第74話、壁の中で
今頃、日比谷くんはどこでどうしているのでしょうか?
大きな一枚の葉っぱの紋様を見つめて、私、名取早希はため息をつきました。
白い服の集団に囲まれた私たちは、そのまま何台かの乗用車に分けて乗せられました。
殴られて気絶してしまった日比谷くんが、道明寺さんとともに先に連れて行かれてしまったために抵抗できなかったのです。
私はイヴちゃんと二人で、黒い自動車へと割り当てられました。
車が走っている間、隣のイヴちゃんは座席に身を沈めてむっつりと黙ったままでした。
そう言えば、いつも一緒にいたはずの黒猫の姿がどこにもありません。
イブちゃんの不安げな様子は、そのためでしょうか。
私は安心させようと、彼女の小さな手ををぎゅっと握りしめました。
そして、私を乗せた車は、この大きな道場のような建物へと辿り着いたのでした。
ここが導きの樹の宗教施設だということは、すぐにわかりました。
宗教建築特有の、不可思議な装飾や非実用的な意匠が随所に見受けられたからです。
広大な敷地はぐるりと高い塀で囲まれていて、まるで城塞のような外観を誇っています。
「ここにいれば、君も安全ですよ。ゾンビが中へ入ってくることは有り得ませんから」
運転していた白い服の男が、振り返るとそう私に告げました。
たしかに、塀の外の荒廃した光景と、塀の中とではまるで別世界のようでした。
男の言う通り、この施設の中にいればゾンビに襲われる心配はなさそうです。
「と言うのも、教祖様は今回のこの騒動を前々から予言しておられたのです。そのために、我々は数年かけてこの施設を建築して備えていたんですよ」
男は誇らしげに、そう言うのでした。
「……予言していた?」
「そう。我々の教祖様は何でも知っておられる方なのですよ」
話しながら男は、施設の奥へと私を先導していきます。
そんな男をイヴちゃんはじっと睨んだまま、不機嫌そうにしぶしぶついて歩きます。
そこで目に飛び込んできた光景に、私は思わず目を見張ってしまいました。
建物の中にいたのは、様々な年齢の子どもたちでした。
下は小学校低学年から、上は中学生くらいでしょうか。
大勢の少年少女が、突然現れた私たちの姿に好奇心のこもった眼差しを向けています。
「この子たちは、どうしてここに?」
「騒動が起こったときに、我々が街から避難させてきたんですよ。純粋な子どもたちは、ゾンビにはならないという教祖様のお言葉がありましたから。それでこうやって保護しているわけです」
それを聞いて、日比谷くんも性交の経験がある者にしかウイルスは感染しないと言っていたことを私は思い出しました。
「彼らの両親や家族は残念ですが、助けられませんでしたからね。だいぶ、ショックを受けているようです。どうでしょう? 君、彼らの母親がわりになって貰えませんか?」
「母親がわりですか?」
思わぬ提案に私は、思わず聞き返します。
「ええ、正直に言うと教団の信者もそこまで大人数いるわけではないので、手が足りないんですよ。安心してください。物資の備蓄は充分にありますよ」
たしかに、悪くない話ではありました。
この宗教団体は胡散臭くはありますが、こうして安全を確保でき、他の生存者たちと行動できるのは嬉しい話です。
なんせ、昨日までは私たち以外の人間はみんなゾンビになるか、死んでしまったと思っていたのですから。
「詳しいことは、そこにいる遊っていう子に聞いてください。あの子が今まで彼らの世話係みたいになっていましたから」
「えっ、遊ってもしかして……」
そのとき、ひとりの少女が子どもたちの中から進み出て、ぺこりと頭を下げました。
「私、日比谷遊って言います。よろしくお願いします」
そう自己紹介をするのは、長い髪をツインテールに束ねた中学生くらいの少女です。
まさかの展開に、私は彼女の顔をジッと見つめてしまいました。
その顔立ちは、私の知っている人物に瓜二つだったのです。
「もしかして、あなたって……日比谷学くんの妹さん?」
私の問いかけに、日比谷遊と名乗る少女はハッと目を丸くしました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます