第69話、少女の正体

 俺たちが見守る中、少女は梯子を伝ってするすると煙突を降り始めた。

 まるで猫のように手慣れた身のこなしだ。

 そして、大地へと降りたった彼女は、こちらをじろりと鋭い目付きで睨みつける。

 その顔は恥辱に歪み、目元にはうっすらと涙を溜めていた。

 よほど辛い目にあったようだ……と、しらばっくれてみるが、原因は明らかにさっきの俺なのだった。


「あなたたち、いったい何者なのよ? アホみたいな格好してるけど何のつもり?」


 少女は俺たちの顔を一通り睨むと、吠えるようにまくし立てた。


「いや、これはただコスプレしてただけで怪しい者じゃないよ。ただの高校生で……」


「だから、そのコスプレが怪しいって言ってるんじゃー!」


 少女は、なおを警戒心を剥き出しにする。

 なんだか、人に馴れない野良猫のような雰囲気の女の子だった。

 しかし、少女の顔を身近で見つめていると、どこかに引っかかるものを感じる。


「何よ? あたしの顔をそんなにじろじろ見つめて、もしかして惚れた? 残念でしたー、あんたみたいなパンツ覗き野郎はこちらから願い下げよ!」


 少女は、俺に向かってべーっとベロを出して威嚇し始める。

 なんか、コイツいちいち反応が過剰だな。


「いやさ、お前どっかで見たような気がするんだよ。会ったことあるっけ?」


 初めて見たときから彼女の顔に、どうも見覚えがあるような気がするのだ。

 それなのに、いくら記憶を探ってみても心当たりは見つからなかった。


「ああ、そうでしょうね。よく言われるわ。でも、残念だけどあたしはあんたなんか全然知らないから!」


 なぜか少女はそれを聞くと、勝ち誇ったように微笑んだ。


「あっ、そうだ! この子、テレビの画面越しに見たことがあるんだよ!」


 しばらく、まじまじと少女を観察していた奏がいきなりそう叫んだ。


「この子、アイドルの詩乃愛ですよ!」


 まさかいくらなんでも、そんなことがあるはずがない。

 いつもの奏の天然ボケだろうとツッコミを入れたい気持ちを俺はグッと押し留めた。

 たしかに言われて見れば、記憶の中のアイドルと目の前の少女はそっくりだったのだ。


「……お前、本当にあの詩乃愛なのか?」


「ふっ、ようやくだれのパンツを覗いたのか、ことの重大さに気づいたようね。まあ、あなたたち一般人に見られても何の感情も微塵も抱かないんだけど! 素直に謝るのなら、サインの一つくらい書いてあげてもいいわよ」


 急に詩乃愛は機嫌を取り戻したかと思うと、一転して高圧的な態度をとり始める。

 アイドルのくせに、どんだけパンツ見られたこと気にしてんだよ。


「いや、お前そっくりさんじゃないのか? なんか違うような気がするんだけど……」


 瑠花が、ウサ耳の生えた首を傾げる。


「わかった、目だ。アイドルの詩乃愛はパッチリ二重瞼だけど、お前は一重じゃんか? それで印象違ってるんだよ」


 たしかに、瑠花の言うとおりだった。

 なるほど、だから目の前の詩乃愛の目付きはずっと睨んでいるように見えたのか。

 それですぐに気づかなかったわけだ。


「アイドルがアイプチして悪いかー!」


 また一気に不機嫌になって、愛はそう叫ぶ。

 アイプチだったのか、しかもそれを自らカミングアウトするのかよ……。


「もうヤダ! あんたたち嫌い! あたし、煙突に戻る!」


 そう言って、再び煙突に足をかけようとするのを慌てて引き止める。


「頼むから戻らないで! 忘れるから! パンツの柄とか全部忘れるから!」


 というか、また煙突に登ったらスカートの中身丸見えになるんだよ!


「本当に忘れてくれる? ……アイプチのことも?」


 涙声になって愛は聞いてくる。


「ああ、もちろんだとも」


 アイプチの件は、別に俺たちのせいじゃないんだけどなあ……。


「よろしく頼むよ。詩乃」


 俺が差し出した手を、目の前のアイドルは曖昧に見つめたあとで控えめに握り返した。


「よろ……しく……」


 ぶっきらぼうにそう呟く。

 なんというか、雨に濡れた捨て猫でも拾ったような気分だ。

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