第8話 「担任の小田切です。」

「担任の小田切おだぎりです。」


 あたしは頬杖ついてた顔を上げて、教壇にいるうみ君を見た。


 家に帰ったものの…誰にも心を開けないあたしは。

 入院したままの母さんにも会わず、やつれた顔で出迎えてくれた父さんにも、一言も発せないままでいた。

 本家からも、次々と人が来て、部屋の外で説教されたけど。

 関係ない。


 だけど、学校側からの『どうしても卒業してくれ!!』っていう、執拗な電話には笑えて。

 このたび…二度目の高校三年生をする事になった。


 新しいクラスには、がく沙都さともいないけど。

 うみ君の腹違いの妹…チョコこと、早乙女さおとめ 千世子ちよこがいる。



「それじゃ、僕は初めての人が多いから自己紹介してくれるかな。」


 なーにが『僕』よ。

 春休み、何度もうちに来てクドクドと説教して。

 でも、担任だなんて、一言も言わなかったじゃない。


 結局は、みんなあたしの気持ちなんて分かってくれない。

 入院中の母さんに謝れだの、自分の立場を見つめ直せだの…



「はい、次、早乙女 さおとめ千世子ちよこ。」


「さ…早乙女さおとめ 千世子ちよこです。体が…弱いので、クラブ活動は、していません…」


 小さな声でそれだけ言うと、チョコはさっさと椅子に座った。

 ちっちゃくて可愛いチョコ。

 世界一強い女の母と、SHE'S-HE'Sのギタリストを父に持つチョコは。

 本当にいじらしい…小さな花のような存在。

 …海君が優しい目で見てしまうのも分かる。



二階堂にかいどう 紅美くみ。」


 ボンヤリと頬杖をついてチョコを見てると、名前を呼ばれた。


「はい?」


「自己紹介。」


「ああ…」


 あたしはだるそうに立ち上がると。


「家出して出席日数が足りなくて留年した二階堂です。三組には弟もいます。姉弟共々、よろしくー。」


 低い声で、言い切る。

 そのあたしの言葉に海君は。


「見事な言いっぷりだったけど、ちょっと生々しかったかな。」


 って、教室を見渡して言った。



 * * *



「ちょっと。なんであたしの所に来ないわけ?」


 昼休み。

 机に突っ伏して寝てると…いきなり聞き覚えのある声が降ってきた。


「……」


 ゆっくり顔を上げる。

 すると、目の前にせり出たお腹が見えた。


「……何これ。」


 視線をお腹に向けたままでそう言うと。


「何、その第一声。」


 声の主の沙也伽さやかは、前の席の椅子を引き出して座った。


「…沙也伽さやかの腹?」


「そうよ。」


「…なんで?」


「結婚したのよ。」


 沙也伽さやかはあたしの目の前に、指輪が光ってる左手を見せた。


「……誰と?」


「知ってるクセに。」


「…希世きよ?」


「正解。」


「…って、その大きさ…」


「在学中にできちゃって、ものすっっごくいじめられた。」


「……」


「ま、そのたびに沙都さとがくが助けてくれたけどね。」


「…希世きよは何してたの。」


「あいつ、忙しくなって中退したの。」


「…で…沙也伽さやか、ここで何してんの。」


「卒業はさせてもらったけど、悪阻で受けてないテストがあってさ。ま、追試ってやつね。」


「…節操なし。」


「あんたが言う?」


「………ごめん。」


 また、机に突っ伏した。

 親友だったはず。

 なのに、あたし…自分の事しか考えてなかった。

 辛くて逃げ出して。

 もう、こっちの事なんて、どうでもいいって思ってた。


 だけど…沙也伽さやかは、闘ってたんだ…

 希世きよは人気者。

