第四話 焦り

もちろん、角音学院には実技的な授業だけではなく、いわゆる筆記的な授業も存在する。


基本的には午前は筆記授業、午後からは吹奏楽(実技授業)と振り分けられており、ミウは今の所筆記授業の方が好きだし得意だ。


ただ、最近はそちらもおぼつかなくなってしまいそうで、


「んあ……はっ、危ない」


ウトウトとしかけた自分を戒めるように、ミウは自身の頬をぴしゃりと叩く。


今は歴史学の授業中。


生徒たちの机は一列後ろに行くごとに段差になり、講師からは全員の姿に目が届くようになっている。


机は横長で、二人が一つを共有して使う。


「ふがーっ……」


隣で気持ちよさそうに居眠りしているのは、もちろんハンナ。


彼女は実技は割とできる方なのに、筆記の授業に関してはいつもこんな調子である。


「じゃあ、ここまで学んできたことを簡単に振り返るわね。当てていくから、答えられるようにね」


教壇に立つのは、新人教師でミウの指導役であるジニーナ先生。


彼女が振り返るのは、今まで学んできた角人についての歴史だ。


「私たちの学び舎であるここ、ロミニアホルン角音学院はどこにあるでしょう? それじゃあ……グラーシェさん、答えてみて」

「ど、ドラグニオ王国です!」


グラーシェ・オッドー。


いつも不安そうにしているけど、本が大好きな図書委員。


「そうね。ドラグニオ王国は代々ドラグニオ家が収めている王政国家であるというのは、みんなが知っていることよね?」


ジニーナは新任教師らしからぬ落ち着いた様子で話を進める。


「それじゃ、この学院は何年前にできたと言われているかしら? ピルピィさん、お願い」

「えー、何年前だっけ? 教えて、クルル」

「クルゥ?」

「ど、動物に聞くのは禁止よ、ピルピィさん。代わりに分かる人は?」


ピルピィ・チル。


何を考えているか分からない変わり者だけど、動物が大好きな変わった子。


肩にはいつもハッコウコトカゲ(発光するトカゲのような生物)のクルルを乗せている。


まあ、プゥランに聞いても分かるはずもなくて。


(私が行かなきゃ! 実技ができないなら、ここで!)


ミウは勢いよく手を挙げ、問いに答える。


「お、およそ300年前です!」

「正解よ、ミウジカさん。その時代、まだ角音というものは『まじない』の範疇を出なかったわ。それをきっちりとした学問として確立し、研究し始め、学院として最初に形にしたのがこのロミニアホルン角音学院よ」


ミウの方へ微笑んだジニーナ先生に、ミウの頬は緩む。


だが、彼女の後ろで囁く声。


「何よ、張り切っちゃって」


キラリエ・ゴルドジャース。


アカリと同じように名門の出で、実技もかなりの実力者。


けれど、それを傘に何かと上から目線でモノを言ってくる。


正直、ミウが一番苦手な相手だ。


「……はあ」


かちん、ときながらも、ため息をついて席につくミウ。


結局のところ、実技で何もできない奴はダメな角人として認識されてしまい、今みたいにバカにされてしまう。


実際そうだ。


いくらミウのように知識を溜め込んでも、実際に扱えなければただの頭でっかちに過ぎない。


(早く角音を扱えるようにならなきゃ……せめて人並み程度には)


