第42話、蟻

 俺たちの周りを取り囲んだゾンビたちは、じりじりとこちらへ迫ってくる。

 群がる人影は四方を埋めつくし、完全に退路が絶たれる。

 このとき俺たちは、はじめてゾンビの本当の脅威に直面していた。

 その脅威とは、見た目のグロテスクさや、奴らの底知れない耐久性といったものではなく、別次元の恐ろしさだった。

 ……それは、数の脅威だ。

 南米アマゾンのジャングルにおいて、もっとも恐れられる生き物は猛獣ではない。

 グンタイアリである。

 2センチにもみたないこの蟻がアマゾン最恐と呼ばれるその理由は、巨大な顎でも尻の毒針でもない。

 グンタイアリの行進は、100万匹以上の群れからなり、その幅は20メートルにも及ぶ。

 そして、彼らは動く物すべてに手当り次第に襲い掛かり、その餌食としてしまう。

 その群れに出くわしたが最期、たちまち集団で取り囲まれ、逃れることは不可能だ。

 それは、どんなに体格差のある相手でも例外ではない。

 圧倒的な多数による虐殺、集団の暴力こそが彼らの最大の武器なのだ。

 目の前に押し寄せるゾンビの群れは、まさにそのグンタイアリを連想させた。

 だれが統率をとるでもなく奴らはひとつの動物のように左右から近づき、じわじわと俺たちを追いつめていく。


「い……いや! 来るな! 来ないで!」


 冷が死亡フラグめいた悲鳴を上げるが、その周囲のゾンビたちは少しも臆した様子はない。

 ……詰んだ、俺はそう悟った。

 俺たちは、このまま奴らの群れに飲み込まれ、抗うこともできずなぶり殺しにされるのだ。

 俺の目の前に、えた臭いを漂わせて、初老の男のゾンビが躍り出た。

 そして、こちらに向かって両手を大きく突き出し振り下ろす。

 俺は思わず目を瞑って、来たる衝撃に備えた。


「日比谷くん、諦めないで!」


 その時、早希の声がしたかと思うと、火柱が上がってゾンビの両手に襲いかかった。

 ゾンビは、動揺して手を引っ込める。

 どうやら、火が苦手らしい。

 すかさず、そこにもう一度火柱が来て、ゾンビの身につけていた衣服に燃え移った。

 火だるまになったゾンビは無闇に手を動かし、鎮火させようとする。

 もはや、俺は狙いから外れたようだ。


「早希さん、ありがとう。あの火柱は……」


 一瞬、早希が炎系の魔法のスキルでも会得したのかと思ったが、早希の手にしている物を見て俺は納得した。

 それは、ヘアスプレーとライターだ。

 ヘアスプレーの中身には油分が含まれていて、それがライターの火に引火すると、ちょうど即席の火炎放射器のようになるのだ。

 持ち合わせの荷物でできる、簡単な護身用具だった。


「大変危険だから、良い子のみんなは絶対真似しないでね! 日比谷くん、大丈夫?」


 ……さすが、優等生だ。

 こんな時まで、読者のみんなのことを考えてやがる!

 なんて流暢なことを考えている暇は、とてもなかった。

 一時的に逃れられたとはいえ、すでに俺たちの周囲は無数のゾンビで埋めつくされていた。

 早希の即席火炎放射器も、しょせん玩具のような代物だ。

 とうてい、この数のゾンビの群れに太刀打ちできそうもない。


「きゃあ!」


 次の瞬間、忍び寄ってきたゾンビの腕が早希の身体をかすめた。

 スプレーとライターが、早希の手からこぼれ地面に転がる。

 唯一の武器を失った早希へと、ゾンビは容赦なく手を伸ばした。


「早希さん! 早希さん、今助ける!」


 早希を助けようと駆け寄る俺の行く手を、他のゾンビが遮る。

 その刹那、カインの鋭い声が響いた。


「全員、腰を屈めて姿勢を低くしろ!」


 そして、轟音と閃光、衝撃の三つが俺の身体に襲いかかった。

 何かが、爆発したのだ。

 煙の匂いが立ち込める中、動き続ける奏の小さな姿が目に入った。


「もう一発いくぞ! 伏せろ!」


 どうやら、カインは身体に密かに身につけていた手榴弾を投擲したのだ。

 早希の作ったような有り合わせではなく、本物の兵器のようだ。

 そう言えば、カインは昨夜もどこからかロケランを持ち出していた。

 どこにそんなものがあったのだろうか?

 四次元ポケットかよ。


「今だ! 奴らに隙が出来た! 今のうちに逃げろ!」


 それまで一糸乱れぬ動きでこちらを追いつめていたゾンビたちが、爆発の衝撃に右往左往している。

 俺たちは、その隙をついて散り散りになって、思い思いの方向へ逃げ出した。

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