第6話 「宿題?」
「宿題?」
初めて入れてもらった、店の控室。
そこでは、女の人たちが何やらプリントを持って唸り声をあげてる。
「そ。あたし達、ろくに学校出てないからさ。」
「通信教育か何か?」
「ううん。これは
この店一番人気のミカちゃんがそう言うと。
「無駄口叩かずにさっさとやれ。」
って、
「へえ…
意外だな。
どっちかと言うと、女に学は要らないって言うタイプかと思った。
「ねえ、ここが分かんなぁい。」
ルミちゃんが甘えた声で言う。
「公式覚えろっつっただろ?」
「どれ?」
つい、ちょっかい出してしまった。
「これ。」
「ああ、公式の使い方が違うんだよ。この場合はxをこの()の中の4に置き換えて…」
「えーと…じゃあ、ここは…こう?」
「そう。そしたら、()の前の2をかけて。」
「………これでいい?」
「うん。正解。」
「初めてできたわーーーーっ!!」
ルミちゃん、大絶叫。
プリントを抱きしめて。
「
あたしの頬にキスをした。
「
「あっ…いや、その…」
胸を押し付けるな。胸を。
「ルミ、凛から離れろ。
不機嫌な声。
あーあ…難しいやつだなあ。
「何。」
控室を出ると。
「おまえ、高校出たのか?」
「…三年の途中だった。」
「勉強好きか?」
「悪いけど頭いいよ。」
慎太郎はジロジロとあたしの顔を見て。
「おまえ、明日からあいつらの勉強見てやれ。」
「…は?」
「ずっとこの仕事をしていくわけじゃないんだから、最低限の学力はつけさせたいんだ。」
「……」
「他の店には高学歴の女もいるってのに、なぜかうちには、漢字もろくに書けない奴が揃っちまってる。」
「……」
ハトが豆鉄砲を食らう。
あたしは、そんな顔をしたかもしれない。
だって、慎太郎…
優しいんだもん…
「いいな。」
「…うん。」
見直した。
「できれば、漢字と英語はしっかり頼む。」
「分かった。」
そんなわけで。
あたしは仕事が終わると、部屋でプリント作り。
それが意外と楽しくて。
久しぶりに没頭できるものが出来た気がした。
…本当なら…
デビューも決まってたかもしれないのに。
…
「くっそ…」
頭をブンブンと振って、頬をパシパシと叩く。
あたしは、久世凜太郎。
今は…もう、音楽の世界なんて…
あたしには、無縁だ。
* * *
「ナナちゃん、87点。」
「すっごーい!!初めてよ!!こんないい点!!」
ナナちゃんはテストを抱きしめて飛び上がった。
あたしが教え始めて一ヶ月。
今も変わらないメンバー12人は、全員がそこそこにいい点を取れるようになっている。
「すごいな。みんな覚えがいいから教え甲斐あるし、嬉しいよ。」
あたしが笑いながら言うと。
「凛ちゃんの教え方がいいのよ。」
みんなは声をそろえて言ってくれた。
この店は、あたしの教室と化している。
「凛、ちょっと来い。」
廊下に出ると、慎太郎はマジマジとあたしの顔を見た。
「何。」
「おまえ、桜花の高等部三年の二階堂紅美?」
懐かしい名前を口にされた気がした。
「…他人の名前みたいだ。」
小さく笑う。
捜索願が出てたのかな。
それにしては…遅い気がする。
「捜索願、出てないぞ。」
「…え?」
「知り合いの刑事があてにならなくて情報屋に頼んだ。捜索願は出てない。学校は休学扱いになってるけどな。」
「……」
家を飛び出したのは、あたし。
こうなる事を選んだのも、あたし。
なのに…
なんだろ。
少し、ショック。
「おい。」
「…何?」
「ショックか?」
慎太郎が遠慮がちに聞くもんだから、つい見つめてしまった。
「…少しね。でも仕方ないや。」
「なんで。」
「あたし、養女だったんだ。」
「……」
「愛されてると思ってたけど…違ったみたい。」
泣くな。
我慢しろ。
「おまえー…」
「そろそろ時間だね。今日はみんないい点取ったから、褒めてあげて。」
慎太郎から目を逸らす。
「よし。明日のプリントでも作るかな。」
「それは帰ってからやれ。」
「えー。寒いんだよなー。」
「用心棒らしく立ってろ。」
「ちぇっ。」
あたしがブツブツ言いながら階段を上がってると。
「凛。」
「あ?」
慎太郎が、何か投げた。
あたしはそれをキャッチする。
「風邪ひくなよ。」
手の中には、カイロ。
「…慎太郎、もう使ってんだ?おっさんだね。」
「うるさい。早く行け。」
…寂しくない。
ここでは、みんなが色んな事情を抱えてて。
あたしなんか、特別じゃない。
だから居心地がいいのかな。
だとしたら…
やっぱり、もうあの家には戻れない。
* * *
「…起きてたんだ?」
眠れなくて、水を飲みに起きると。
真っ暗なリビングに、慎太郎が座ってた。
「眠れないのか?」
「目が覚めただけだよ。」
水を一口。
「慎太郎は?眠れない?」
「ああ。」
「何してんの。真っ暗にして。」
慎太郎の隣に座る。
「雪が降ってんだ。」
「え。」
慎太郎に言われて外を見ると…雪。
「うわ…初雪だ。寒いはずだよね。」
少しだけなんだけど、雪。
静まり返った闇に、舞い落ちる白。
「案外ロマンチストなんだね。」
慎太郎を茶化すと。
「…家を思い出してた。」
意外な返事。
「家?」
「今日のおまえ見てたら、急に思い出した。」
「…どうして。」
「俺のお袋は、人を恨むことでしか生きてられないような人間でさ。」
「……」