とりあえず、目下の目標はそれだ。


けれど、今のところ上達のめどは立たない。


まるで、何か大きなもの・・・・・・・に成長を押さえつけられているように。


「──という感じで、今までの振り返りはそんな感じね。では、明日は小テストを行うから、復習しておくようにね」


ええーっ、というよう困惑の声が講義室中に響き渡るのと同時に、講義終了の鐘が鳴り響いた。


ミウは鐘がなっても居眠りしたままのハンナを揺り動かす。


「起きてよハンナ、もう授業終わったよ」

「んがあっ……んがががが」

「もう! 起きてってば!」


いつまで経っても寝たままのハンナを何度も揺り動かすが、彼女はなかなか起きてくれない。


そんな様子を、キラリエが嘲笑いながら見てくる。


「あら、落ちこぼれのお友達も落ちこぼれなのねぇ。そうは思わない、アカリ?」


二人は、席を立とうとしていた天才少女、アカリに話を振る。


教科書とノート、筆入れを持ち、椅子を机にきちんとしまったのち、彼女はこちらに目線もくれずに答える。


「……あなたとは語らう必要性を感じないわ」

「んぐっ……!」


足早に講義室を去るアカリ。


全てにおいて長けている彼女ならではの、力のある一言だった。


キラリエ、そしてミウも黙りこくるしかなかったが、その時ハンナの目が開く。


「んあ。……あれ、もう授業終わったのか」

「そ、そうだよ! 早く次の講義室行かないと!」


大あくびをするハンナの授業道具を一緒に片付け、その手を引いてさっさと教室を去ろうとするミウ。


「ち、ちょっと待ちなさいよあなたたち! あなたたちなど、すぐに退学になるに決まっていますわ!」


キラリエがそう言うのも構わずに、ミウとハンナは講義室から早歩きで飛び出す。


赤い絨毯が引かれ、大窓から太陽の光が漏れる長い廊下。


ハンナは訳が分からないと言うような表情を浮かべるが、ミウは一刻も早くその場から離れたかった。


「お、おい。どうしたんだよ」

「……えへへ、キラリエさんから逃げてきちゃった。悪口言われるから」

「そういうことか。言わせとけよあんな奴」


息を切らせながら答えるミウに、ハンナは苦笑いをしながら額をこづく。


気にするな、と。


そう言ってくれるハンナは、ミウにとってなんだか親友のような、姉のような存在に見えた。


しかし、キラリエが捨て台詞のように吐いた一言が気にかかる。


「ねえ、すぐに退学になるって言ってたけど……どういう事だろ」

「知らねーの、入学三ヶ月目くらいにやる《初期実技試験・・・・・・》のこと? あそこで評価の低いやつは退学処分になる・・・・・・・って話だぜ」

「えっ」


ハンナのなんて事ないというような一言に、ミウは思わず絶句する。


「まあ別にそんな難しい課題じゃねーよ。この間の石割りでやった破砕の角音とか、軽い浮遊の角音とかが出来ればいいらしいし」

「ど、どうしよう……全部出来てない……」

「すぐ出来るようになるって。ジニーナ先生についてもらってんだろ?」


ハンナは軽々しく言うが、ミウにとっては由々しき問題だった。


何しろジニーナ先生についてもらってから一週間、ミウが使える角音は────何一つ増えていない・・・・・・・・のだから。


冷や汗がたらたらと滴る。


なんだか目眩がしてきそうな気分だ。


「お、おい」


現実でもそうだったのか、ハンナがミウの肩を掴んで心配そうな顔をする。


寝不足なのも一因なのだろうか。


そんなミウに、凛とした声がかかる。




「────そろそろ危機感を持つべきではないのかしら。あなた、このままでは退学待ったなしね」




アカリの一言だった。


「アカリ……さん……」


完璧な天才の角人。


彼女の言葉は、ミウの中で鉛のように重みを生み出す。


そう、彼女に言われてしまえば、さらに現実味を帯びてしまうのだ。


「そこの不真面目さんとつるんでいる暇などないと思うけれど?」

「うるせーな、どうせ天才の血筋には分かんねーよ。それにミウはあたしと違って……」

「結果を出せなければ努力とは言わないのよ、ハンナ・リロニィーナ。結果が出ないのならもっと努力なさい」


それだけ言って、アカリは早歩きで次の講義室へと向かっていってしまった。


その瞬間から、ミウの中で燻っていた焦りが、形となり始める────。

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