第3話 「あー、いいお湯。」

「あー、いいお湯。」


 あたしは温泉に浸かっていい気分。

 でも、隣にいる華月かづきちゃんは、浮かない顔。


 いつもは希世きよの叔父さんで、病院の先生をしてるわっちゃんとリハビリで温泉に行ってるんだけど、今日の温泉は違う楽しみって言ってたのに。



「どうしたの?華月かづきちゃん。」


「…え?」


 あたしが声をかけると、華月かづきちゃんは驚いたように顔を上げた。


「難しい顔してるよ?」


 顔を覗き込む。


「あー…何でもない。」


 華月かづきちゃんは顔をザバザバと洗うと。


「みんなで入れて、気持ちいいね。」


 笑った。


「うん。」


 あたしと華月かづきちゃんが笑ってると。


「いいなあ…二人とも。」


 ふいに朝子あさこちゃんが言った。


「何?」


「二人とも、スタイルいいんだもん…」


「何それ。華月かづきちゃんはモデルだけあるって感じだけど、あたしなんて少年体型じゃん。」


 威張ったように立ち上がる。


「少年体型なら、あたしだって負けてないっ!!」


 あたしに対抗して、泉ちゃんが立ち上がった。


「…泉のは、もろ少年だけどさ…」


 空ちゃんが泉ちゃんを見てクスクス笑う。


「紅美はウエストのくびれとか、締まった二の腕とか、カッコいい体してるね。」


「そっかな。空ちゃんだって形のいい胸してるし、カッコいいじゃん。」


 あたしが空ちゃんの胸を触りながらそんな事を言ってると。


「…コンプレックス感じちゃうな〜…」


 朝子ちゃんは、ぶくぶくと言いそうなぐらい、湯に沈み始めた。


「なんで?」


「だって…紅美くみちゃんもきれいな胸だし…」


「えっ、そう?嬉しいな。」


 あたしは自分の胸を見下ろす。


「朝子は痩せすぎなのよ。もっと食べて体作んなさい。」


「食べるぐらいじゃ、胸はきれいにならないよね…?」


「そうだなあ…海君に手伝ってもらうとか…」


 あたしが真顔でそう言うと。


「紅美…それは沙都さとのおかげなわけ?」


 空ちゃんがクスクス笑った。

 このメンバーは、あたしと沙都さとの関係を知っている。


「ま、そうなのかな。あいつ何かと上手い気がする。」


「やっやややややだっ!!紅美くみちゃんったら!!」


 朝子ちゃんは真っ赤になって、あたしに湯をはじいた。


「あはははは。朝子ちゃん、真っ赤だよー。」


「まったく、中学生かってのよね。」


 あたしと空ちゃんは大笑いしてたんだけど。


「…どういう意味?」


 泉ちゃんと華月かづきちゃんは、まったく話が分かっていなかった…。



 * * *



「……」


 右、よし。

 左も、よし。


 水曜日。

 学校が早く終わって、夏風邪なんてひいたバカな沙都の見舞いに行こうと思ったけど…

 風邪がうつるのも嫌だしな。と思ってやめた。

 そして、あたしの足が向いたのは…本部。


 例の爆弾魔の事件。

 海君は気にするなってそれだけだし。

 確かに、あれから手紙は来なくなった。

 だけど、気になってないわけじゃない。

 何となく時間が経つにつれて、調べなきゃいけないんじゃないかって気持ちが強くなった。


 図書館に行って記事を探したけど、送られてきたコピーと同じものは見つからなかった。

 どういう事だろう?

 あのコピー自体が作り物だった?

 それとも…


 何気ない顔で本部に潜り込む。

 簡単に入れるわけじゃないけど、あたしは頭がいい。

 いい方にも、悪い方にも。



「えーと…18年前…」


 ここは海君が使ってる資料室。

 海君が車で出かけたのはチェック済み。

 事件発生の日をパソコンに打ち込む。


 確か、名前は関口亮太。



「…あれ?」


 データが出て来ない。


「……」


 あたしはポリポリと頭をかいて考える。

 怪しい。

 データロックされてるなんて。

 名前を確認して、もう一度。


「ダメかー…」


 パスワード入れたら、きっとロック解除されてデータ閲覧のページが開いて、そこでまたパスワードって仕組なんだろうけど…

 最初のが分からないんじゃ、何も出せないよ。

 秘密にされてると思うと、ますます気になる。


「うーん…」


 頭の中で、あれこれ想像する。

 海君の好きな物。

 海君の尊敬する人。

 海君が大事にしてるもの。


 デスクの周りにある物を見渡して、色々考える。


 …だけど、海君だって頭がいいんだから…

 こんな時のために、きっと対策たててるよね。


 …うん。

 むしろ簡単な物だ。



「…っと。」


 あたし、思ったワードを打ち込む。

 まずは家族だよね。



「…ビンゴ。」


 最初のロックが解除された。

 問題は次だな…

 誕生日なんかは使わない。

 海君が…目指すもの。


「………よし。」


 一発勝負。

 これでどうだ。


「…開いた…」


 自分でドキドキした。

 あたし…なんで分かったんだろ?



