第55話、終わりの世界

 俺は、ただ眼下の光景を見つめていた。

 トンネルの外に広がっているのは、俺が生まれ育った見慣れた街の景色であるはずだ。

 それが、一転していた。

 なにもかもが面影を残しながら、疲弊し色褪せ荒廃し衰退していた。

 たった一日、離れていただけ……。

 それなのに、この変貌っぷりはいったいどういうことなのだろうか。

 道路には、放置された自動車がそこかしこに無秩序に転がっていた。

 道に面する建物の窓という窓は無惨に割られていて、砕けたガラスが散乱している。

 そして、正面にそびえるこの街でもっとも大きな建物である駅前ビルは、ほぼ全壊して瓦礫の山と化していた。

 在来線の列車が横倒しになって、ビルに突き刺さっているのがわずかに見えた。

 まるで、知らないうちに戦争が勃発して集中爆撃でもされたかのような有り様だった。

 そして、どこにも人間の姿はない。

 人っ子ひとり、犬猫一匹すら視認することはできなかった。

 ……完全に終わっていた。

 死に絶えた世界だった。

 ポストアポカリプスとかいうやつだ。

 終末を迎え、すでに住人を失って廃墟となった街並みが延々と広がっている。

 虚無感だけが、胸に這い上がってくる。


「……なんだよ、これ。なんなんだよ。どうしたら、こんなになるんだよ……」


 膝をついて、思わずそう呟く。

 そのとき、俺の背後から不快なゾッとする笑い声が聞こえてきた。

 俺は振り返って、ギョッとする。

 声を出しているのは、早希だった。

 ……早希は笑っていた。

 無表情のまま、ただアハハハと声だけで笑っていたのだ。


「……早希さん?」


 声をかけるが、早希の瞳はもはや何も見ていなかった。


「アハハ……ねえ見てよ、日比谷くん。全部終わっちゃった……」


 早希は、乾いた声でそう囁いた。


「私の人生、終わっちゃったよ。ほら、見なよ。街、めちゃくちゃだよ。日比谷くん、もう私の生活すべて、学校も家族も習い事も何もかも全部おしまいなんだね」


「早希さん、しっかり……」


 俺の声など一切届かないのか、早希はせきを切ったように喋り出した。


「気づいてたんだよ、私。キャンプ場があんなことになって……。それが私たちだけに起こったことではなく、世の中すべてに発生した出来事だ、っていうことくらい容易に想像がついたもの」


 やはり、そうだったのか。

 早希は知っていた、この最悪の状況を予期していたのだ。

 だから、ひとり下山を急いでいた。

 本当にそうなのか、その目で確かめようと。


「……信じたくなかった。だから、出来るだけ明るく振る舞ってた。希望があるって必死に信じようとしてた。でも、この街を一目見たらもうダメだよ……私……」


 そこまで一気に話すと早希は、言い淀んだ。

 かわりに、喉の奥から絞り出したような嗚咽が漏れる。


「……もうダメだよ、私。ごめんね、日比谷くん、私もう終わるね」


 あのとき、白柳先生のゾンビに襲われても諦めず助けを求め続けた早希が、今度は完全に投げ出していた。

 この優等生は自分自身の生命の危機に立ち向かうことはできるが、その一方、世の中の崩壊の危機には耐えられなかったのだ。

 彼女は、生きることを諦めていた。

 終わってしまった世界で、自分だけが生きていくことを許容できなかった。

 早希はそこで初めて俺の方へと向くと、いきなり俺に抱きついた。

 早希の身体からは、涙の匂いがした。


「……えっ、早希さん?」


 あっという間に早希は、俺の腰に手を回しある物を引き抜いた。

 不格好な黒い塊、竜崎博士から昨夜受け取ったブローニングだ。

 早希はそれを不器用な手つきで、自分のこめかみに押し当ててこう言った。


「さよなら、日比谷くん。助けてくれて、ありがとう……」


 早希の細い指が、引き金にかかる。

 それを食い止める時間は、俺には残っていなかった。

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