第一〇話 まだ始まったばかり
「…………ウ、……ミ…………」
意識がぼんやりとしている。
呼びかけてくる声が、少しずつ覚醒を促してくる。
「……ミウ。ミウ」
「ん……」
瞳がゆっくりと開く。
その目に最初に映ったのは、ハンナの姿だった。
「おっ、起きたな」
「ハンナ……」
なんで眠っていたのだっけ。
確か試験があって、破砕の角音に成功して、そして────。
「っ! 試験! まだ終わってないのに……!」
「落ち着け。大丈夫、試験は終わったよ」
「え……でも」
起き上がりながら周りを見やると、そこにはアカリやジニーナ先生も居た。
どうやらここは保健室らしく、奥には保健医のキュアンナ先生も居た。
彼女はこちらへと歩み寄ってくると、ベッド脇の椅子に座る。
「あなたは頭を打って軽い脳震盪を起こしていたのよ。大事には至ってないようでよかったわ」
「全く、テンパって浮遊の角音で天井にぶつかるなんて、馬鹿なやつだよ」
ハンナが苦笑いしながらそう教えてくれた。
そうだ、破砕の角音でホールをめちゃくちゃにして……慌てて浮遊の角音を奏でて暴走して、天井に頭をぶつけたのだった。
「や、やっぱり弁償かな……私、そんなお金持ってないよ……」
「大丈夫よ、ミウ。先生方の修復の角音ですぐに元に戻ったから」
「ジニーナ先生……」
ミウの隣で、彼女の手を握るジニーナ先生。
「ミウ、あなたはよくやったわ。急激に角音の力を得たのに、破砕の角音は上手く扱えてたもの」
「でも、私……」
「二ヶ月間頑張った結果が現れたのよ。あなたは立派な角人だわ」
二ヶ月間の鍛錬に付き合っていた彼女は、強く確信するようにそう伝える。
そんな彼女に乗っかるように、ハンナは一枚の紙をミウに手渡す。
「ほら、試験結果」
「うっ……恐い……」
「何言ってんだ、ほら」
半ば無理やり、その手にテスト結果の書かれた紙を手渡される。
ミウは恐れから目を瞑ったままそれを受け取り、ゆっくりと目を開く。
もちろん、それはミウの試験結果を記したもの。
薄く目を開くと、ちゃんと《ミウジカ・ローレニィ》と書かれているのが確認できる。
(えぇい、もう結果は出てるんだっ!)
覚悟を決め、目をカッと開いて試験結果に目を通すミウ。
そして、そのエメラルドグリーンの瞳に映った、結果を示すアルファベットは。
────D、だった。
「……そん、な……」
愕然とし、全身の血の気が失せるような気がした。
力なく、手から試験結果を記した紙が落ちる。
「やっぱり……あれだけモノを壊したから……」
「いや、それは関係ないだろ。危なかったけど、やっぱりお前の実力を見てたんだよ!」
「え、ハンナ⁉︎」
嬉々とした表情を浮かべながら、ミウの背中をバンバンと叩いてそう告げるハンナ。
なんでそんな嬉しそうなのか。
ミウの成績はD、つまりは失格、退学だ。
それなのに。
「やったわね、ミウ! なんとかって感じだったけど、それでもやっぱりだわ!」
「じ、ジニーナ先生まで!」
なぜ?
急に、あれだけ優しかったみんなが態度を変えてこちらに笑顔で現実を突きつけてくる。
Dなのに。
失格したのに。
退学なのに。
「な……なんでみんなそんな事言うの?」
「なんでって……そりゃめでたいからだろ! やっぱりミウはやると思ってたぜ!」
「めでたいって……!」
そんな。
まさか、ミウが退学するのがめでたいとか、そう言う事なのだろうか。
今まで仲良くしてくれたのは、もしかして全部嘘?
