第67話、聞こえてきた歌声

 透き通るような少女の声でワンコーラスに及ぶ熱唱が、どこからともなく聞こえてくる。

 ラジオやテレビが鳴っているのではなく、生歌なのは明らかだった。

 俺たちはコスプレ姿のまま、耳を澄ませて固まった。


「……おい、聞こえたか?」


「ええ、まさか……生存者が」


 思わず顔を見つめ合う。

 そして、音のする方へ向かって走り出した。

 歌は商店街の奥から、耐えることなく聞こえ続けている。

 しかし、この曲どこかで聞いたことがあるような気がするのだが……。


「この歌って、今流行りの……」


「あっ、そうだ! なんとかっていうアイドルの新曲ですよ、これ」


 冷に言われて、俺も思い出した。

 これは、大流行中だった新人アイドル詩乃愛の新曲だ。

 たしか、前にもトンネルで早希が口ずさんでいたやつだった。

 もっとも、そのときはトンネル内で反響してちょっとヤバい聞こえ方になってしまったが。

 それに比べて、今聞こえてきているのはまるでプロ顔負けの腕前だった。

 まるで詩乃愛ご本人が、歌っているかのようだ。


「いったい、どこから聞こえてきているんだよ。これは……」


 周囲を見回すが、どこにも歌い手の姿は見当たらない。

 四方には、無人の商店街が広がるだけだ。

 謎の歌声は、どこからともなくずっと流れ続けている。


「あっ、見ろよ。あんなところに!」


 瑠花が突然声を上げて、空を指さした。

 指し示す方向にあるのは、一本の長い長い煙突だった。

 煙こそ出ていないが、銭湯のものらしい。

 そのてっぺんに、だれかが座っているのが肉眼でも認識できた。


「あれって、登れるものなのか?」


 下から見上げると、まさに目がくらむような高さだ。


「とりあえず、真下に行ってみましょう」


 煙突は、古いお風呂屋さんから伸びているものだった。

 下町の銭湯といった趣きのある佇まいの建物で、『湯之歌』と毛筆で書かれた看板が掛かっている。

 商店街でも寂れた区画で、まるで時代に取り残されたかのような雰囲気だった。


「湯の歌……?」


 傍らの奏が、看板を声に出して読み上げる。


「いや、それはたぶん右から歌の湯って読むんだと思うぜ」


 この際、別にどちらでもよかったがとりあえずツッコミを入れる。

 その歌の湯の煙突の先端に腰を下ろしているのは、どうやら高校生くらいの女の子であるらしい。

 器用に足をぶらぶらさせながら、歌を口ずさんでいるのが目に入った。

 真下にいる俺たちには、まだ気づいていない様子だった。


「でも、なんであんなところに?」


「大方、ゾンビから逃げてあそこに座り込んだんじゃないんですか?」


 たしかに、あの煙突はゾンビでも簡単には登るのは難しそうに見えた。

 というのも、銭湯の外観と同じように煙突もかなり年季が入った見た目だったのだ。

 今にも崩れてしまいそうな、危うい雰囲気が漂っている。


「とにかく、呼んでみましょうか?」


 下から大声で叫べば届きそうだった。

 現にあちらの歌声は、俺たちまで聞こえているんだし。


「おーい、君ー! そこの煙突の子ー!」


 奏が声を張り上げて、呼びかけた。


「あっ、急にそんなことしたら……」


 早希が制止に入るが、少し遅かった。

 奏の声に気づいた煙突の少女は、ハッとした顔でこちらを見ると、あからさまにバランスを崩した。

 歌声が、急に途絶える。

 突然、声をかけられて驚いたらしい。


「危ないっ! 落ちるぞ!」


 バランスを失った少女の身体は、煙突の先端で大きく揺らめいた。

 あの高さから落ちたら、どう考えても命は助かりそうもない。

 そう思ったときには、俺は落下地点へと駆け出していた。

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