「あっ…こうしちゃいられない…えーと…」


 再度名前を打ち込むと、パッと画面が開いて…



「何々…関口亮太。事件当時28歳。爆発物処理班管理番号20892…ん?」


 何…

 この人、二階堂で働いてたって事?


「…自作爆弾で通行人10人を殺害…なんだこれ…」


 スクロールしていくと、次々と関口の犯行が出てきた。


「住宅爆破…全部の事件で15人が犠牲に…その後立てこもったアパートにて妻の菜々美の首を絞めて殺害…生後二ヶ月の娘の背中をナイフで刺し重傷を負わせ自殺…」


 …自分の妻子まで…


「…背中をナイフで刺し…」


 なんだろう。

 ふと、背中に寒気が走った。

 あたしの背中にも…傷跡がある。

 それは、沙都が気付いた事。

 自分では気付かないような、うっすらとした傷跡。

 熱くなると、赤くなるという…傷跡。


「……」


 心臓が…バクバクしてる。


「誰だ!!」


 ふいに声が聞こえて、あたしはパソコンの電源を落とした。

 そのまま資料室の棚伝いに身を隠しながら、隣の部屋に逃げ込んだ。

 資料室からは数人の声がして…



「…もしもし、陸兄?うん…実は今…」


 海君の声が聞こえてきた…。



 * * *



「紅美!!」


 午後10時。

 何となく帰る気分じゃなくて、あちこちをうろついて家に帰ると…うちの周りは大騒動。


「…どうしたの…みんな揃って。」


 最初に駆け寄ってきたのは、父さんだった。


「おまえ…今までどこに?」


「別に、街ん中ウロウロしてた。」


「どうして連絡しない?」


「えー…どうして?なんで今日はこんな事になってんの?」


「……」


「今までだって、こんな事あったじゃない。連絡しなくてごめん。」


 家の前には、本家からもわんさか人が来てる。

 あたしはその人の波を抜けて、家に入った。



「……なんなのよ…」


 小さくつぶやきながら溜息をつくと。


「何やってたんだよー!!」


「うわっ!!」


 いきなり、がくがタックルして来た。


「いっ…いったいなあ!!なにすんのよ!!」


「紅美がいけねーんじゃん!!遅くなるなら、ちゃんとれ…連絡しろ…よ…」


 怒鳴ってたがくがいきなり泣き始めて。

 あたしはたくさん瞬きをする。


 …もしかして…

 関口亮太の娘はあたしで。

 何か理由があって、あたしはここに引き取られて。

 それで…それを…

 がくは知らされたのかな。



「…何泣いてんの?」


 がくの前髪をわしづかみにして言うと。


「う…るさいっ!!紅美が、帰って来ないから…!!」


「ふーん。あんた、いつまでもそんなんじゃ彼女できないよ?」


「そんな、笑うな!!母さん、具合悪くなって寝込んでんだぞ!?」


「え。」


「…心配かけんなよ…」


「……」


 心配、かけんなよ。

 うん。

 そうだよね。

 あたし…別に…

 なんて事ないじゃん。

 血が繋がってなくたって。



 ……殺人犯の、娘だって。



 * * *



「ふああああ〜…」


 二学期が始まった。

 夏休みはー…いつもと変わりなく過ごしてたつもりだけど。

 何かが違った。


 関口亮太の事。

 誰も、何も言わない。

 あたしが調べた事、きっと海君は気付いたはず。

 それを父さんにも、みんなにも話したはず。


 だけど…誰も何も言わない。

 あたしも、言わない。



 学校は、間近に迫った体育祭に向けて、お祭り騒ぎになっている。

 こういう行事、なぜか命をかけてるかのように。

 各クラスとも、昼休みを削ってまで何かとトレーニングや練習が繰り広げられてる。


 だけどあたしは…こうして保健室で過ごしている。



 最近…眠れない。

 寝不足も手伝って、ボンヤリしたままベッドに横になってる。



「なーにこんなとこでサボってんだ?」


 ふいにカーテンが開いて、海君が顔を覗かせた。


「…危ないなあ。脱いで寝てたらどうするつもりだったのよ。」


「紅美の裸かー…温泉で見たがくの裸が浮かぶな。」


「ばーか。」


「保健の先生誰だっけ?なんでいないんだ?」


「松田先生でしょ?体育祭の練習だって張り切って出てったよ。」


「へえ…おまえのクラスは?練習ないのか?」


 う。痛いとこ突かれた。


「海君こそいいの?女子が探してんじゃないの?」


「先生にも息抜きは必要です。」


「はいはい。」


 寝転んだまま、んーっと伸び。

 あー…億劫だなー…

 もう帰っちゃおうかな…



「…紅美。」


「んー?」


「おまえ、あの時何しに来た?」


「…あの時って?」


「隠すな。」


「……」


 隠すなって…

