第4話 「紅美、俺と演るなんて勇気あるな。」

紅美くみ、俺と演るなんて勇気あるな。」


 ノン君が笑いながら言った。


 ノン君こと、桐生院きりゅういん 華音かのんくんは、あのかみ 千里ちさと桐生院きりゅういん 知花ちはなの長男。

 音楽の世界で言うと、折り紙つきのサラブレッドだ。


 あたしより五つ年上の23歳。

 双子の妹、咲華さくかちゃんは桐生院家唯一のOLで。

 社員旅行や出張はもとより、残業に関しても桐生院家の皆さんは興味津々。

 咲華さくかちゃんに、どんな事をしているのか、どういった仕組なのか。と、質問攻め。

 …それだけ、普通とはかけ離れてる家って事だよね。


 ノン君は大学を出た後、じいちゃんの会社を手伝うのだとばかり思ってたけど…

 こんな展開になってしまった。

 ちさ兄が言ってくれるより先に、沙都さとが口説いたらしい。



「それにしても、デモ聴いてビックリした。想像以上に本格的で。」


「そう?」


「ああ。紅美くみ、低音いい声出すな。」


「高音も褒めて。」


「ははっ。」


 今日は初めての音合わせ。

 事務所の贅沢なスタジオを使わせてもらう事になった。

 沙也伽さやか沙都さとは、記念すべき初日に遅刻。

 あたしとノン君は、楽しみで仕方なくて早く来てしまったと言うのに。



「とりあえず、ソロは紅美くみが言ったような感じにしてみたけど。」


「あー、ノン君が好きなように弾いていいよ。あたし、それに合わせて適当にリフ作るから。」


「さすが二階堂陸の娘。」


「……」


「ん?」


「あ、ああ…うん。」



 ノン君にしてみれば…自然に出た言葉。

 なのに…

 あたしは過剰に反応してしまった。


 あたしは、父さんの娘だよ。

 分かってる。

 ここまで大きくしてもらって、十分だって。



「そ…それにしても、ちさ兄大喜びだったでしょ。」


 アンプのスイッチを入れる。


「あはは…まあね。」


 ノン君は苦笑い。


「本当は高校の時に、軽音部にも入ってたんだけどさ。」


「えっ。」


「文化祭とかも、ステージの裏で弾いてたんだ。」


「えーっ!!何それ!!影武者みたいな感じ?」


 あたしが笑いながら言うと。


「まあ、そうかな。親父に知られたら、絶対何かやらされると思って。」


 ノン君もアンプのスイッチをオン。


「そんなに嫌だったの?」


「嫌って言うか、迷ってたのかもな。」


「迷ってた?何に?」


「いわば俺は業界ではサラブレッドだろ?その道に進むか…咲華さくかみたいに、当たり前みたいで実はすごく難しい社会に出るか。」


「…なるほど…」


「どっちにしても茨の道だなって思って、大学でチャラチャラしながら選んでた。」


「チャラチャラ…」


 小さく笑う。

 確かにノン君はどこか適当な所があって、華月かづきちゃんが。


『お兄ちゃんの彼女って、絶対苦労する。』


 なんてボヤいてたっけ。



「で、サラブレッドの道を選んだんだ。」


「そーだな。」


「キッカケは?」


 あたしの問いかけに、ノン君は少しだけ首を傾げて。


「この道で成功したら教える。」


 あたしの作った曲のイントロを、すごくカッコよく弾き始めた。



 * * *


「またサボってんのか?」


 パチッ。

 目を開けると、海君がいた。

 沙也伽が休んでるし、体育祭の練習は面倒だし…

 最近のあたしは、保健室通いが定番。



「サボってって…昼休みだよ?」


「健康女子が、保健室のベッドで昼寝かよ。」


「う…」


 海君は机の上に置いてあるノートを見て。


「って…おまえ、三限目からいんのかよ。」


 眉間にしわを寄せた。


 保健の松田先生には、そんなに寝不足が続くようなら帰って休むか診察を勧められたけど。

 家には帰りたくないし…

 診察なんて、必要ない。

 眠れない理由は、決まってるんだから。



「だーって…」


「何。」


「…眠れなくて。」


