第一〇話 紅い瞳の彼女
その日の授業は、それで終わりだった。
一日六時限あるうちの、後半三時限を実習に使った形になる。
ヴァーサクの森は学院から少し距離があるため、行きも帰りもゴドラゴという生物の背に乗っていく。
ゴドラゴとは巨大な亀のような生物で、脚は三対六本生えている。
背中の甲羅は平たく、また中央部分が大きく凹んでいる。
「それでね、この凹んでる部分に雨水を溜めて、それを飲んで水分を補給するの」
「やっぱり動物のこととなると物知りですね、ピルピィ」
「えへへ〜」
それらの知識は、全てピルピィの説明によるものだった。
ゴドラゴは鈍重ではあるが巨体ゆえに歩幅が広く、六本の足であるため背に乗っていて大きな揺れも感じにくい。
そして何より人間に懐きやすいので、よく観光用の移動手段として背中の凹み部分の池に小小舟の座席を浮かべて乗るのが一般的である。
輸送用のゴドラゴの背には一〇人くらいが乗れるため、ミウやハンナ、ピルピィ、グラーシェ、キラリエ、そしてアカリが同じ船に乗り込んでいた。
「ねえハンナ聞いてよ。私たちのチーム、すっごいハラハラの実習だったんだよ」
「へえ。なんか上手くいってたみたいだな」
「うん。キラリエさんとも仲良くなれたんだよ」
ミウは、隣に座るハンナに今日の結果を報告する。
彼女らの乗る小舟は縦長の形状で左右に向かい合うように半分ずつ席が用意されている。
もちろん、ミウはハンナの隣に座っており、向かいにはピルピィやグラーシェ、キラリエの姿も。
「へえ、あのキラリエと。明日は雪でも降るのかな」
「あ、はは……」
「仲良くなってなどいませんわ! 少し人に優しくしようと思っただけですわよ!」
「それこそ驚きってもんだ。もしかしたら槍が降るかもな!」
あはは、とその冗談にみんなが湧く。
キラリエは顔を赤くしながら腕組みをして拗ねる。
が、ピルピィに『怒ってる?』と聞かれると、『あまりの失礼さに呆れただけですわ』なんて答えていた。
「でもね、意外とお嬢様ってだけじゃないみたいだよ? 料理も上手いし、怪我の手当てとかもすごい慣れてるの」
「はあ〜……。てっきり、何でもかんでも使用人とかにやらせてたもんだとばかり思ってたわ。なんかそんな感じするし」
「ほんっと、あなた達って失礼な方々ですこと!」
「えっ、私も?」
褒めたのにな、と思いつつも、まあ確かに第一印象はハンナが言ったものとほとんど相違ないものだったから、怒られるのもしょうがないというか。
そういえば、ハンナのグループはどうだったのだろう。
確かハンナ、グラーシェ、そしてアカリのチームだったような。
「ねえハンナ。そっちのチームは何作ったの?」
「あたしは炒飯。ゲッコウドリの卵とあたしの持ってった米でな」
「オコメ……食べたことないかも。グラーシェは?」
「私はトライムフルーツでデザートを作りました。ハンナさんに好評だったみたいで」
「あいつマジで料理上手いぞ。今度食わせてもらいにいこーぜ」
どうやら、そちらのチームは上手くいったみたいで、二人とも意気投合していた。
ただ、二人は揃って苦笑いを浮かべると、一斉にミウの方を見る。
「ただまあ……一人、割とシャレにならんレベルでやばいのがいてな」
「やばい? あと一人って言ったら……」
いいや、二人はミウの方を見やっていたわけではなかった。
その一つ奥に座り、尚且つ示し合わせたかのようにあちらを向いてしまう少女。
「まさか……アカリさん?」
「………………………………………………………………────別に、料理など出来なくても角奏者の本質には関係ないわ」
あんぐりと口を開けて驚愕するミウ。
意外だ。
てっきり、こういったこともそつなくこなしてしまうイメージがあったから。
まさか、やっと見つけた苦手なものが『料理』だったなんて。
それを弁解するように、グラーシェが口を開く。
「その……食材調達の面では非常に助かったのですが……」
「こいつマジで全く料理したことないって感じ。いや、もうなんか必要なものがごそっと抜け落ちてるっていうか」
「は、ハンナさん! 流石にそこまで言うのは……」