 きっと…想像以上の嫌がらせをされたと思う。



「謝るなら、ついでにみんなにも謝りな。みんながあんたを待ってたんだからさ。」


 沙也伽はそう言ってあたしの頭を撫でる。


 …謝ろう。

 勝手に出て行った事。

 もう、いいって思った事。

 頑なに…関口亮太を引き合いに、悲劇の主人公になりきってしまってた事。


 あたしは、愛されてる。

 …慎太郎が、そうじゃなかったとしても。



 * * *



「何やってたんだっ!!」


「あいててててっ…」


 さち兄に、頬をつねられる。

 事務所に行くと、みんなが遠慮がちにあたしを見る中。

 ちさ兄だけは、堂々と歩いて来て…真っ先にコレ。


「いったいなあ…何も思い切りしなくても…」


「バカか。みんなにどれだけ心配かけたと思ってんだ。」


「…今日まで、分かんなかった。」


「…あ?」


「みんなだって隠してたクセに、なんであたしだけ責められなきゃいけないんだ。って…ずっと思ってたから。」


「……」


「その思いは…たぶんまだ残ってる。でも、心配かけた事は…謝って歩くよ。」



 愛されてる。

 そう思う事で消化してようとしてた想いは、何一つ消化し切れてなくて。

 それは…きっとあたしも、父さんも母さんも。

 向き合っていなかったから。



 家を出て、慎太郎と出会って。

 あたしがあたしじゃなくなって、とても…気が楽だった。

 だけどその反面、あたしはきっと…気付いてた。

 いつか、捨てられる事に。


 だって、世界が違いすぎる。



「しっかり鍛錬しとけよ。」


「え?」


「高原さんがデビューさせるっつっただろ?」


「あ…あー…でも…」


「俺のプロデュースでデビューだ。」


「……」


「せっかく華音が音楽の道に進んでくれたのに、台無しにしたら、おまえ許さねえからな?」


 ちさ兄はそう言って、またあたしの頬をつねる。


「親バカ。」


 あたしも、ちさ兄の頬をつねる。


「どこの親だって、自分の子が可愛いさ。だから、気持ちが分からない時は親だって落ち込む。」


「……」


うららに会えよ?」


「…分かってる。その前に…父さんに会う。」


「…スタジオで見かけたぜ。」


「……」


「行って来い。」


 ちさ兄に、背中を押された。

 こっちに帰って、家に居る間中…あたしは、がくにしか会わなかった。

 本気で避けてるあたしに気を使ってたのか、父さんもあまり帰って来なかった。

 …がくにも悪かったな…



 エレベーターで八階に向かう。

 …やだな。

 緊張して来たよ。


 チン。


 八階について、ドアが開いた。


「……」


 ホワイトボードに書き込んであるバンド名を見る。

 …そう言えば、スタジオって…なんで入ってるんだろ。

 SHE'S-HE'Sは今何もないはずだし…

 今は誰かのプロデュースをするって話もなかった気がするけど…


「…え…」


 ホワイトボードに…『DANGER』の文字。

 あたしのバンドの名前。

 Cスタ…


 ゆっくりとCスタに向かう。

 ここのスタジオは通路から中が見えるようになってる。

 近付くにつれて…心臓が大きく音を立てた。


「……」


 スタジオの中、沙都がベースを弾いてる。

 ドラムは…沙也伽。

 そして、ギターは…ノン君と父さん…


 何だよ…沙也伽。

 何も言わなかったじゃん…


 あたしに気付いた沙都が、弾くのを止めた。

 ノン君と父さんが…あたしを振り返る。


 …何やってんの、父さん。

 母さんの付添とか、他にやる事あるでしょ。

 バカじゃないの?


