第79話、ゲリラ実行
「……ふん。じゃあな、小娘。幸運を祈る」
黒猫は私に一通り説明をすると、最後にそう一言だけ言い残して走り去ってしまった。
小さな姿はあっという間に見えなくなる。
ひとり取り残された私は、思わず肩に力が入るのを感じた。
まるで、大きなコンサートの前のような気持ちだった。
怖いような、それでいて少しだけ待ち遠しいようなそんな感覚だ。
両手で頬をパンと叩いて、弱気に向かいそうな心をグッと引き締める。
私は、トップアイドルなんだぞ。
これくらいで、怖気付いてたまるもんか。
そして私は、目の前に立ちはだかる高い塀を見つめる。
これが、導きの樹の本部施設。
この塀の向こうに、あのパンツ覗き魔(ええと、たしか日比谷くんという名前だっけ……)たちはいるのだ。
しかし、本当に強固な要塞のような、しっかりとした作りの建物だ。
これでは、ゾンビはおろか野良猫一匹、中に入ることはできないだろう。
ゾンビ相手に籠城するには、もってこいといった見た目だった。
よし、とにかく作戦開始だ。
グダグダ言ってても始まらない。
「それじゃあ、始めるよ」
私の役目は、撹乱だ。
ようは、とにかくやつらの注意を私一人に引きつけること。
その間に、あの黒猫が城壁を突破して、中にいる仲間たちと合流する。
口にしてしまうと、拍子抜けするほどシンプルな作戦なのだった。
私は、黒猫から渡された金属とプラスチックでできた黒い物体を取り出す。
その不格好な塊は、私の手にはいくらか大きすぎた。
取り落とさないように、しっかり握る。
「行くよ。……ミュージックスタート!」
私は、握りしめたマイクに向かって、はっきりとした声で告げた。
その一言は、いくらかのノイズとともに四方に響き渡った。
オーケー、準備は万全のようだ。
唇をマイクへと、ほとんどくっつきそうになるまで近づける。
そして、私は歌い始めた。
黒猫の言うゲリラとは、ゲリラライブのことだったのだ。
私の歌声は、あちこちに点在させたスピーカーから至る所で鳴り響くようになっている。
きっと大パニックになるだろう。
なんせ、トップアイドルの生歌なのだ。
注意をひくこと受け合いだった。
いつものようなオーディエンスはいないし、そもそもバックミュージックのない完全なアカペラだ。
それでも、一生懸命に私は歌い続けた。
私にとっては久しぶりのステージなのだ。
楽しまなければ仕方がない。
突然どこからともなく聞こえてきた歌声に、施設の中の人々が慌てふためくのがわかった。
それでも、私の居場所は誰にもバレない。
順調に作戦通り進んでいた。
しかし、次の瞬間、予想もしていなかった出来事が発生した。
あまりの光景に、私は歌声が上擦って、音程を外してしまった。
塀の門の一つが空いたかと思うと、そこから異形の物体が現れたのだ。
それは、明らかにゾンビだった。
ゾンビは鎖で縛られていて、日光を遮るためか、真っ白な厚手の衣を身にまとっていた。
……なぜゾンビがこんな昼間に?
それも門の内側から、やってくるなんて。
突如として現れたゾンビは、歌声の主である私を探すようにあたりを歩き始める。
私は、見つからないことを願いつつ、歌い続けるしかできなかった。
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