第49話、謎の女

「……カイン?」


 相手の口にした名前を、アタシは思わず聞き返す。

 心当たりはない名前だった。


「……あっ、そうか。その名前だとわからないか。ごめんごめん」


 アタシの表情を読んで、女は謝る。

 そして、グッと顔を近づけて来た。

 あと少しで、くっつきそうなほどに。


「あの子のもう一つの名前は……そうだ、千倉奏。キミ、千倉奏って子、知らない?」


「千倉……奏? なんで、奏が?」


 アタシは知っている名前が急に飛び出して、すっかり面食らう。

 そんなアタシの反応を見て、彼女は満足そうに笑った。

 整った顔に浮かんだ笑みは、残忍とか凄惨とかそういった不穏当な熟語が似合いそうな歪んだものだった。

 まるで、仕留める寸前で獲物を揶揄からかう捕食者のような表情だ。


「あはっ、やっぱりキミ知ってるんだ。それじゃあ、オネエさんに教えてよ。悪いようにはしないからさあ?」


 そう言うと彼女の腕が両肩を掴んで、アタシを残骸から引っ張り出した。

 見かけによらぬ馬鹿力に、抵抗できず為す術なくされるがままになる。

 そんなアタシの身体に、彼女は執拗に手で触れ始めた。


「……ちょっ、お前! どこ触ってるんだよ!」


「怪我をしていないかオネエさんがじっくり調べてあげてるんだよ。ほら、力抜いてよ」


 窮地を脱したばかりのアタシの身体を、女はくまなく撫でるような手つきで触っていく。

 感触を確かめるように、何度も何度も。


「安心しなよ。ただの医療行為だからさ」


 そう言いながら、女の息づかいは次第に荒くなっていく。

 そして、触れる指先もどんどんエスカレートしていった。


「ひゃんっ……や、やめろよ! アンタ!」


 その瞬間、女の手が口にできないところをかすめて、アタシの口から変な声が漏れた。


「あ、ごめんごめん。骨は大丈夫みたいだねえ。大きな損傷は、左の足首を捻挫しているだけか……ハアハア。やっぱり若いってイイなあ! プリプリだよ、プリプリ!」


 絶対、医療行為じゃねえ!

 ただの痴漢だ、コイツ!

 貞操の危機を感じたアタシは、無事な方の足で思いっきり女を蹴り飛ばした。

 女はすっかり油断してたのか、見事にくらって思いっきり吹っ飛ぶ。


「うわっ、何すんのよ。生命の恩人を足蹴にするなんて……。オネエさん、別にナマのJKの身体に欲情なんてしてないわよ」


「いや、絶対してただろ今の!」


 怯えた目で睨むアタシをよそに、女は何事もなかったように慣れた手つきで足首のテーピングをした。


「ほら、これで大丈夫。それほどひどい捻挫じゃないから、すぐ痛みもひくと思うわよ」


「……あ、ありがとう」


 素直にお礼を言う。

 うーん、この女イマイチ信用していいのかよくわからない。

 下心だけはビンビンに感じるのだが、真意がまったく読めなかった。


「どういたしまして。オネエさんの名前は、リリス。気軽にリリーって呼んでくれていいわよ。あっもちろん、親しみを込めてリリお姉さまって呼んでも全然ありだわぁ」


 呼ばねえし、込めねえよ!

 わかったこの女、ただのセクハラ目当てだ!


「それでさ、本題に入るけど……千倉奏って子にキミ、心当たりあるでしょ? その子のところに連れて行ってくれないかな」


 リリスは熱っぽい目でアタシの瞳を覗き込んで、そう訊ねた。

 その口調には、有無を言わさぬ迫力が込められていた。

 そして、彼女の肩には依然としてさっきヤドカリを仕留めたばかりの大口径の銃がぶら下がったままだ。

 返答次第では……。

 アタシは、ゴクリと唾を飲んだ。


「……知らない。アタシ、そんな子全然知らないよ。聞いた事もない」


 勇気を振り絞って、アタシはそうぶっきらぼうに答えた。

 この女は、絶対怪しい。

 そんな相手に大事な親友のことを売るなんて、アタシにはできない。


「……へえ、そう。そうなんだ」


 リリスは急に突き放したような、冷たい口調になって相槌を打った。

 そして、アタシを一瞥すると肩のライフルへと手を伸ばした。

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