『どこの親だって、自分の子が可愛いさ』


 ちさ兄の言葉が、頭の中でリピートされる。


「紅美…」


 ギターをおろして、父さんがスタジオから出てきた。


「…母さんほったらかして…」


「…ほったらかしてなんかないさ。さっきまで行ってたし、これが終わったらま…」


「ごめん…」


 父さんの言葉の途中。

 あたしは、父さんに抱きついた。


「ごめん…父さん…ごめんね…」


「…ほんとに…世話の焼ける娘だな…」


 父さんは涙声で。

 あたしの頭をクシャクシャにしながら。


「でも、困った事に…可愛くて仕方ないんだ…俺も、困った父親だな…」


 そう言った…。



 * * *



「…紅美…」


 事務所を出た後、そのまま病院に向かった。

 母さんは…拒食症で入院している。

 それだけじゃなくて…精神的なものも。


 父さんが一緒に行こうって言ってくれたけど。

 まずは…一人で会う事にした。



「…ごめん。長い間帰んなくて。」


 パイプ椅子を引いて、座る。

 母さんは驚いた顔であたしを見てたけど、ふいっと布団をかぶってしまった。


 …すごく…痩せた…



「…母さん。」


「…知らない…母さん、もう…あんたなんて知らない…」


「……」


「卒業式だって…帰ってくるって…信じてたのに…」


「母さん。」


「…知らないわよ…」


 あたしは大きく溜息を吐いて、冷蔵庫を開ける。


「何もないね。」


「……」


「あ、食べれないんだっけ。じゃ、仕方ないか。」


 ゴソゴソとカバンからリンゴとナイフを出して、剥き始める。

 それは、父さんからのアドバイス。

 刃物に代わるような物を置いておけないから、母さんの病室には何もないって。



「…あたしさ…大恋愛しちゃったよ…」


「……」


「だけど、結局大失恋…一緒にどこかに行くはずだったのに、彼はいなくなって…代わりに沙都が迎えに来た。」


 あたしの言葉に、母さんは黙ったまま。


「…今も…辛いよ。」


 慎太郎の事、思い出さない日はない。

 でも…おかしな事に気付いた。


「すごく辛いんだけどさ…その辛さのおかげで、関口亮太の娘である事が、どうでもよくなっちゃったんだよね。」


「……え?」


「辛さの上書きっていうのかな…これって。真実を知った時はショックだったし…ましてや、母さんがあたしを信じてくれなかったのも、ものすごくショックだったけど。」


 嫌味のように、そこだけ口調を強くする。


「だけど…彼に捨てられたっていうか…彼がいなくなった事の方がショックでさ…」


 母さんはゆっくりと布団をはぐって、起き上った。


「…あの時…」


「ん?」


「紅美を…早く連れて帰りたかったの…」


「…なんで?」


「ごめんね…母さん…弱くて…」


「そうじゃなくて、どうして早く連れて帰りたかったの?」


 あたしの問いかけに、母さんは涙目になって。


「紅美が…どこかに連れて行かれるんじゃないかって…」


「……」



 あたしが瀕死の重傷を負った時。

 母さんは片時も離れず、あたしを見守っていたと聞いた。

 そして…その話には、続きがあった。


 関口亮太の親戚が集まって。

 誰があたしを引き取るか。

 あたしを前に。

 犯罪者の娘なんて、うちは要らない。

 うちだって困る。

 そんなやり取りが繰り広げられていたらしい。



「…母さん、言葉が足りな過ぎだよ。」


 剥いたリンゴを、食べる。


「…何よ…自分で食べるの?」


「拒食症なんでしょ?」


「バカ…」


 母さんが涙ぐむ。


「…久しぶりだね。母さんの『バカ』聞くのも。」


 あたしは笑う。


「…何、その髪型…男の子みたいよ…」


 あたしは、こっちに帰ってまた髪の毛を切った。

 慎太郎が切ってくれたみたいに。

 …未練がましいな。



「楽でいいんだよ?」


「それじゃ…がくみたいじゃない…」


「そうだね。兄弟だから似てるかもね。」


「紅美…」


 母さんがあたしに抱きついた。


「うわっ、危ないって。ナイフ持ってんのに。」


「…ごめんね…」


「…あたしもね…」



 あたしは、強くなれる。

 きっと…もう慎太郎とは会えない。