「授業中は眠らなくていい。」


「……」


「だいたい贅沢だぞ?保健室一人占めなんて。」


「…みんな元気な証拠でしょ。」


 海君はパイプ椅子を引っ張ってそばに来ると。


「で?なんで眠れない?」


 椅子に座って…顔を近付けた。


「…小田切センセ、近いよ。」


「ふっ。照れてんのか?」


「照れるかっ。」


「話せよ。何でも聞いてやるから。」


「……」


 ずっと…悶々としてる。

 あたしは愛されてる。

 分かってるのに…


 あれから、家の空気が変わった。

 母さんはよそよそしくなったし、父さんは帰ってくる時間が遅くなった。

 がくだって…以前みたいにくっついて来ない。

 誰もハッキリとあたしを関口亮太の娘だなんて言わないけど、それが返ってあたしの中のモヤモヤを増長させる。



「…あたしって、あいつの娘…だよね?」


 海君の目を見ずに問いかける。


「…あいつ?誰だ?」


「…関口亮太だよ…」


「もしそうだとして、何か問題があるのか?」


「…認める?」


「あ?」


「あたしは、関口亮太の娘?自分で作った爆弾で、大勢の命を奪った…最悪な父親に、背中を刺されて殺されかけたの…?」


 寒くもないのに、体が震えた。

 手が小刻みに震えてる気がして、口元まで引っ張ってたシーツをギュッと握りしめる。


「…半分は本当だけど、間違いもある。」


「…どこが?」


 海君は少しだけ目を閉じた後。


「殺人犯に背中を刺されたのは本当だけど…おまえの父親は二階堂陸だろ?」


 あたしの頭をなでながら言った。


「…そんなの、真実じゃないでしょ?」


「おまえは陸兄を父親と思ってないのか?」


「そうじゃないけど…」


「真実ってなんだ?それを知って、どうしたい?」


「……」


 そう言われると、あたしも何をどうしたいのか分からなくなってくる。

 だけど…


「…あの新聞記事を送ってきた人…あたしが関口の娘だって、知ってるって事だよね?」


「……」


 差出人はなかった。

 消印もバラバラだった。

 調べようがない。



「あたしに…何か訴えたいんじゃないかな…」


「何を?」


「…何も知らずに、幸せになるな…とかさ…」


 あたしが弱気な声で言うと、海君は頭を撫でてた手をあたしの目を上に置いた。


「なっ何?」


「そのまま目を閉じろ。」


「え?」


「いいから。」


「……」


 言われるがまま、目を閉じる。


「五歳の時だったかな。おまえ、うちに遊びに来てて池に落ちて頭を切ったよな。」


「うっ…」


「母さんは、頭だから大げさに血が出てるだけだって言ったのに、陸兄と麗姉は血相変えておまえを病院に連れてってさ。」


「……」


「結局、消毒されて薬塗られて帰って来たんだよな。そんなの、うちでもできたのにってみんなに言われて、陸兄たち小さくなってたな。」


「……」


「それから、小学校に行くのが嫌だって駄々こねた時も、陸兄毎日手を繋いで校門の所まで行ってたよな。」


「……」


「紅美の事、可愛くて仕方なくってさ…何でも言う事聞いてやりたいって、いつも言ってた。」


 海君の指の隙間から、あたしの涙がこぼれ落ちる。

 思い出の中、父さんと母さんは十分すぎるほど…あたしを甘やかして、愛してくれた。

 だから…

 だから、余計に辛い。


 苦しい。



「…雰囲気が悪いらしいな。陸兄、自分のせいだって悩んでた。」


「……」


「ちゃんと、家族全員で向き合って、話してみたらど…」


 あたしの目から離れそうになった海君の手。

 あたしはそれをグッと掴んで押さえつける。

 離さないで。

 今離したら…もっと涙がこぼれる。



「……」


 海君は、空いた方の手であたしの頭を撫でると。


「みんな、おまえが大事だから。苦しい時は甘えろ?」


 優しい声で言ってくれた。



 * * *



「最近元気ないね。」


 久しぶりに、沙都さとと一緒に下校。