「ホントのことだろ。いや、割と真面目になんとかするべきだと思うわ」
いつも冗談ばかり飛ばすハンナが、今までに見たことのないくらい真剣な表情でダメ出しをしている。
そしてあのグラーシェが、なんか言ってはいけないことを言ってしまったハンナを制止するような声をあげた。
相当である。
それは、いつも威風堂々としているアカリがこちらに顔を向けずに放心している(?)ことからもなんとなく分かる。
そしてそれで鬼の首を取ったように立ち上がるのはもちろん、
「あらぁ? あらあらあらあらあららららぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜‼︎⁉︎」
キラリエである。
いつの間にか、彼女はアカリの席の前に立ち、もはや変顔といってもいいほど勝ち誇った表情で見下ろしていた。
「あのアカリともあろうも・の・が! まさか! いやあ、意外ですわねぇ!」
「やると思った……」
「今回、わたくしとても先生からの評価を受けましたのよ? それで? アカリはなんて言われましたの?」
あまりにも予想外すぎて、ミウは思わず呆れた表情をする。
腰に手を当て、キラリエは未だこちらに向かないアカリの顔を覗き込む。
そんな彼女に、アカリはか細い声で答える。
「……って……」
「んん〜? 聞こえなくてよ? もっと大きな声で言いなさぁい?」
隣に座っているミウでさえも聞こえない。
それにさらに気分を良くしたキラリエが、さらに大きな声での返答を要求すると、
「…………食堂の調理を観察してみなさい、って」
瞬間、キラリエの思い切り吹き出す声が聞こえた。
「ぶっふぉっ‼︎」
そして、ミウからちらりと見える彼女の表情は、
(む、無になってる……)
笑みでも悲しみでも怒りでも恐怖でもなく、ただそこにあるのは無。
何の感情も感じられないほどに無表情な彼女からは、しかし哀愁と諦めの雰囲気が醸し出されていた。
「はははははははっ、はははははっ‼︎ ひひひっ、ひーっ……おな、お腹が……お腹が痛い……ですわ……ひーっ……!」
「あ、アカリさん……」
小舟の上で笑い転げるキラリエ。
もはや息ができないと言うほど笑う彼女に釣られて、ハンナも少し笑ってしまっている。
そして、当の本人は。
「別に、料理など出来なくても角奏者の本質には関係ないわ」
「そ、そうだよね! 少しくらい料理できなくても……」
「関、係、ないわ。いいわね、ミウ」
「は、はい……」
無のまま、まるで感情の揺らぎを否定するかのように一度発した言葉を復唱するアカリ。
その謎の圧に、ミウはフォローすら出来ずに黙らされてしまう。
というより。
今回、人間にはいろんな側面があることを知ったのだ。
アカリにそういった面があったって何の問題もない。
むしろ自然だ。
そう思うと、完璧の塊に見えたアカリにも苦手があるということに関して意外性を感じない。
(今度は、もっとアカリさんと仲良くなれたらいいな……)
そう思いながらアカリの方を見やると、彼女と視線が合う。
こちらの顔を映す、紅色の美しい瞳。
血で作り上げた宝石のようなその瞳に、思わず意識を持っていかれるような気がする。
それに、蝋人形のような白い肌。
極東の人間は、みなああなのだろうか。
「…………ミウ。申し訳ないのだけれど、この喧しいのを黙らせてくれないかしら」
「……はっ、え、あ、うん。キラリエさん、立ってたら危ないよ」
「ひっひっひっ……ひーっ……」
思わず見とれていたミウは、彼女の言葉で我に返る。
もはや腹痛で苦しんでいるようにしか見えないキラリエを元の席に座らせてから、慌ただしく自分の席に戻るミウ。
「助かったわ、ミウ」
「え、ううん。キラリエさんも、きっとすごく嬉しかったみたいだから……」
「そう。……ねえ、ミウ?」
そんなミウに、アカリは囁くように呟く。
「────今日の夜の自由時間、
え……、と。
耳元に残るような囁き声でそう告げたアカリに、ミウは思わず振り返る。
しかし、その後彼女が何か言葉を発する事はなかった────。
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