最初からミウを陥れるためだったのだろうか。
そんなの、ひどすぎる。
「ぅ……うぅっ……」
「お、おい。いくら嬉しいからって泣くなよ」
「ひどいよみんな……なんで……そんな……」
「え?」
涙が溢れてくる。
残酷だ。
二ヶ月間も頑張ってたのに、こんな。
「みんな嫌い! ひどいよ、なんでおめでたいの⁉︎ もうやだぁ‼︎」
「え、え? ど、どうしたのミウ?」
ジニーナ先生が、焦ったまま不思議そうな顔をする。
なんだか、場の雰囲気が混乱している。
「……ねえ、ミウ」
その時ふと、アカリが口を開く。
彼女は床に落ちた試験結果を拾い上げながら、ミウに向かって問いかける。
「あなたもしかして、自分が不合格だったって
「え……」
アカリが拾い上げてくれた試験結果を受け取り、もう一度良く確認する。
そこに書かれているのは、やっぱり《D》の文字だった。
「やっぱり不合格だよぅ……」
「よく見なさい。Dの右上」
「えっ」
もう一度確認するミウ。
Dの、右上。
よく見ると、そこには小さく──《+》と書かれていた。
「あれっ」
「おっちょこちょいだな。何勘違いしてんだ」
「これ……D+って事? D+って、Dより高い……よね? 私、合格したって事?」
目の前の文字を信じられず、ミウはハンナやアカリの顔を見る。
ハンナはニッと笑う。
そしてアカリは──少しだけ、口の端を緩めながら。
「……そうらしいわよ」
「本当にギリギリだけどな!」
その答えに、ミウの中からブワッと気持ちが溢れる。
「……!」
抑えきれない。
その気持ちが、涙になって溢れてくる。
「ぁ……う、ぐすっ……」
「また泣いてるよ。よく泣くやつだな」
「ハンナあ"あ"あ"あ"あ"あ"あぁぁぁ〜っ! やっだよおおおおぉぉぉ〜っ!」
「うわっ、抱きつくなっ! 鼻水つくだろっ、気持ちわりっ!」
感極まって、思わずハンナに抱きつくミウ。
感情が高ぶりすぎて涙以外にも出てきてしまうくらい、彼女の喜びは大きかった。
そう。
ミウはかろうじて合格したのだ。
試験結果には『角音の制御は出来てはいないが、奏でられて力も出ている。それぞれの引き起こした結果から、伸び代は感じられなくもない』と辛口な評価は書かれていたが。
これでミウは、この学院を去らなくて済む。
「よかったわね、ミウ」
「ジニーナ先生、本当にありがとうございました!」
「いいえ、あなた自身の努力の賜物よ。私は最初のとっかかりを教えただけ」
ジニーナ先生はそう言って微笑む。
しかしそうは言っても、彼女が二ヶ月、つきっきりで教えてくれたのは事実だ。
「アカリさんも、ありがとう!」
「え?」
ミウはアカリにも駆け寄って、そう言う。
アカリは不思議そうに首をかしげる。
「何を……私は何も……」
「アカリさんがハッパかけてくれたからだよ! それに、いつも見ててくれたし!」
「なっ……そんな事ないわよ」
アカリが思わず赤面してそう答えるが、実際その通りだった。
ミウが中庭で角音の練習をしている時、いつもその場が見える図書館の窓際の席に座ってこちらを見てくれていた。
こちらが見返すとすぐに視線は逸れたが、それでも視線は感じていた。
「ミウから聞いてたぞ〜? いっつも窓際の席取ってたんだってな。カワイー奴!」
「……ば、馬鹿にしないでちょうだい。それにミウ、まだ終わったわけじゃないのよ」
腕を組むと、アカリはミウに語りかける。
そうだ、まだ最初の関門を突破しただけ。
「これからの授業も実技も、あなたはついてこられるのかしらね」
これから多くの実技が襲いかかってくる。
それでも、ミウはそれを苦とは全く思っていなかった。
「ついていくよ。意地でもね」
「そう。その言葉が嘘にならなければいいけれど」
ふい、と顔を背けてそう告げるアカリ。
それがアカリなりの励まし方なのだと、ミウは理解出来ていた。
それに、ミウはもう角音の使えない落ちこぼれじゃない。
頑張れば、練習を重ねればきっと角音が扱える────
「だって角音は楽しいもん! 私はそれをもっともっと奏でられるようになりたい!」
だから。
ここがミウにとっての────始まりなのだ。
まだまだ、彼女の学院生活は始まったばかりなのだから。
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