 海君に背中を押されたものの…何となく家に帰るのが嫌な状態は続いてて。

 今日は、沙都とCDショップに寄り道。



「そう?」


「うん。せっかくデビューの話も進んでるのに、紅美ちゃんあまり乗り気じゃなさそう。」


 先日のスタジオ入りの時、思いがけず会長さんが顔を覗かせた。

 会長さん。

 高原夏希さん。

 そして、高原さんは言った。



「うん。この調子で腕を上げてけば、一年後にデビューするか。」


 呆気にとられた。


「ノン君、サラブレッドの道まっしぐらだね。」


「沙都は人の事言えない。」


 腕を上げていけば。だけど。

 上がらないわけがない。

 ノン君のギターは、想像以上に上手かった。

 上手いだけじゃない。

 …刺激的で、惹きつけられた。

 もっと上手くなりたい。

 あたしに、そう思わせた。



「ちょっと待って。」


 ショップを出ようとすると、声をかけられた。

 振り返ると…その店の店員らしき男性。


「はい?」


「カバンの中、見せてもらえる?」


「え?」


 沙都と顔を見合わせる。


「どうしてですか?」


「いいから。」


「……」


 別にやましい事はないし…と思って、持ってたカバンを開けると…


「え。」


 そこに…

 まったく覚えのないCDが三枚…


「これは?」


「こっちが聞きたいぐらいです。」


「…ちょっと事務所まで来てもらえる?」


 何なの?

 どうして?

 あたしと沙都は、わけもわからないまま、事務所に連れて行かれた。


 そこには二十代後半の女性が一人と、少し年配の男性が二人。

 まるで捕ってきた来た獲物を待ち構えてたかのように、あたし達を見て笑ったように見えた。


「座れ。」


 命令かよ。

 おもしろくないけど、出されたパイプ椅子に座る。



「最近万引きが増えて困ってたんだが…おまえらか。」


「正直に話せば、警察には言わないから。」


 逃げないように。なのか。

 あたしと沙都の後に、年配の男の人二人が立つ。


「いや…あたし万引きなんてしてません。」


「でも、実際カバンに入ってたでしょ?」


「それはー…でも、あたしCDを手に取ってもないですよ?」


 あたしが反論すると、隣で沙都が。


「僕、ずっと一緒にいました。確かに、ずっと見てるだけで手にはしてませんでした。」


「…共犯なんじゃないの?」


 女の人が、髪の毛をかきあげながら言った。


「は?」


「一人が見張りで、一人が万引き。よくある話じゃない。彼がおとりになれば、何でもできそうじゃない?カッコ良くて目立つし。」


 ニッと笑った口元が、いやらしいぐらい赤く見えた。


「今なら学校にも警察にも黙っててやるから。素直に認めて謝罪したらどうだ?あ?」


「……」


 ムカムカする。

 だけど我慢我慢。


 これって…きっと、あたしを気に入らない誰かがやったんだろうなー…

 沙都を巻き添えにして悪いけど。

 あたしって、どうしてこんなに嫌われるんだ?


 …変な新聞記事のコピーが送られてきたり…



「どうした。認めないのか?学校に連絡するぞ?その制服は桜花だな。」


「……」


 あたしが無言のままおじさんを睨みつけると、おじさんは舌打ちしながら携帯を手にした。


「…紅美ちゃん…」


「ごめんね、沙都。巻き込んじゃって。」


「巻き込むって何だよ…でも、大丈夫なのかな…」


「だって、何もしてないもの。」


「そうだけど…」


「生徒手帳発見〜。」


 勝手にあたしのカバンをあさってた女が、入れっぱなしにしたままの生徒手帳を手にした。

 何も書き込んではないけど、名前と住所はバレバレだ。


「じゃ、家にも連絡、と。」


「ちょっと、やめてよ。」


 あたしが生徒手帳を奪おうとすると。


「だって無実なんでしょ?親が来ても、そう言い切れるならいいじゃない。」


「……」


 ムカムカにイライラがついた。

 それとも、本当にあたしがやった?

