第78話、巨大な手

 縛られた状況の俺は、わずかに動かせる足首だけを使って不器用に廊下を進んでいく。

 どこかにあるだろう、トイレを目指して。

 じつのところ、俺の尿意はすでにかなりギリギリのところまで到達していた。

 急がなければ、大惨事になりかねない。

 その上、今の瑠花なら俺の粗相の後始末まで進んで買って出てきそうな雰囲気なのだ。

 これ以上の恥辱は、なんとしても絶対に避けなければ。

 しかし、両手両足を縛られた今の俺には、全力で急ごうとしても、ちょこちょこ足首を擦り合わせるような動きしかできなかった。

 ペンギンの出来損ないのような、情けない歩き方だ。

 これでは、すぐに部屋にいないことに気がついた瑠花に見つかってしまうだろう。


「……畜生、これどうにかして解けないのかよ! しっかり縛りすぎだろ!」


 口で両手首の縄に噛み付いてみるが、まったくビクともしなかった。

 文字通りの意味で、歯が立たない。


「なにか尖ったモノに引っかければ、切れるかもしてないけど……」


 あたりを見回すも、どこにもそんなものはないようだ。

 仕方ない、このままペンギン歩きを続けるしかなさそうだ。

 俺は転がった方が、まだ速いくらいのスピードで長い廊下を進んでいく。

 事が起こったのは、やっと廊下の突き当たりに辿り着き、トイレの表示が目に入ったそのときだった。

 突然、廊下が激しくうねり始めたのだ。

 俺はバランスを崩して、転倒した。

 床に思いっきり、身体を打ち付ける。


「なんだよ、いったい……地震か?」


 俺は訳が分からず叫んだ。

 その間も、揺れはずっと続いている。

 まるで近くでゴジラでも暴れているかのような、強烈な縦揺れだった。

 身動きが取れないまま、俺は床を転がる。

 脳がシェイクされたような気分で、不快感が胸の内から込み上げてきた。

 たまらず、俺はさきほどの粥を嘔吐する。

 せっかく我慢して食べたってのに……いったい何が起こってるんだよ。

 その瞬間、目の前の壁にヒビが入っていくのが俺の目に映った。


「マジか……嘘だろ?」


 ヒビはみるみるうちに大きくなって、壁はボロボロと崩れ出した。

 瓦礫が俺の顔へと降りかかる。

 崩れた壁の隙間から、外の光景が見えた。

 俺はあまりの驚きに言葉を失って、ただただ呆然とそれを見つめる。

 そこに見えていたのは、巨大な人間の手首だった。

 巨人のとてつもない大きさの手が、まるでショベルカーのように建物を抉っていた。


「クソッ……ここは、この中は安全だったんじゃねえのかよ!」


 俺のいる建物は、すでに半ば崩れて瓦礫の山と化していた。

 あの化け物もゾンビの仲間なのだろうか?

 今までの異形種たちと比べても、仮面ライダーからウルトラマンに変わったかのようなスケールの違いだった。

 そんなことを考える俺の視界が、突如として真っ暗な影に包まれた。

 もはや剥き出しになった廊下に真上に、その巨大な手のひらが迫っていたのだ。

 俺は思わず、声の限りに絶叫した。

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