第9話 「最近、沙都来ないな。」

「最近、沙都さと来ないな。」


 父さんが言った。

 がくはチラッとあたしを見て。


「誰かさんが冷たいからじゃねーの。」


 って。


「誰かさんって誰。あたし?」


「他に誰がいんだよ。」


「追試が忙しいんじゃない?あいつ、がくと違って頭悪いから。」


「勉強見てやれよ。」


「毎日学校終わったら事務所に入り浸ってんのに、そんな暇ないよ。」


 あたしは、毎日事務所でギターの練習。

 プロに教わるだけあって、さすがに上達した気がする。

 先生は、希世きよ沙都さとのおじいさんの朝霧あさぎり 真音まのんさん。


 今まで苦手だったコードも、嘘みたいに簡単に弾けるようになった。

 それに、ギター自体にも興味が湧いて。

 オリジナルのギターを作りたいなあ…なんて。

 まだまだヒヨッコのあたしには、口にも出せないけど。



「沙都だって事務所行ってんだろ?見てやりゃいいのに。カッコ悪いぜ?バンドの中に留年者がいるって。」


 がくがケラケラ笑いながら言った。


「あっ、もういるんだっけか。じゃ、関係な…あーっ!!俺のコロッケ!!」


 あまりにもがくがうるさいから、がくのお皿からコロッケを失敬。


「あんた、昨日あたしのカニ食べたでしょ。」


「うっ…」


「もう。二人とも子供みたいな事言って。」


 母さんが笑う。


「あ、うらら、おかわり。」


「はい。」


 すっかり元気になった母さんが帰って来て。

 父さんも、夕方にはうちに帰るようになった。

 晩御飯は全員で。

 前よりも、それが定着した気がする。


 こうしてると、何も変わらないみたいだ。

 …ただ、一つを除いては。


 沙都さとが来ない。


 前みたいに、あたしにじゃれついたり泊まりに来たりしなくなった。

 まあ…あんな事があったんだから、仕方ないけど。



「そう言えば紅美、テープ聴いたけど、おまえチョーキング下手だな。」


 グサッ。

 気にしてる事を、父さんがズバリ。


「リズムマシーンじゃ気分が乗らないんだよね。」


 沙也伽さやかが体調を崩して、お腹のためにも安静にって事で。

 今、うちのドラマーはリズムマシーン君だ。


「五ヶ月のブランクは大きいな。しっかり練習しとかねえと笑われるぞ。」


「わあってるよ。」


「こら、紅美。男の子みたいな喋り方しないで。」


「へえーい。」


「もう。」



 それにしても…沙都の奴。

 あたしがいなくなって、あたしの部屋で寝てたって聞いたのに。

 帰って来た途端出てくとか…あからさまだよ。



「ごっちそーさま。」


 あたしは手を合わせて食器をシンクに運ぶ。


「父さん、後で音楽室使っていい?」


「ああ。」


 我が家の地下には、防音設備バッチリのスタジオがある。

 父親がギタリストならでは。



「あーお腹いっぱい。」


 そんな事を言いながら、あたしは子機を持って部屋に上がって。


「……」


 沙都んちに電話する。


『はい、朝霧あさぎりです』


 コール三回で、希世きよが出た。


「あ、希世きよ?あたし。紅美。」


『おう、家出女』


「うっ…このたびは色々とご心配をおかけしました。それから、おめでとうございます。」


 笑いながら言うと。


『いやいや、どうもどうも』


 照れ笑い。


「沙也伽もそこにいんの?」


『いや、今は実家。安静にしてなきゃいけないのに、こっちだと気分使って動くからさ』


「ま、希世もツアーあるし、その方が安心だよね。」


『そ。身重の妻を残してく身としてはな』


「愛だねえ。」


『で?何。沙都か?』


「あ、うん。いる?」


『ちょっと待て』


 受話器からは、80日間世界一周。

 つい、口ずさんでしまう。



『…もしもし』


「あ、沙都?」


『うん』


「どしたの?」


『…何?』


「最近来ないから、みんな心配してるよ?」


『……』


「学校でも全然会わないよなー。同じ学年になったのに。」


 ベッドに寝転ぶ。


『うん…クラス離れてるしね』


 沙都はなんだか…トーンが低い。


「勉強見てやれって、みんなから言われる。」


『あはは…留年しちゃいそうだったからなあ…』


「本当?」


『うん』


「あたしを探してばっかだったから?」


『……』


 がくに聞いた。

 毎日毎日、沙都はあたしを捜し歩いてた、って。

 本当…申し訳ない気持ちでいっぱいだよ…



『じゃ、事務所で教えて?』


「うち来ないの?」


『…んー…僕もあまり帰ってなかったから、ちょっと…真面目に家にいようかなって』


「あ…そうだよね…うん。ごめん。」


『じゃ、明日事務所でね』


「うん。おやすみ。」



 ……はあ。


 電話を切って、溜息。

 あんなに居心地の良かった沙都が…



 …すごく、遠い。



 * * *



「おっめでとー。」


 五月晴れの日差しが差し込む部屋。

 あたしは、空ちゃんに抱きつく。


 このたび記憶を取り戻した空ちゃんは。

 なんと…華月かづきちゃんの主治医でもある、わっちゃんと結婚する事になった。

 どうでも六年前から付き合ってたらしくて。

 でも誰も知らなかったという…



「すっごく綺麗よー。」


 ドレス姿の空ちゃんに言うと。


「ありがと、紅美。」


 満面の笑み。


「もうっ、やだな。いつの間にか、なんだもん。」


 あたしの言葉に。


「まったくよねーっ。」


