第5話 「あー。」

「あー。」


 キラキラなネオン街を、あたしは当てもなくフラフラと歩いてる。


 あたしに謝れって言い続けた母さんの顔…

 やつれてた。


 ここ数か月、ずっと家の中の空気がおかしくて。

 海君は、父さんが自分のせいだって言ってたみたいだけど…

 あたしのせいだよね。

 あたしが、知ろうとしたから。


 …ううん。

 あたしが、血が繋がってないから…



「ちょっと。」


 突然、肩を掴まれた。


「は?」


 振り返ると…

 あ。

 マズイ。


「高校生だな?こんな時間に何してる。」


 あ…ちゃー…

 これ、補導されるやつ?

 嫌だな。

 帰りたくないし。

 誰にも会いたくないし。


「桜花の制服だね?」


 おまわりさん、あたしを上から下まで見て言った。


「い…やっだ。これ、お店の衣装ですよー。もー。」


 軽く、おまわりさんの肩をパシパシと叩く。


「…お店?」


「あたし、まだ高校生に見える?イケちゃう?」


「う…うーん…」


 もう一押し!!


「あっ、もう時間だから、またね!!おまわりさん!!」


「いやいや、ちょっと待て。」


 あああああ…

 ダメか…


「どこの店だ?」


「え…えっと…その先の…ほら。」


「お店の名前と、店長の名前を言いなさい。」


 ダメか。

 あたし、女優にはなれないな。

 肩を落として溜息を吐きかけると。


「なんだ。ここにいたのか。」


 背後から、低い声。


「ああ…久世くぜ君とこの子か。」


「何か、やらかしましたか?」


「いや、桜花の制服はマズイよ?」


「ああ…結構いいと思ったのに、アウトですか。分かりました。」


「じゃ、気を付けて。」


「ありがとうございます。ご苦労さまです。」


「……」


 久世くぜ君。

 あたしは後ろをゆっくり振り返る。

 175のあたしが、少しだけ見上げた。

 沙都さとより少し低いけど、うみ君ぐらいの身長かな。

 黒くて長い前髪。

 その隙間から、鋭い目が…あたしを見てる。



「…家出か?」


「…そんなもん。」


「行くところは。」


「ない。」


「……」


 久世くぜさんはあたしをジッと見て。


「店で働く勇気あるか?」


 タバコに火をつけた。


「…店?」


「風俗。」


「……あたし、18だけど。」


「それが?」


「つ…捕まっちゃうよね?」


「バレたらな。」


「……」


 経験がないわけじゃない。

 だけど、誰でもいいわけでもない。

 生活のためにそうしている人を、軽蔑する気もないし、賞賛するわけでもないけど…



「…用心棒は要らない?」


 あたしは久世くぜさんを見上げて言う。


「あ?」


「あたし、強いよ。」


 小さな頃から、本家に行って体を鍛えた。

 今思えば…

 肺を傷付けられたからか、小さいころは病弱だったように思う。

 それを、父さんが毎日のように本家の道場に連れて行って…あたしを鍛えた。



「…髪の毛、切れるか?」


「え?」


「男のふりができるなら、雇ってやる。」


「切る。やる。なんでも。」


「……」


 あたしの即答に久世くぜさんは苦笑いしながら。


「ついて来な。」


 斜に構えて、そう言った。


 …これからどうなるんだろう。

 とは、思わなかった。

 もう帰る場所はない。

 あたしは、進むしかないんだ。



 二階堂紅美は。

 もう、いない。



 * * *



「食う物は冷蔵庫にある。好きに食っていい。」


 連れて来られたのは、マンション。

 どうやら久世さんの部屋らしい。

 部屋の中を見渡す。

 広い…



「あっちの部屋、好きに使っていい。」


「…えーと…」


「家出してんだろ?帰りたくねーんだろ?」


「まあ…そうだけど…えっ…」


 突然、顎を持ち上げられた。


「名前は。」


「…く…紅美。」


「苗字は。」


「………ない。」


「あ?」


「ないよ。」


「……」


 あたしは久世さんから目を逸らさなかった。

 あたしは一人なんだ。って強い目をした。



「…そこに座れ。」


 久世さんはあたしを椅子に座らせると、ハサミを手にした。


「えっ?」