 あたしにも、悪い血が流れてて。

 無意識のうちに…


 溜息をついて、足を組んだ。

 そんなあたしを見て、おじさんは眉をしかめた。


「失礼します。」


 何分考え事をしてたのか。

 気が付いたら、海くんが事務所に入ってきた。


「…海君?」


「桜花の小田切と言います。」


 海くんはあたしと沙都をチラッと見て、おじさん達に向き直った。


「万引きと連絡があったのですが、何かの間違いでは?」


「でもね、ほら。CDが3枚。この子のカバンに入ってたんですよ。」


「万引きする所を見てたんですか?」


「いや、私は見てませんけどね…実際こうやって入ってたわけですし。」


「誰かに入れられたって事は?」


「…証人がいるんですよねえ…」


 おじさんが、切り札と言わんばかりに、そう言った。

 それには、あたしと沙都も驚きを隠せない。


「証人とは…?」


「うちの常連さんなんですよ。」


「見間違いでは?二階堂は万引きなんてできる人間ではありません。」


 …ちょっとだけ、海君を見上げる。


「あれですよ。ストレス?多いんですよね…学生の万引き。ま、今回だけは大目に見てもいいんですよ?そちらの出方次第で。」


「だから、あたしはやってないって。」


「万引きした奴らは、みんなそう言う。」


 何なの!!

 イライラが頂点に達しそうになった時…


「紅美!?」


 母さんが、血相変えてやって来た。


「母さん…」


「どうして?紅美…どうしてこんな事…」


 母さんはあたしにそう言ったかと思うと。


「ご迷惑を…おかけしました…」


 おじさんに、深々と頭を下げた。


「ちょっ…ちょっと!!何謝ってんの?あたし何もしてないってば!!」


「…いいから、謝りなさい。」


「母さん…」


 おじさん達は、ふふんって顔してる。

 海君は母さんの肩に手をかけて、何か小声で喋ってる。

 沙都は…困った顔。


 そこへ…


「失礼します。桜野北署のさかいです。」


 警察の人間が入ってきて、海君が眉をしかめた。


「警察に連れて行って下さい。」


「ちょっと待って下さい。」


 海君が止める。


「あなたは?」


 境って人が少し失礼な感じで、海君をジロジロ見た。


「…桜花で教師をしています、小田切と言います。」


「ああ、先生ですか。」


「境さん、桜野北署には何年お勤めですか?」


「は?」


 境はとぼけたような声を出して。


「先生に、関係ありますか?」


 笑った。


「…管理番号…」


「……」


「…が、私です。」


「…………はっ…」


 海君が境に小声で何かを言った途端。

 境は、一歩後に退いて。


「ごっ…ご苦労様です!!」


 姿勢を正して、敬礼をした。

 その様子を見たあたし達全員が、ポカンとしてしまう。



「…この件は何か間違いだと思うのですが。」


「そっ…そうでございますか!!」


「すみません。防犯カメラの映像はありますか?」


 海君が問いかけると。


「そっそそそう。防犯カメラ。」


 境も繰り返した。


「いや〜…死角になってるコーナーでね。調べてからやったんじゃないかと思うんだけど。」


「だからあたしは…」


 あたしが呆れたように立ち上がると。


「いいから紅美。早く謝りなさい。」


「……」


 母さんが、あたしの腕を掴んで言った。


「…何なのよ。あたしがやったと思ってんの?」


「……やってなくても、もういいから。謝って…早く帰りましょう…」


「何言ってんの?」


「とりあえず、現場検証してみませんか?その証人の方達を呼んでもらって…」


 海君がそう言いかけてるのに。


「どうもすいませんでした。ほら、紅美も早く。」


 母さんが、あたしの腕を掴んだままで、深く頭を下げる。


「ちょ…母さん!!」


「謝りなさい!!」


「……」


 母さんの剣幕に、あたしは引いた。

 目を真っ赤にして、あたしを怒鳴るなんて…

 どうして?

 あたしを疑ってるわけ?


「何なのよ!!」


 最近のイライラが積もり積もってたあたしは。

 そばにあったパイプ椅子を蹴飛ばした。


「紅美ちゃん!!」


「うわっ!!逮捕だ!!逮捕!!逮捕してくれ!!」


「もうたくさんよ!!家族ごっこなんて終わり!!」


「紅美…」


「みんな大嫌い!!!」


 海君の手が強く肩を掴んだけど。

 あたしは、その手を振り払った。


 もう、誰も信じない。


 あたしは。




 誰からも愛されてなんかない。

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