 それが、どんなに悲しくても、辛くても。



 これが現実なんだ。


 あの過去があっての、今なんだ。



 * * *



「えーと…どうも…ご心配を…おかけしました…」


 二階堂本家のリビング。

 あたしは三つ指を立てて、頭を下げる。


「本当にな。」


 海君が腕組みをして、あたしを見下ろした。

 学校では、出席を取る時以外に声の掛け合いなんてないから…

 今、こうやって冷ややかな声を出されると…ちょっと…怖いかな…


 それでなくても、あたしが帰って来た時はうちまで来て、ひたすら説教したクセに。

 まだ足りないって顔してる…。


「ま、でもこれで心配事が一つ減ったしさ。」


 泉ちゃんがあたしの手を取って、ソファーに座らせてくれた。



 あたしがいない間に、二階堂本家には大変な事があった。

 爆発物処理に失敗した部下をかばった空ちゃんが、怪我をした。

 それも…記憶喪失。

 事故から四ヶ月経った今も、何も思い出せないらしい。


「紅美が帰って来た事だし…空も帰って来るかもね」


 しき姉がそう言って…その寂しそうな目に、あたしは胸が苦しくなる。

 自分の事でいっぱいいっぱいになってたあたし…ちっぽけだな…

 もっともっと強くなって、みんなを支えたい。


「…ごめんね…本当に。」


 ついうつむいてしまうと。


「らしくない顔すんな。」


 海君が、あたしの頭をクシャクシャにした。

 その乱暴さに少しだけ唇が尖ったけど…おとなしくされるがままにした。


「さ、パイでも食べようか。」


 泉ちゃんがそう言って立ち上がって。


「…誰が焼いたの?」


 あたしの問いかけに。


「あたし。」


 泉ちゃんは威張ったポーズをした。

 そうだよね。

 今日は朝子ちゃんの姿が見えないし…

 でも…泉ちゃんと言えば…


「女としての腕前が装備されてないんだよねー。」


 って。

 家事全般が全くダメだったはず…


「作れるようになったの?」


 キッチンで泉ちゃんに並ぶと、なんだか美味しそうに見えるパイ。


「やっぱ女だしね。一応練習ぐらいしとかなくちゃ。」


「へえ…一人暮らしも無駄じゃなかったね。」


 あたしが感心してると。


「ほとんど弁当生活だったクセに。」


 海君が小声で言った。


「それに、パイだって今日が初めてよね?」


 織姉も不安そう…


「大丈夫だよ!!だって朝子にちゃんと習ったもん!!」


 泉ちゃんはパイを切り分けて、海くんと織姉に渡した。


「なんだ。美味そうじゃん。」


「でしょ?」


「やればできるのね。」


「えへへ。もっと褒めて。」


 だけど…


「泉、何入れた…っ…」


 海君がキッチンに走る。


「…母さん要らない…」


「えっ…ええ〜?マズイ?紅美、どう?」


「…超辛口…」


「あれ〜?おかしいな…どこで何間違えたんだろ…」


 そこへ、たまき兄が帰って来て。


「ああ、紅美……どうした?みんな…」


「…泉ちゃんがパイ作って…」


 織姉が、無言で環兄にパイを差し出す。


「お袋…」


 海君の哀れみの視線の中…


 パクリ。


「……うえっ…」


 環兄が全開で美味しくない顔をして。


「何―――!!父さんまで酷いよ!!」


 泉ちゃんの叫び声と。


「織、おまえっ…なんで…うえっ…よくも…」


 環兄が、食べかけのパイを織姉の口に運んで。


「えっ…あっ、ちょっと…愛する妻にそれはないんじゃ…あああああ!!助けてっ海!!」


「…知らねーよ…」


 海君は、そんな様子を呆れながらも、優しい目で見てる。


「苦しみは分かち合う。そうだろ?ほら、あーん。」


「いつからあなたはそんなに意地悪になったのっ!!」


 二人の仲睦まじい姿を見てると。

 なんだか…あったかくて…泣きそうになった。

 だけど。


「…二人とも〜…可愛い娘の処女作を、酷い言いようじゃないのよ―――っ!!」


 泉ちゃんのマジ切れで、あたしの涙は引っ込んだ。


「あはははは。」


 笑った。

 久しぶりに。


 家族って…

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