 後で泉ちゃんが唇を尖らせた。


「お姉ちゃんもわっちゃんも嘘つき。やんなっちゃうよ、本当。」


 家族大好きっ子の泉ちゃんに、この隠し事は相当堪えたと思われる。


「それにしても、よく式場取れたね。プロポーズから二週間ってほんと?」


 空ちゃんに小声で問いかける。


「そりゃコネ使いまくりよ。わっちゃん忙しい人だから、何ヶ月も先って言うと予定立てられなくて。」


「なるほどね…でも、看護婦さん達泣いただろうねえ…」


 あたしの言葉に、空ちゃんはふふんと笑って。


「いい男はね、早い者勝ちなのよ。」


 って言った。


「余裕の言葉だね…」


 わっちゃんは希世きよの叔父だ。

 だから、沙也伽と空ちゃんは親戚になるんだ。

 そう思うと、何だか沙也伽とあたしも親戚になれたみたいで嬉しくなる。



「入るぞー。」


 控室のドアがノックされて、わっちゃんが入って来た。


「あっ、もう。式場で会えばいいじゃない。」


 泉ちゃんがドアを押して、わっちゃんを外に押し出そうとする。


「うわっ…おいおい…新郎に怪我させるなよ。」


「えっ!!怪我した!?」


 …単純な泉ちゃん。

 あたしと空ちゃん、顔を見合わせて笑う。

 一瞬ひるんだ泉ちゃんを押しのけて、わっちゃんが入って来た。


「…へえ、わっちゃんっていい男だったんだね。」


 タキシード姿のわっちゃんは、なるほど…看護婦さん達本当に泣いただろうなって思っちゃうほど、いい男。


「……」


 当のわっちゃんは、ドレス姿の空ちゃんに釘付けになってる。


「ど?」


 空ちゃん、ゆっくり一回り。

 白いドレスが柔らかい音を立てた。


「…うん。似合う。綺麗だ。」


 本当、今日の空ちゃんはお姫様みたい。

 わっちゃんが見惚れるのも無理はない。

 銀のティアラがピッタリ。



「いいな〜。こういうの目の当たりにすると、結婚したくなっちゃうな。」


 泉ちゃんの何気ない発言に。


「泉、彼氏いるの?」


 空ちゃんが素早く突っ込んだ。


「いっ…」


 何でもない質問だったのに、絶句した泉ちゃん。


「いっいないよ!!悪かったねいなくて!!あー、あたしもう席に行こうっと。さ、行くよ紅美。二人きりにしてやろっ。」


 彼氏はいないけど、好きな人はいるんだろうな。

 あたしと空ちゃんとわっちゃん、三人して、そんな顔をして泉ちゃんを見た。



 * * *


「あはは、サルだー。」


 夏休みも終盤。

 沙也伽がめでたく男の子を出産して。

 病院を見舞って大笑い。



「何よあんた。人の可愛い息子つかまえてサルだなんて。」


 新生児室には、3500gの元気な赤ちゃん。

 サルって言った後にアレだけど…希世に似てるかな?



「名前考えた?」


「うん。廉斗れんとっていうの。」


廉斗れんと?誰が付けたの?」


「希世。死んだおじいさんの名前がれんで、どうしてもそれを使いたかったんだって。」


「もしかして、有名なボーカリストで20代で亡くなったっていう?」


「そそ。色々話を聞いてるとね、そのおじいさんのおかげで色んな縁が繋がっていった、って。希世は会った事もないおじいさんを、すごく尊敬してるの。」


 沙也伽の目は、我が子を愛おし気に見つめてる。



「希世っていい奴よね。」


「何、急に。」


「ううん。沙也伽を幸せにしてくれて、いい奴だなと思って。」


 あたしの言葉に沙也伽は小さく笑って。


「沙都もいい奴だよ?」


「…まあね。」


「あんたら、どうなってんのよ。」


「うーん…」



 事務所で勉強を教えたりもするけど…

 沙都とは溝が出来たまま。

 うちには来なくなったし、必要以上に話すこともない。

 あれだけ…肌を重ねてたのに。

 ぶっちゃけ、一度人のものになってしまったあたしに、沙都は興味を失くしたのかな。


 沙都がどうして慎太郎を知っていたのか。

 あたしは、それを沙都から聞いてない。

 だいたい予想がつくからだ。

 ずっとあたしを探してた沙都が、何らかの形であたしを探し当てた。

 そして…一緒に暮らしてる慎太郎に、話を付けた。


 そんなもんだよね。



「あたしさ、前から思ってたんだけどさ…」


 ふいに沙也伽があたしに言った。


「ん?」


「紅美って、昔からずーっと誰か秘めてる人、いない?」


「……は?」


 目を丸くして沙也伽を見つめる。


「秘めてる人?」


「うん。まあ…今回の慎太郎さんだっけ?」


 沙也伽にだけは…あたしの口から全部を打ち明けた。

 男のフリして風俗店で用心棒をやって、家庭教師をやって…慎太郎と愛し合った事。



「あの人の事、本気で好きだったっていうのは認めるよ。けど、ずっと昔からさ、こう…何か沙都とは違う所で想ってる人がいない?」


「……」


 沙都とは違う所で…


「…特に意識して好きって想ってる人なんかいないけど…」


 あたしが考え込んでると。


「うーん…あたしの思い違いかなあ。」


 沙也伽は首をすくめて。


「あ、うちの僕ちゃん泣いてる。」


 ガラスの向こう。

 泣き始めた廉斗れんと君に目を奪われた。


「…可愛いね。」


「うん…早く一緒に帰りたい…」


 沙也伽はすっかり母親の顔で。

 そんな沙也伽を見てると、なんだか胸がいっぱいになってしまった。


 母親って、すごいね…沙也伽。

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