第三話 ジニーナ先生との個人授業

「まずは自己紹介から始めましょうか。私の名前はジニーナ・ラノン。あなたは?」

「み、ミウジカ・ローレニィです。よろしくお願いします」


翌日、歴史準備室にて。


演奏技術学室では他の生徒達が角音の授業を先に進めているが、ミウは一人この歴史準備室に来た。


目の前には、ミウ達一年生が入学するのと同時期にこの学院に入ってきた新人教師、ジニーナ・ラノンが座っている。


髪は銀とも白とも言える綺麗な長髪で、瞳は藍色に煌めいている。


暗い赤の眼鏡は丸いレンズであり、彼女から感じる柔和な雰囲気にどこかあっているような気がする。


タートルネックの上から黒の教員用制服を着ており、身長は一六〇センチ後半くらい。


「あ、あの……大丈夫なんですか?」

「大丈夫って、何が?」

「だって、私のせいで仕事増やしちゃって……」


新任の先生といえば、覚える事も多くて大変なハズだ。


それなのに、足手まといな自分のせいで仕事を増やしてしまうのは、なんだか申し訳ない。


ミウが心配してそう言うと、ジニーナ先生はくすりと笑って答える。


「生徒がそんなもの気にするんじゃありません。大丈夫、先生意欲だけは一人前だから」


ガッツポーズをしながら自信ありげにそう言うジニーナ先生は、ミウには頼り甲斐があるように見えた。


けれど、懸念点が一つ。


「それじゃ、角音の基礎から始めるわね」

「ち、ちょっと待ってください。先生って……その」


首を傾げるジニーナ先生に、ミウは自分の頭の角を指差しながら尋ねる。


「ああ、角人じゃないってこと? 大丈夫、基礎くらいならマビトの私でも教えられると思うわ」

「そ、そういうものですか」

「そういうもの。ほら、始めましょう」


マビト──俗に言う非角人、ただの人間。


この学院では角音に関わる授業はもちろん角人の教員が教えるが、それ以外の筆記科目をマビトの教員が教える事もある。


基本教科として国語、数学、歴史などがそれに当たるだろうか。


一昔前は角人だけで固めた教師陣だったらしいのだが、学院内でマビトを下に見るような教育がなされていた事が問題になったためにこういった形になったらしい。


────まあそんな事は、ミウには預り知らぬところなのだが。


「ミウジカさんは奏技学の筆記や器技学の試験は問題ないみたいだから必要ないとは思うけれど、一応説明はしておくわね」


教科書の最初の方を開いたジニーナ先生は、ノートに鉛筆でメモ書きをしながら、角音というものの説明を始める。


角音・・


それは、角人が角笛を用いて発生させる力持つ音の事。


角人の角には硬い表面の内部に付与帯と呼ばれる器官があり、角人の血液に力を与えている。


力といってもこの段階では通常の血液と何の代わりもない。


唾液や汗など、体内から体外に出る水分は血液から作られるわけで、それにも当然角音の元となりうる力が生じる。


吐息もその一つで、だからこそ力持つ音……角音は、角人にしか出せないのである。


それが、角笛内の特殊な構造によって角音となり、ただの音以上のものになるのだ。


「……ですよね、先生」

「大正解。よく勉強してるのね」


途中からジニーナに尋ねられ、答えるという形式に変わっていったが、ミウはすらすらと答えることが出来た。


「私、小さい頃は角奏者・・・に憧れてて。いつか私もあんな風になるんだって、すっごくワクワクしながら勉強してたんです」


角奏者かくそうしゃとは、角人の役職の一つ。


文字通り角音を奏でる事で、問題を解決して報酬を貰う角人の花形である。


「でも、うちはパパもママも角人じゃなくて。八歳になっても角は生えなくて、もう諦めてたんですけど」

「確か一年前って言ってたわよね、角が生え始めたのは」

「はい! あの時私、すっごく嬉しかったんです! 私も角奏者になれるかもって!」


ミウは今でも覚えている。


一年前の朝。


いつものように顔を洗おうと井戸水に顔を映した時──そこに、短い角がこめかみから生えた自分がいた感動を。


