第二話 器技学と奇妙な女の子

「ハンナの機嫌が悪い?」


ミウの言葉に、アカリの眉が上がる。


「そう。話しかけても素っ気ないし……どうしよう」

「……はあ、放っておきなさいな」

「そうもいかないよ! ハンナとはいつも仲良くしていたいし……」


授業と授業の合間。


ハンナはさっさと次の教室に行ってしまい、流石にそろそろ不安になってきたミウは、勇気を出してアカリに相談してみた。


ただ──答えは想像していたものと全く同じであった。


「大方、さっきの試験であなたとの点数の違いにショックを受けたのよ。努力の足りない自分のせいだっていうのに」

「別にそんな……」


ミウは反論しようとしたが、その脳内に試験前のハンナの様子が浮かび上がる。


彼女の趣味は金属のアクセサリー集め。


特に言えば指輪、ピアスなど。


学院の校則は、見た目がみすぼらしくなければ特に厳しく言われることもないのだが、彼女はちょくちょく注意されることがある。


耳にはピアスをつけ、指にはその日の気分によって違う指輪を複数つけているため、少し荒っぽく見えてしまうのかもしれない。


試験前も確かに、それらを見たりつけて見たりしており、勉強していたかと言われると……。


「そんな……ことも……ある、かも」

「あの子は特に子供っぽいから拗ねているのよ。そのうち元に戻るわ」


アカリはぷい、と顔を背け、そのまま次の教室へと行ってしまった。


まあ、確かに仲良くもない友達の悩みを聞く気にはなれないだろうけれど。


ミウはこの間の事から、少し仲良くなれたのかも、なんて思ってはいたのだが。


「……でも、アカリさんは実力で見る人だもんね。私ももっと頑張らないと」


ただ、今考えたのはアカリと仲良くするための第一歩であり、ハンナとの関係修復については何も進展していない。


「そうだ、私も移動しないと。遅刻しちゃう」


とはいえ、授業には間に合わなければ。


次は器技学の授業だ。


器技学きぎがく────正式名称は『楽器技術学』と呼ばれるこの科目は、主に角笛に関する技術を学ぶ教科である。


このロミニアホルン角音女学院には、角人ではない人々が学ぶただの学校には無い教科が二つ・・存在する。


そのうちの一つがこの器技学であり、もう一つは実技や奏技学そうぎがくと呼ばれ、角人の本質である角音について学ぶ『演奏技術学』である。


(危ない危ない……)


ミウが学内の時計を見ながら駆け足で入ったのは、器技実技室。


ここは、数多の種類の角笛が収納されている奥行きのある教室であり、奥の机ごとに段差のつく筆記の教室とは異なる。


教壇から見て横三列、縦に五列机が並んでおり、それぞれの机は二人ずつ向かい合いの計四人が座れるほどに大きい。


壁には笛掛けがいくつも設置されており、そこにありとあらゆる種類の角笛が保管されている。


まさに角笛の百貨店といった様子だ。


(ハンナはどこかな……)


教室内をきょろきょろと見回すミウ。


ハンナは左端で手前から三列目の机に座っており、特に険しい表情でもなくぼうっとしている。


だが、その目がミウに合うと……途端に少しだけ眉をひそめ、目線を背ける。


(うっ……でも、ハンナと一緒がいい……)