「髪、切るっつっただろ?」


「こっここで?」


「心配するな。腕はいい。」


「……」


 おもむろにハサミを入れられた。

 何でもやると言ったクセに、まだ覚悟も中途半端なままだったあたしは、足元に散らばる髪の毛を、呆然として見ていた。


「俺は、久世くぜ 慎太郎しんたろう。」


「…久世くぜ慎太郎しんたろうさん…いくつ?」


「23。」


「…意外と若いんだね…」


 ノン君と同じ年か…



 前髪の隙間からあたしを射抜く目は、冷たくて…人を信じないって色をしてた気がする。


「おまえは、今日から久世くぜ 凜太郎りんたろうな。」


「…凜太郎りんたろう?」


「俺の弟。」


「…実在する?」


「…ああ。」


「ふうん…」


 シャキシャキと、小気味いい音と共に落ちていくあたしの髪の毛。

 久世くぜ 凜太郎りんたろう

 男としての道が訪れるなんて、驚きだけど。

 それも悪くないか。



「よし。」


 久世さんがハサミをおろして、あたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。

 たぶん、過去最短なあたしの髪の毛。


「鏡見ていい?」


「ん。」


 久世さんは、洗面所らしき場所をあごでしゃくった。


「……」


 鏡の中の自分を、カッコいいと思ってしまった。

 なんだ。

 あたし、ショートカット、イケるじゃん。



 リビングで髪の毛を集めてる久世さんの隣にしゃがんで、あたしも髪の毛を手にする。


「よろしく、兄貴。」


 あたしがニヤリとして言うと。


「…りん、顔が髪の毛だらけだな。風呂入って来い。」


 初めて…

 久世さんが優しい目をしたような気がした。



 * * *


「初めまして。久世くぜ 凜太郎りんたろうです。」


 大嘘。

 絶対女優になんてなれないと思ってたのに、髪の毛を切って色々割り切ったら…意外とあっさりと。

 あたしは、久世くぜ 凜太郎りんたろうになりきれた。


 久世さんが新調してくれた、スーツ。

 胸はさらしで、まっ平ら。



「えっ…久世って、慎太郎の弟?」


 お店で働いてる女の人たちの前で、挨拶。

 想像してたより綺麗なお店。

 女の子達も、美形揃いの12人。


「そうです。兄弟共々宜しくお願いします。」


 ニッコリ。


「きゃっ。可愛いっ。」


「凛ちゃんって呼んじゃうっ。」


「慎太郎と違って、笑顔が素敵〜。」


 軽く悲鳴が上がって首をすくめる。


「凛ちゃん、あたしとどう?」


 突然手を握られて、女の人が体を摺り寄せてきた。


「えっ…」


「あ〜ん、可愛い!!」


 え…えーと…


「弟に手を出すなよ。」


 久世さんがそう言って、塊が一斉に散らばる。

 …すごい存在感と言うか、威圧感。



 それにしても。

 どうしてこんなに面倒見てくれるんだろ。

 世の中には、色んな人がいるもんだな。

 あたしの事、深く聞かないし。



「凛、外に出るぞ。」


「あ、はい。」


 ふいに腕を引かれる。


「敬語はやめろって言ったろ。」


 耳元で、低い声。


「あー…うん。」


 久世さんの手によって短くなった髪の毛をかきあげる。


「それと、もっと外股で歩け。」


「う…」


 後ろから久世さんを見て、真似る。

 こう…かな?

 手はポケット。

 肩を少し…もう少しだけ、張って…

 うん。

 いいぞっ。



 こうしてると本当に…今までの生活が嘘だったように思える。

 久世さんちに住み着いて、まだ三日なのに。



「凛。」


「は…何?」


「道を教えるから、覚えろ。」


「道?」


「この辺りは似た店も多い分、騒動もある。もしそんな事があった時のための逃げ道だ。」


「逃げ道…」


「闘うのが正しいばかりじゃない世界だ。逃げるが勝ちってな。」


「…なるほど。」


 今のあたしに、似合いすぎる気がした。

 あの家から逃げ出した。

 逃げるが勝ち。


 あたしは…勝ってないけど。



 * * *



「部屋から出るな。」


 久世さんの部屋に住み着いて一ヶ月。

 いきなりそんな事を言われて。

 あたしは渋々と部屋に入る。


 そりゃ、あたしは居候の身だし?

