第52話、トンネル
「トンネルですね」
目の前にぽっかりと口を開けたトンネルが現れて、それを見た奏がぽつんと呟いた。
「トンネルを抜けたら雪国だった」
「夏だぞ、正気か?」
なんの脈絡もなく文学作品の冒頭を諳んじる奏に、思わずツッコむ。
「正しくは、国境の長いトンネルを抜けると雪国であった……だわ。千倉さん」
早希は律儀に、すかさず訂正を入れた。
奏はただ聞いたことのあるフレーズをうろ覚えで口にしただけなのだが、誤りを指摘せざるを得ない性分らしい。
「お前、雪国であった……の続きってどう続くか、言えるか?」
何となく、奏を試してみる。
「えーっと、……はるばる来たぜ、函館?」
アホな回答が返ってくる。
奏の中では、青函トンネルだったらしい。
「馬鹿なやりとりしてないでさ、このトンネルどうすんだよ?」
傍らで、瑠花が俺たちを急かす。
来る途中で、バスの窓から眺めた見覚えのあるトンネルだった。
このトンネルを出ると、そのまま街の郊外の幹線道路へと続いている。
それは、ようやく俺たちは山道を下り切ったということだ。
「街へ帰るには、ここを通らないといけないんだけど……」
トンネル内は微かな電灯の明かりしかなく、薄暗いため遠くが見通せないのだ。
ゾンビたちが身を潜めるには、格好の場所だった。
「火炎放射器かなんかで、焼き払ってから進めばいいんじゃないかな?」
「おい、冷。そういう発言は、火炎放射器を準備してから言ってくれよ」
カインならどこからか持ち出して来そうだが、あいにく今はカインはいない。
「ゾンビに襲われる危険を考えたら、迂回したほうがいいだろうな?」
一本道とはいえ、道路を外れてけもの道を通ればトンネルを避けることも可能なはずだ。
当然、そのぶん時間はかかるだろうが。
「迂回している時間が惜しいわ。トンネルを通りましょう」
早希がすぐさま俺に反論する。
正直、意外だった。
どうやら、早希は一刻も早く帰りたがっているらしい。
その優等生然とした表情から、微かな焦りが滲むのが感じられた。
「私が、先に一人で様子を見てくるわ。それで安全だったらみんなで通ればいいでしょう?」
そう言って早希は、懐中電灯を取り出すと光をトンネルへと向けた。
「おい、待てよ。そんな危険なことさせれるわけないだろうが!」
瑠花が、早希の手を掴んで引き止める。
「私は大丈夫よ。不穏な気配を感じたらすぐに引き返すから。それが今の時点で最善な選択のはずよ?」
早希は、明らかに道を急いでいた。
どうも早希は、この騒動が俺たちの周囲のみで起こっているものではないと気づき始めているらしい。
思えば、俺たちは下山中に一度も自動車の姿を見かけていなかった。
そうした不審点から、聡明な早希ならすぐにおかしいと気づいたはずだ。
そして、出来るだけ早く街の様子を確かめようと先を急いでいるのだ。
「私も、早希お姉ちゃんに賛成かな。そろそろ夕方も近いわ。のろのろしている時間はそう残っていないのよ」
クロネコを抱えたイヴが、そう同意する。
すると、ほかのみんなも早希の意見に反対し難くなる。
普段の早希の判断の正しさは、みんなよく分かっているからだ。
「わかった、俺も行こう。俺と早希の二人で先にトンネルの中を様子見てくる。ヤバそうだったら、すぐに戻ってくる。これで、問題ないだろ?」
俺はそう言うと、早希の手をから懐中電灯を受け取った。
早希は、俺の顔を見て頷く。
みんなも異論はないようだ。
ただ瑠花だけが、不安そうな表情を浮かべて賛同しかねる様子だった。
「心配ないよ、瑠花。絶対、無理はしないようにするから」
俺の言葉に瑠花はしぶしぶ同意した。
こうして、俺と早希の二人は懐中電灯の明かりをたよりにトンネルへと足を踏み入れることになった。
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