 隠してたのは、みんなじゃん。

 言いかけて…やめる。



「何の事よー。やだな海君。」


 あたしが起き上がって笑いながら言うと。


「…無理して笑うな。」


 海君は、あたしの目を見て言った。


「…無理なんか…」


「してないか?おまえ、夏休み全然家にいなかったって陸兄が言ってたぜ?」


「…沙都んち行ったり、沙也伽んち行ったり、バンドの練習したり、忙しかったのよ。」


「紅美。」


「……」


「…何があっても、みんな紅美の事…本当に大切に想ってるから。」


 海君の優しい声に、少しだけ泣きたくなった。

 何があっても?

 それって、やっぱり…


「…ねえ…」


「ん?」


「…あたし…」


「……」


 シーツをギュッと掴む。

 怖い。

 ううん、知りたい。

 …ううん…やっぱり知りたくない…


「あたし…」


「……」


「あたしって、養女?」


 遠回しに聞いてみる。

 すると…


「あーっ、小田切先生、こんな所にいた!!」


 保健室のドアが開いて、いきなり女子生徒の大声。


「…保健室では静かに。」


 海君は静かに立ち上がると、カーテンを閉めて保健室を出て行った。



「……はあ……」


 胸がバクバクした。

 もし、海君が頷いてたら…

 あたしは…


 どうなってたのかな。


 * * *


「おい、紅美。」


 事務所に遊びに来て、沙也伽がドラマー仲間の希世きよとどこかに消えてしまった。

 ボンヤリとロビーのソファに座って、吹き抜けの天井を見上げてると…現れたのは、ちさ兄。


「あ、久しぶり。」


 みんなはちさ兄を怖がるけど、あたしは気が合う。


「何やってんだ?」


「見学に来たの。あ、ノン君来てる?」


華音かのん?」


「ギター弾いてるって。」


「ああ…」


 ちさ兄は少しだけ嬉しそうに髪の毛をかきあげた。


「こっそりやってたみたいでさ。やられたって感じだけど…もうすぐ来るけど、会うか?」


「もう誰かとバンド組んでる?」


「いや、DEEBEEにちょっかい出させようかと思ったり…」


「あっ、待ってー。あたしんとこにして。」


 ちさ兄の腕に手をまわして言う。


「ああ…おまえもやってんだっけな。」


「うん。」


「分かった。言っといてやるよ。」


「やった。よろしくね。」


「ああ…それと…」


「?」


「…ちょっと、こっち来い。」


 ちさ兄はあたしをロビーの奥にある、ミーティングルームとやらに連れて行くと。


「紅茶でいいか?」


 自販機のボタンを押した。


「ありがと。」


 神 千里におごってもらっちゃった。

 なんて思いながら、小さく笑う。



「…おまえ、自分の生い立ちを知りたいか?」


「……」


 思いがけない人からの言葉に、あたしは口をつけかけたカップから顔を上げた。


「麗はな…妊娠八か月で、死産したんだ。」


「…え?」


 初めて聞く話に、あたしは目を丸くする。


「それで、もう子供は望めないだろうと言われた。」


「……」


「さすがにあの時の麗には、かける言葉が見つからなかったな…誰とも一言もしゃべらなくて…」


 母さんは…気の強い人だ。

 だから、何があっても…弱い所なんて見せないのに…


「そんな時、重症を負った赤ん坊が病院に担ぎ込まれた。」


 ドクン。

 あたしの心臓が、激しく打った。


「…何か感じ取るものがあったんだと思う。麗は…ずっとその赤ん坊の様子を片時も離れずに見守った。」


「……」


「そして、自分の子供として育てたい、と。」


「……」


「それからは奇跡続きさ。」


「…奇跡?」


「もう妊娠できないって言われたのに、がくが産まれたんだからな。」


「あ…」


 ちさ兄はふっと優しい目になって。


「紅美、おまえは愛されてる。」


 あたしの頭を撫でた。

 途端に…

 あたしの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。



「…誰の子供だなんて、関係ないんだ。俺たちもみんな、おまえの事が可愛くて仕方がない。」


「…ふっ…う…」


 涙が止まらない。

 あたし、本当に…あいつの娘だったんだ。

 でも、そんな事どうでもいい。


「しっかり泣け。」


 ちさ兄はあたしの手から紅茶を取ると。

 優しく頭を抱き寄せてくれた。



 あたし…愛されてる?

 うん。

 愛されてるよ…


 だから…

 笑っていればいいんだ。





 今までみたいに。

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