第八話 キラリエ・ゴルドジャースは意地悪な人

さて、三日が過ぎたのち。


昼休み、生徒が誰もいない教室はひどく閑散としている。


なぜならここは今、追試験の会場。


教壇には、この間の試験とは同じ範囲で全く違う問題を数枚持ったムウラ先生が立っていた。


「さて、追試を始めるよ。今回は二人だね」


彼は机に座ったハンナの周りを囲うミウ、ピルピィ、グラーシェたちに近づく。


「ミウジカくん、ピルピィくん、グラーシェくん。追試を始めるから……」

「あ、はい。じゃあハンナ、頑張ってね」

「おう、任しとけ」


ミウを含む三人は、教室から出ていく。


最後に見えたハンナの表情には、自信と確信が見え隠れしていた。


教室の扉を閉め、ミウはグラーシェに問いかける。


「ハンナ、大丈夫かな。三日間すっごい頑張ってたと思うんだけど……」

「大丈夫ですよ。ハンナさん、ちゃんと真剣にやってましたから。ねっ、ピルピィ」

「うん! ハンナ、自信満々だったし」


グラーシェもピルピィも、そう言ってドアの小さな窓の向こうを見やる。


その向こうでは、既に試験が始まり、試験用紙に向かうハンナの姿が見えた。


「……ハンナ」

「なぁに? まだ心配なの?」


それでも心配そうにするミウの顔を覗き込むピルピィ。


「心配はない……かな。でも私、ハンナにすごい大変なことさせたなって……」


ミウは心配より、そちらの方が気になっていた。


結局、三日三晩勉強会は続いた。


普段そこまで勉強しないハンナに、たくさんの負担をかけたのは確かだ。


いくら嫌われてもハンナのためだからとは言っても、身体を壊してしまっては意味がない。


「いくらハンナのためだからって、あれだけ詰め込んで……」


その時、ふと廊下の向こうから声が聞こえてくる。




「あらぁ、落ちこぼれとその仲間たちじゃありませんの。そんなに群れて何を見ているのかしら?」




甲高い声、嫌味な言葉。


窓から照る太陽の光を、その黄金色の髪に取り込む少女。


気品極まる立ち振る舞いと、下に伸びた捻れた濃い藍の角。


そう、キラリエ・ゴルドジャースだった。


「キラリエ……さん」


その紫色の瞳が、こちらを意地悪そうに見やる。


「ミウジカさん、ごきげんよう。相変わらず田舎臭い顔ですこと」

「……そっちこそ、何の用?」

「あら釣れないわね。わたくし、ただ気になっただけですわ」


ふふん、と。


何がそんなに自慢げなのか、キラリエは上からの目線でこちらを見やる。


「最近あなたたちがガラの悪いあの子・・・の周りに集まってごそごそやるものですから、何か悪いことでも考えているのではないかと思って」

「……誰のことを言ってるの?」

「ハンナさんに決まってますわ。あんな不良娘、入学できたのが不思議なくらい」


やれやれ、と腹の立つ溜息をつき、窓からドアの奥をちらりと見やる。


彼女はわざとらしく思い出すような仕草をしながら、綺麗に伸ばした右手を口の前にかざして笑う。


「ああ、そういえば。今日は追試験の日でしたわね。縁が無くて気づきませんでしたわ」

「いっつも結構良い点数取るもんねー、キララは!」

「おほほ、当然ですわ……ってこの野生児! わたくしに変なあだ名をつけないでちょうだい!」


ピルピィがキラリエの顔を覗き込んで素直にそう言うが、キラリエは彼女を否定する。


恐らく、家柄や血筋を最も気にするキラリエには、ピルピィが最も相性が悪いだろう。


「ぴ、ピルピィ。やめましょう、神経を逆撫でしたらダメですっ」

「別にそんなことしてないけどなぁー、ねぇクルル」

「クルゥ」

「全く汚らわしい……ちょっと読書オタクさん、きっちり手綱を引いといてくださいな!」

「ひっ……ご、ごめんなさい」


グラーシェも、キラリエが恐くてピルピィを抱いたまま一歩引いてしまう。


「ふん、なんだかこそこそとやってたみたいですけれど。どうせあなたたち、ハンナさんと何か悪巧みしてたんでしょう?」

「なっ……なんでそんなこと言うの⁉︎ ハンナは私たちと一緒に勉強を頑張ってたんだから!」

「だぁってぇ、あの不良娘が真面目に勉強なんてするとは思えませんもの。授業中は寝てばっかり、いつも不真面目そうにして先生方を怒らせてるじゃありませんの」

「それは……そうだったかもしれないけど! でも少なくとも今回、ハンナは夜通し勉強して、必死に試験に受かろうとしてるんだから!」


流石に我慢できず、言い返すミウ。


確かに、今までのハンナは不真面目で授業中も寝てばっかりだった。


でも、今回は違う。


なんども折れそうになって、でも諦めずに頑張った。


しかし、キラリエの一方的な中傷は続く。


「本当にそうかしら? あの子のことですもの、きっとカンニングとかしようとしてるんじゃないのかしら。あの子ならやりかねませんわ」