「そんなお袋が嫌で、俺は家を飛び出した。」
珍しいな。
慎太郎が自分の事話すなんて。
「おまえ、帰りたいんだろ。」
あたしは慎太郎を見る。
「素直んなれよ。」
「別に帰りたくなんかないよ。」
「今日、泣きそうな面してたクセに。」
「してない。」
「してたさ。残念だったな。捜索願が出てなくて。」
カッとなった。
あたしは慎太郎にクッションを投げつける。
「バカ!!あんたなんかに…」
「甘えてんじゃねえよ。」
「……」
腕を取られる。
いつも以上の低い声に、ぞっとしてしまった。
「ままごとじゃねえんだ。おまえが帰りたくないって言うから置いてやってんだぞ。今日みたいな面するんなら、とっとと帰っちまいな。」
「……」
泣きたくなんかないのに。
ポロポロと涙がこぼれてしまった。
慎太郎が面倒くさそうな顔をして、それが余計…悲しくなった。
「泣くな。」
そんな事言われても、あたしの涙は急に止まらない。
ずっと我慢してた物があふれ出るように。
あたしの涙はとめどなく流れる。
「……」
慎太郎は溜息を吐きながら。
「…悪かった。」
あたしを…抱きしめた。
* * *
「ん……」
眩しくて目が覚めた。
レースのカーテンの向こう。
もう、日は高い。
「……」
この…この状況…
あたし、夕べ…そうだよ…
なんだかわかんないけど、寂しくて悲しくて。
慎太郎の胸で泣いて…
そして…
「紅美。」
いきなり、首を噛まれた。
「ぎゃあっ!!」
「…なんて声出すんだ。」
「だっだって…て言うか…なんで名前…」
「…まさか弟の名前呼びながら、こんな事できねーだろ。」
慎太郎の唇が、あたしの背中を這う。
「あっ……」
あたしは…沙都しか知らない。
十分気持ち良かったし、それで沙都を愛しいとも思ってた。
だけど…
なんだろう。
自分が分からなくなりそうなほど。
意識が遠のいてしまうほどの、快感。
ただ、唇が触れてるだけなのに。
ただ、肌の感触を確かめてるだけなのに。
「紅美…」
何度も。
何度も、果てた。
まるで昔から知ってるみたいに、慎太郎はあたしの体を攻めた。
何なの?
慎太郎。
あたし達…
兄弟だったはずなのに…
「家出の理由はなんだ?」
やっと解放してくれた慎太郎が、そう言いながらあたしの額にキスをする。
だけどまだ…体に力が入らない。
「…家出の理由…」
今は、そんなのどうでもいい。
なのに、自分に興味を持ってもらえた気がして…
「…あたしが、養女だって事を知ってから、家の空気が悪くなって…」
慎太郎の胸に、顔を埋める。
「でも、もうどうでもいい…慎太郎は?」
「あ?」
「どうして、家を出たの?お母さんのせいってだけ?」
「ああ…ずっと嫌だったからな…お袋の生き方が。」
「お父さんと凜太郎は?」
「…親父と凜太郎は…」
何となく、慎太郎の雰囲気が暗くなった気がした。
…聞いちゃまずかったかな…
「おまえ、養女って…実の親の事、調べたのか?」
話を変えたかったのか、慎太郎がそんな事を言って、今度はあたしが暗くなる。
話したら…慎太郎…引かないかな…
「…調べたよ。」
「どんな奴だった?」
「…母親は、父親に殺された。」
「……」
「父親は…大量殺人の犯人…」
「…え?」
「18年前、爆弾作って…15人もの人を殺してるの。」
「……」
「…引いちゃうよね…」
慎太郎は溜息をつきながらあたしを抱きしめて。
「…なんでおまえが苦しまなきゃなんねんだ…」
「…苦しいよ…慎太郎…」
「紅美…」
夕べより、今朝より、もっともっと。
激しいキスをした。
「た…ろ…」
背中に爪を立てる。
こんなになっちゃうなんて、どうしたんだろ…あたし。
慎太郎だって…
いつも、こうなの?って思うぐらい、何度も何度も、あたしを欲しがる。
確か、ランチは食べた。
だけど…それからは?
何も喋らないまま、あたし達は体を重ねた。
「…も…仕事…」
かすかにあるような意識で、時計を見ると。
もうそろそろ、シャワーして仕事に行かなくちゃだよ…
「し…た…」
「…いいから…」
「でも…」
慎太郎が、仕事をいいからなんて。
「今日は…休む…」
慎太郎はそう言って、少しだけ体を動かすと携帯を手にした。
「…ああ、俺だ…」
え?
こんな時に…話すの?
慎太郎はだんだん動きを速めて、自然とあたしの声も大きくなる。
「あっ…」
そんなあたしの口元を手で塞いで。
慎太郎は動き続けた。
「…今夜、俺と凛は休む。ああ…いや、それは頼む…」
話し終わった慎太郎は、携帯を投げ捨てて…
「紅美…」
力強く、あたしを抱きしめた。
それから…
気が付いたら、眠ってた。
「…慎太郎?」
目が覚めると、部屋の中は真っ暗で。
慎太郎の姿は見当たらなかった。
「……」
テーブルの上に、紙切れが一枚。
そこに…何か書いてあった。
目を凝らしてもよく見えない。
照明をつけて、紙を見る。
暗闇から、いきなりの眩しさに、最初は文字が読めなかった。
目を細めて、それからゆっくりと…紙の文字を拾う。
「……ふふ。」
『タバコ買って来る』
そう、一言。
「…慎太郎って、こんな字書くんだ…」
紙を持って、ソファーに寝転ぶ。
…もう、離れられない。
あたしは…
もう、どこにも行けない。
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