「でも、いざここに入っても、実技でついていけなくて……」

「大丈夫、その為に私がいるんだから。焦らずに頑張りましょう」


ジニーナ先生は、そう言いながら自身の鞄の中から一冊の本を取り出した。


表紙は深緑色で、タイトルは大きな文字で上部に書かれており、中央には角笛の絵が描かれている。


「まずはここから始めましょうか」

「それって小さい子向けの?」

「ええ。まずはここから」


タイトルは『はじめてのつのびとむけ! かくねのかなでかた』。


ジニーナ先生に手渡されたそれを軽くめくると、イラストが多めで非常に分かりやすく記述されている。


ただ、これは文章もかなり幼い少年少女向けになっているため、なんだかちょっとプライドが傷付けられた気がするが……


(ううん、全く出来ないのは私だもん。そんな事言ってられない)


自分の足を引っ張りそうな考えを祓うために、顔を横にぶんぶんと振るミウ。


一度息を吐いた後に、彼女はその本の最初のページをめくる。


「あなたに好きな角奏者はいますか? この本を読めば、あなたも同じようにうまくなれるでしょう……かあ」

「目標を持つことは大切よ。あなたにはそういう人は居ないの?」

「う〜ん。いることには……でも、あの人・・・は夢の……」


ミウの口から出そうになる言葉を、自分で抑える。


彼女が思い描いているのは、この現実の話ではない、夢の話なのだから。


誰か居ないかと考えていると、ふと脳裏にあの端正で整った顔が思い浮かぶ。


「……アカリ、さん」


────アカリ・ミヤシロ。


才色兼備、威風堂々、そんな言葉が似合い、この女学院の誰からも愛され、尊敬される彼女は、まさにミウからすれば目標と呼べるかもしれない。


「ああ、アカリさん。あの子はすごいわよねえ、学院で学ぶ事があるのかってくらいに」

「……私も、あんな風になりたいです」


昨日の夕食の後に部屋でハンナに聞いたのだが、アカリの血族であるミヤシロ家は、角人の世界を二分する血統の一つらしい。


極東の国で早くから生み出された角音の文化は、西洋の角音文化とは基礎は似通えど、毛色が全く違う。


その特色は、繊細な角音のコントロール。


だからこそ、石を割る試験を行った時もあんな芸当が出来たのである。


それも、息をするように当然に。


「かっこいいし。綺麗だし」

「そうね。なら、あの子を目標に頑張ってみましょうか」


容姿端麗で角音も上手い。


あんな完璧を形にしたような人になるのは高望みかもしれないけれど────。


(目標にするだけならタダだし)


彼女の白い肌に映える紅の瞳が、こちらを見やったのを思い出す。


────まだ、なのね。


そう言われた時は、悔しいを通り越して無力感しか感じなかった。


でも、何でもいい。


他の人から笑われるのはもう慣れっこなのだから。


「先生、私頑張ります! これで勉強して、絶対他の子に追い付きます!」


教科書を強く叩いて、ジニーナ先生にそう宣言するミウ。


彼女の碧玉のような瞳には、昨日までと違う強い光が宿っていた。


「…………えと、格好つかないですよね」


ただ、そう言いながら指した教科書が幼い子向けのものであるところだけは、格好がつかなかった。


けれど、ジニーナ先生は笑わなかった。


その代わり、微笑んでくれた。


「ううん。そう目指そうとすることが立派なのよ」


どこか懐かしそうな表情を浮かべる彼女は、ミウの両手をぐっと掴む。


「よし! ミウジカさんが頑張れるように、私も精一杯教えるからね!」

「はい! お願いします!」


その日から、ミウは一つ一つ、初歩を学んでいくことになった。


一年前に角人として目覚め、他の生徒より遅く角音を始めた彼女は、まず基礎が固まっていなかったのである。


教科書もそうだが、ジニーナ先生の教え方は非常に分かりやすく、体感的に理解しやすかった。


まるで、彼女も角音を扱えるかのように────。

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