ちょうどハンナの前の席が空いていたため、そこに座るミウ。


第一学年が始まってまだ三ヶ月ということもあってか、基本的にみなルームメイトと同じ机に座っている。


そのため、ハンナの前の席も空いていたのだ。


「よいしょっと……」


教科書と筆箱を置いて落ち着くミウ。


相変わらず、ハンナは目線を合わせようとしてくれない。


非常に気まずい雰囲気だ。


なんでも良いから話題を出したいな、と考え、思わず何とも言えない手を前に出してしまうミウ。


「ね、ねえ……」


だが、その手に触れるのはハンナではなかった。


彼女の手に、ぬるりとした感覚が入り込む。


「えっ……」


ミウが思わず視線を投げかける。





────そこには、黒い体色をした体長八センチくらいの両生類が乗っかっていた。





「────……っ、ひゃっ!?」


思わず驚愕の声を上げ、手を振り払ってしまうミウ。


軽く一八〇度くらいの視界がありそうな、上についた大きな目。


長く伸びた尻尾。


短い手脚。


黒い体色とは裏腹に、球のような胴体の背中部分は目を引くような蛍光色の黄色。


何より、その体表はぬるりと粘着質。


そんな摩訶不思議な両生類が、ミウの悲鳴と共に宙を舞う。


「あっ……!」

「お、とと」


そして、その両生類が着地したのは……隣に座るクラスメイトの頭の上。


ねちょり、とその金髪に粘膜がくっつき、何とも言えない気持ち悪さを演出している。


「ごっ……、ごごご、ごめんなさいっ! その、悪気は無くって……!」


反射的に平謝りするミウ。


クラスメイトの頭の上に乗った両生類を取ろうと手を伸ばしながら、また変な失敗をしてしまった、と頭の中で後悔していると、


「てやっ」


びし、とミウの伸ばした手首を手刀で軽く叩き、その手を止める。


「わっ」

「やめてよぉ、クルルが恐がってるじゃん」


高くて可愛らしさが強い声が耳に通り抜けると、途端にミウの鼓動が正常に戻る。


その両生類は、そもそも彼女が飼っているのだから。


「ご、ごめんなさい、ピルピィさん」


ピルピィ・チル。


薄い金色の髪は先に伸びるほど緑色にグラデーションしていて、ミウから見ても綺麗な長髪。


後ろ髪の一部を三つ編みにして両脇から縛っているのが、彼女なりのオシャレに見える。


角は、黒に近い深い青色で、細い形状のまま螺旋を描いて横に伸びている、変わった形状。


瞳の色は黄緑で、少し黄色の方が強いかもしれない。


そんな彼女は大きく首を傾げながら、ミウに問いかける。


「あれれ? ピルピィ、あなたと話したことあったっけ? なんで名前……」

「えと、その……いっつも動物といて、結構目立ってるから……」

「そーなんだ、気付かなかった。まあ、クルルは可愛いもんね〜、ちゅんちゅん」


クルル、というのは今まさに頭から彼女の肩に降りた両生類の名前。


このクルルはハッコウコトカゲと呼ばれる小型両生類の一種で、驚いたりすると背中が光る特性を持つ。


一部の地域では飼い慣らして明かりの代わりにするところもあると聞くが……。


「ピルピィさんっていつもクルルと一緒にいるよね」

「ピルピィの故郷はいろんな動物と仲良くしろって言うんだぁ。だからね、部屋には一杯仲良しな動物がいるよ」

「へ、へぇ……」


ミウは若干引き気味で答える。


ピルピィは、割と皆の間では変わり者・・・・として認識されている。


この学校は角音の教育現場の中で有名であることもあり、クラスの半数以上が良い血統を持つ角人が多い。


彼女らはいわゆるお嬢様的な育ち方なので、動物などを連れ歩くと言うことはあまりなく。


そのせいか、いつも何らかの生き物(大体はクルル)を連れているピルピィは近寄りがたい存在となっている。


また、彼女の故郷の風習は他の地域ではあまり一般的ではないため、少し奇異の目で見られることもあるらしい。


「今度見に来なよ、ミウ! みんな喜ぶよー!」

「う、うん。ありがとう」


でも、彼女はとても優しく接してくれているようだった。


この学校ではミウは落ちこぼれなので、こうして接してくれる人は少ないのだ。


しかも、この間実技試験でホールを破壊してしまったことから、悪目立ちしてしまっている部分もある。


だから、彼女が優しくしてくれるのは非常にありがたいことなのだ。


「はーい、みんな静かに。授業を始めるぞー」


ふと、チャイムが鳴る。


教室は静かになり、だるそうに入って来た器技学の教師が授業を始める。


「クルル、静かにしててね」

「クルゥ」


ピルピィも教師の方に向き直り、ミウも口を閉じてそれに従う。


ただ、視線を少しだけハンナの方に向けても、やっぱり彼女の視線が帰ってくることはなかった。

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