「────っ!」


ふふふ、と嫌悪感と嘲笑が入り混じった表情を浮かべるキラリエ。


あまりにも意地悪く、思い込みで塗り固められたその予想は、ミウの何かをプツリと切る。





いつの間にかミウの右手は、キラリエの襟を勢い良く掴み上げていた。





「っ⁉︎」

「取り消して、今の言葉」


強く、力が入る。


許せない。


いつも意地悪な人だとは思っていたけれど、ここまで言う人だとは思わなかった。


「ミウ!」

「取り消してよ! ハンナのこと、何にも知らないくせに!」

「こ、の……っ! 田舎者、が……っ!」


頭が熱い。


彼女の、キラリエの一挙一動に苛立ちが止まらない。


何より、大切な友達を思い込みだけでそこまで侮辱するような言葉が、本当に何よりも許せない。


もっと強く。


こんな人、どうしてここに居るんだろう。


「許せない……あなたなんか……!」

「離し……なさい、なっ!」

「っ!」


ぐっ、と、ミウの右手をキラリエの両手が押さえつけ、無理矢理その手を離させる。


ミウの手は力を失い、そのままキラリエは解き放たれる。


廊下に崩れ落ち、激しく呼吸を繰り返す彼女。


ミウもそのまま廊下の壁に寄りかかり、同じように呼吸をし直す。


「み、ミウっ……!」

「はっ……はぁっ……わ、私……」


グラーシェが、ミウに駆け寄る。


ミウの頬は自分で気づかないだけで、怒りで真っ赤に染まっていた。


そんな彼女を、奥で咳き込むキラリエは憎々しげに睨みつける。


「ゴホッ、ゴホッ……! この……! い、田舎者のくせに! 高貴なこのわたくしに掴みかかるなんて、よほど死にたいみたいですわね……!」


角笛を取り出すキラリエ。


一般的に支給されるそれに少し彼女が力を加えると、それはすぐに変化する。


器技学の授業でハーティルナの鏡を使って行った、自身の性質に角笛を近づける力。


一度それに成功した者は、鏡がなくとも・・・・・・力を加えるだけで同様のことが行える。


これは、一般支給の角笛がコンパクトで、持ち運びに便利だからだ。


しかし、力を与えられた角笛はその姿を変貌させる。


「前の授業で失敗したあなたと違って、わたくしは既に力を手に入れていますのよ!」


それは、彼女の角と同じ種類の形状で、しかしまっすぐに伸びながら黄金色に美しく輝く角笛。


彼女がつけたその名は──角笛ゴルディスノウ。


黄金色の強い煌めきと、雪の結晶のように儚い煌めき。


それらを兼ね備える、極光の角笛。


得意な音は氷系統の角音。


「今、あなたを氷漬けにするなんて簡単でしてよ? そのまま砕けてしまっても責任は取れませんけれど!」

「……!」


その紫色の瞳には、強い攻撃性が溶け込んでいた。


それを向けられたミウは、思わず身体が固まってしまう。


そしてキラリエが、その角笛に唇を寄せ────。





「はーいうるさいよ。君たち、成績落とされてもいいのかな?」






ムウラ先生が、苦い顔で教室から顔を出してそう伝える。


ミウとキラリエの顔が、びくりと引きつる。


「追試組がテストに集中出来ないから。あと少し、静かに頼むよ」

「で、でも先生! この田舎娘が……!」

「キラリエくん? 人を生まれで差別するのは良くないことだ。それに、角人として角笛をそんな風に使って欲しくはないな。僕たちマビトとしても」

「……っ」


にこやかに、でも強めの口調でそう告げるムウラ先生には、得体の知れぬ恐ろしさがあった。


キラリエはふん、とそのまま踵を返すと、ミウをギロリと強く睨みつけたあと、廊下の向こうへと消えていった。


「…………」

「ミウジカくん?」

「はっ、はいっ!」

「君も君だ。いくらひどいことを言われようとも暴力はいけない。角笛で何でもできる君たち角人だからこそ、そこだけは気をつけてもらわないと」

「……ごめん、なさい」


しゅん、と俯きながら謝るミウ。


そんな彼女に、やっと本当に柔和な笑顔を取り戻したムウラ先生は、ミウの耳元で小さく囁く。


「君の憤りも分かる。けれど君が手を上げずとも、彼女はきちんとやるべき事に向き合えているよ」


ミウは、扉の向こうからハンナの様子を見やる。


そこには、こちらには目もくれずに必死に試験に向き合う姿があった。


「ハンナ……」

「君も、彼女のことを信じてごらん。大切な友達なんだろう?」


心配なんか、しなくていいんだ。


ハンナだって、必死に試験に向き合ってるんだから。


ミウだって、彼女と一緒に勉強したことを負い目に考えなくてもいいのだ。


そう結論に至ったミウは、穏やかな表情で答える。


「……はい。私の、一番最初の大切な友達ですから」

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