 家主に命令なんてされたら、言う事聞くしかないけどさ。

 でも、料理だって掃除だってしてる。

 少しニュース見るぐらい、いいじゃんか…



『誰かいるの?』


 玄関から、女の声が聞こえた。

 …なんだ。

 女、連れ込むんだ。


『弟』


『え?弟さん?』


『ああ』


『会いたいわ』


『仕事で疲れて寝てる。また今度な』


『食事に誘ってよ』


『ああ』



 …なーんだ。

 こんなに優しい声で、話したりできるんじゃん。

 あたしにはいつも、随分冷たい口調だよな…


 なんて考えてると、いつの間にか眠ってしまってたようで。

 眠い目をこすりながら時計を見ると、五時半。


 早番のあたしが仕事から帰ったのが、二時。

 それから帰って風呂入ったりしてる内に…久世さんが帰って来たのが四時前。

 いつもは朝帰り。

 女連れ込むために早く帰ったのだとしたら、久世さんは元気だな。 



「…のど渇いたな…」


 小さくあくびをしながら、髪の毛をかきあげる。

 部屋を出ようと…


「……」


 まだ、居る。

 しかも、リビングで…


『……あっ…』


 コトが、行われてる。


 女の人の、なんとも言えない吐息。

 ふと…沙都を思い出してしまった。


「…やだ。」


 ベッドにもぐりこむ。

 どうして思い出す?

 もう、あたしはあたしじゃなくなったはずなのに。

 耳をふさいでも、女の人の声が聞こえてくるような気がして。

 あたしはベッドの中で丸くなったまま。

 また…いつの間にか眠ってしまってた…。



 * * *


「起きろ。」


 バッ。

 布団をはぎ取られて、目覚める。


「…何時?」


 目をこすりながら起き上ると。


「12時。いつまで寝てんだ。」


 不機嫌な声。

 あたしは髪の毛をクシャクシャにして立ち上がる。


 そんな言い方しなくてもいいじゃんか。

 だいたい、あんたが女連れ込んでリビングなんかでヤるから…

 って言っても、ここは久世さんちだから、文句も言えやしない。



「久世さん、コーヒー切れてるよ。」


「久世さんはやめろ。普段も男でいろ。」


「…じゃ、なんて呼べば?」


 カップを出しながら聞く。


「慎太郎でいい。」


「呼び捨てていいの?」


「お前、兄弟いないのか?」


「……」


 がくを思い出した。

 確かに…あたしの事、呼び捨ててたな…


 あたしは無言で紅茶を入れると、慎太郎の前に乱暴に置いた。


「もっと丁寧に置け。」


「っさいな。男みたいにしろっつったじゃん。」


 なんか、ムカムカしてきた。

 何のムカムカだろ、これ。


 乱暴にソファーに座ると…


「…忘れもん。」


 派手なブラジャーがクッションの下から出て来た。

 何だこれ。

 ノーブラで帰ったのかよ…まったく。


 人差し指に引っ掛けて、クルクル回す。


「色っぽい声だったね。」


 そう言いながら、忘れ物を慎太郎の膝元に投げる。


「聞いてたのか。」


「聞こえたんだよ。」


「それで寝不足か。」


 慎太郎が、ふっと笑った。

 

 ムカッ。


「コーヒー買って来る。」


 勢いよく立ち上がると。


「待て。」


 手を掴まれた。


「何。」


「おまえ、捜索願、出されてないか?」


「…え?」


 捜索願…

 そうだ…

 出されてるかもしれない。

 そうだとすると、二階堂はすごい捜査網を持ってるから…


「…出されてるんだな?」


「……」


「苗字教えろ。」


「…え?」


「知り合いの刑事に探りいれるから。それまでは表通りには出るな。」


「……」


 慎太郎は、無言のあたしの手を引っ張って座らせると。


「苗字は。」


 って、すごんだ。


「……」


「ここに居たくないなら、答えなくていい。」


「……二階堂……」


「二階堂紅美、な。」


「ん…」


 とりあえず、今頼れるのはこの人だけ。

 …腹が立つこともあるけど、従っておこう。


「コーヒー買いに行くなら、この裏の『影』って茶店に行きな。」


「影…ね。」


 何となく照れくさくなって、顔を見ずに立ち上がる。

 すると、慎太郎はあたしの背中に言った。


「さっさと帰って来いよ。凜太郎。」

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