ月じゃん。あたしら、付き合ってた6年なんて知らないもん。」


「あ、同感。あたしも聞きたい。」


 あたしが同意すると。


「俺も聞きたいなー。」


 浴衣姿のわっちゃんが登場した。


「俺のどこが良かった?」


 泉ちゃんが、わっちゃんと空ちゃんを見比べる。


「どこ?どこ?」


 みんなの冷やかしに似た声に、空ちゃんは少しだけ目を細めて。


「…やっぱ、あれかな…」


 開き直ったように喋りはじめた。


「何?」


 泉ちゃん、目をキラキラさせてる。


「キスが上手い。」


 空ちゃんは、ニッと笑って言った。


「…キス?」


 泉ちゃんは、マヌケな声。


「そうよ。キスが上手いの。やっぱ男はキスが上手くなくちゃね。紅美も思うでしょ?」


「えっ、あ…あー、うん。」


 いきなり話をふられて、とりあえず頷く。


「キスが上手いってだけかよ…」


 わっちゃんが頭を抱える。


「何、内面の事を言って欲しい?約束はすっぽかすし、女には誰にでも優しいから変な誤解招くのに?」


「…根に持ってんのか?」


「ううん。注意してるだけ。」


 …まあ、一言に6年と言っても。

 その間に色々あったんだろうなと思わせるようなセリフ。


「ね、どうしてキスが上手いといいわけ?」


 泉ちゃんがあたしに問いかける。


「えっ…あたしに聞かれても…」


「泉、まだキスした事ないの?」


 空ちゃんが真顔で問いかけると。


「あっあるよ!!キスぐらい!!」


 泉ちゃんは必要以上に大きな声で答えた。


「でも…上手いとか、そんなの分かんないじゃん。何が基準でそうなの?」


「おまえら、声筒抜けだぞ。」


 笑い声と共に、海君と聖君、学がやって来て。

 朝子ちゃんと…なぜか泉ちゃんまで赤くなった。


「キスが上手い下手なんて、好きな相手となら何でも良く思えるって。」


 海君が泉ちゃんに言うと。


「好きじゃない奴としかキスした事ないから、分かんないや。」


 拗ねたような口調の泉ちゃん。


「わっちゃんのキス上手は有名だったよね。」


 空ちゃんが海君に同意を求める。


「ああ、そう言えば。」


「な…何だよ、それ。」


 空ちゃんと海君の言葉に、わっちゃんがうろたえてる。


「わっちゃんが学生の頃だっけ?」


「そうそう。陸兄が言ってたな。わたるに近付くな。キスが上手いからすぐ子供ができるぜって。」


 二人の言葉にわっちゃんは頭を抱えて。


「男として喜ぶべきなのか、どうなのか…」


 真顔で言うもんだから、みんなで大笑いしてしまった。


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