第3話 虹の名残
長く続く紛争地帯の辺境で、クルトは十二歳の少年兵だった。夕刻、雑多な集団に混ざって、配給されたばかりのパンをかじる。
この武装グループには、クルトのように身寄りのない子供がたくさんいる。拉致されたなかで、残るのはいつも少年ばかりだった。少女たちは目隠しされて、みんなどこかへ連れていかれるから。
なかには年頃に見合わない殺気を周囲に放つ子もいて、クルトは、それがなぜかすぐに分かった。彼は人を殺したことがあるのだ。それも、自分よりずっと大きい図体の大人を。
少年たちは、武装グループに従属した後、戦闘のための訓練を叩き込まれる。そこで学ぶのは、いかに早く相手の息の根をとめられるか競う、銃撃の手腕だった。
クルトは数ヶ月前、故郷の村を襲撃した大勢の戦闘員によって拉致され、ここに連れてこられた一人だった。
まだ幼かった妹と、母親の行方は今でも分からない。父親は抵抗したけれど、その場でマシンガンに撃たれて死んでしまった。体にたくさんの穴が空いて血が噴き出す様子は、今でも鮮明に目に焼きついている。
クルトは戦闘員の一人に抱えられ、森のなかで少年兵になることを誓わされた。従わなければ、今すぐ耳を削ぎ、腕を切り落とすと恫喝されて。どうしてその言葉に逆らえるだろう。
同時に連れてこられた村の少年たちも、みんなクルトと同じ境遇だった。毎日学校に通い、ヤギや牛の世話をして、友達と遊び、家族と食事をして眠った日々は、まるで遠く美しい幻のように消えてなくなった。あとに残されたのは、流される血のにおいと、銃声と恐怖と、強奪とレイプと殺戮の修羅場だけだった。
母や妹がどうなったのか、クルトは考えると恐ろしかった。あの野卑な男たちに、一体どんな目に遭わされているかと思うと、それだけで目の前は暗く塗りつぶされていく。
クルトは早く、強くなりたかった。強くなければ、何も守れない。
クルトは、炎のような憎しみを胸の底で暗く抱えたまま、それをぶつける相手を欲していた。その暗い火種が、いつしか人を殺す動機になっていくことさえ、まだ分からずに。
クルトは果てしない憎しみと絶望の連鎖にのみこまれたまま、早く人を殺したいと思った。そうすれば、身の内側を食い破りそうな孤独を埋められる気がしたのだ。愛を永遠に失ってしまった代わりに。
クルトは、読み書きを習うよりも先に、マシンガンの仕組みをすべて覚えてしまった。それは30発の装弾ができる自動小銃で、使い方さえ覚えてしまえば、クルトでも容易に扱える品物だった。
右手の親指をグリップから離してレバーを引き下げ、安全装置を外すだけでいい。実弾を装填した訓練を繰り返したあと、一ヶ月もしないうちに、また村が襲撃されることになった。
クルトは、すっかり手になじんだマシンガンの威力を試せるかもしれないと思うと嬉しかった。まるで与えられたオモチャで、早く遊んでみたくてたまらないように。
数日後、以前目にした光景とまったく同じことが、ある小さな村で繰り広げられた。家々には火がつき、焼け出された人の多くは撃たれて即死した。あちこちで聞こえる悲鳴と、銃声の乾いた音。村人たちは、武器といっても、せいぜい
そんな村を征服することは、なんの造作もないことのようだった。無抵抗な人々に銃をむけるほど、クルトは残虐にはなれなかった。
殺戮から遠ざかろうとするうちに、村のはずれまでクルトはやってきた。そこはコーヒーを栽培する畑のようだった。摘み取られる前の葉や種子が、緑色の畝となってどこまでも続いている。
クルトは引き返そうとして、背後から不意に甲高い悲鳴を聞いた。少女の声だった。胸の底を突きあげられたのは、それが妹の声によく似ていたからだ。
助けて、と彼女は叫んでいた。一人の兵士に襲われている姿が目に入った瞬間、クルトはその場から一気に走り出していた。
グリップからレバーを押し下げ、安全装置を外す。
最初に狙ったのは足の付け根だった。
撃つ。
銃声が続けて響く。
思わぬ発砲に驚いたのだろう。相手の反応が遅れる——と、目が合って、彼はクルトを連れ去った兵士だった。最初に服従することを誓わされた。
連続して発射される弾丸。
振り向いた相手の胸から血があふれだして、それは赤というよりどす黒い色だった。
少女の姿は、すでに消えていた。
きっと銃声に驚いたのだろう。
指の先の痺れを感じながら、血だまりのなかの死体を呆然と見つめていると、ポツ、と雫がしたたり、雨が降り始めた。さっきまで、きれいな青空だったのに。
(こんなところには、もういられない)
クルトはそう思って、歩き始めた。
逃げきれるかも分からない森のなかを。
さっきの少女の悲鳴が、頭から離れなかった。
封印していた記憶を思いだす。妹もずっと、助けを求めていた。死んだ父の名を呼び、僕と引き離され、あっという間に連れ去られていってしまったのだ。
その光景を脳裏でたどるうち、クルトの目から涙があふれだした。村を追われて、初めての涙だった。
連行されて兵士になってから、クルトは泣くことさえできなかったのだ。
森を抜けて雨が上がる頃、荒涼とした平野の向こう側に、大きな虹がかかっているのが見えて、クルトは目を見張った。その七色は、まだ灰色の雲間に鮮烈な光を放射させていた。まるで、この世界に対する祈りのように。大きな許しを願っているように。
クルトはいつのまにか、絶望と憎しみしか抱かなくなっていた自分に気がついた。蹂躙される村の様子を、当たり前のように眺めていたことも。過去の大切な家族との日々ですら、ずっと思いだせなかったことも。
虹の光が空へ消える頃、クルトは国境を越えて、違う国へ行くことを夢想した。そこではやわらかな風が吹いていて、その空気に身を浸していれば、今までの凄惨な毎日も、少しずつ塗りかえていけるのかもしれない。どれだけの時間が必要だとしても。今は、どうすればいいのか分からない、ひとりの少年に過ぎないのだとしても。
クルトは、またあふれそうになる涙をこらえながら、空の虹の名残を、ずっと目で追い続けていた。
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