第35話、もう一つの顔

 俺の眼前に、肉塊が迫って来る。

 俺もじきに殺される、冷と同じようにあの肉の塊に呑まれて…… 。

 それを俺は、すんなり受け入れるような心境になっていた。

 抵抗する気力が、微塵も湧いてこない。

 そもそも、俺が今まで生き残れたのが奇跡だったのだ、と俺は思う。

 俺は、他の部員たちのように、ゾンビになってあたりを彷徨うのがお似合いなのだ。

 それなのに、ただ童貞だという理由だけで死を逃れていたに過ぎない。

 それを、俺は誤解していた。

 自分が、特別だと取り違えていた。

 自分でも、主人公になれると見誤っていた。

 自分のことを、まるでヒーローのように思い込んでいた。

 そうして、俺の頭の中に描かれていた一枚の虚像が、音を立てて崩壊したのだ。

 そうだ……俺は、今ここで死ぬ。

 冷と同じように跡形もなく……。


 そんなことを考えていた瞬間、目の前の肉でできた球体が、突如としてぜた。


 あまりの光景に、俺は口を半開きにしてただただ目の前の惨状を見つめる。

 俺を推し潰そうとしていた球体は、今や完全に形を失って、醜い肉の破片が辺り一面に飛び散っていた。

 無惨な骸を晒す肉の断片は、どうやらもう動き出すことはないようだ。


「何が……起こったんだ?」


 ようやく身を起こして、俺は顔を上げた。

 そこで俺は、やっとだれに命を救われたのか理解することができた。

 思わず俺は、そこに立っている人影に呼びかける。


「……奏? お前、奏なのか?」


 奏は、以前に見せたのと同じ、氷のように感情を閉ざした眼差しでこちらを見つめた。

 煙を上げる大きな筒状の物体を、肩に担いでいる。

 ゲームで見たことがある……ロケットランチャーだった。

 あれで、肉塊を木っ端微塵に吹き飛ばしたのか。

 その無骨な兵器と、奏が着ているイヴに借りたらしい可愛らしい柄のパジャマが、異様なミスマッチさだった。


「奏! お前が助けてくれたんだな。なんでここがわかったんだ? それにしても、どうして……」


「黙れッ!」


 駆け寄って言葉をかける俺に、奏は鋭い声で一喝した。

 普段、耳にしたことのない口調だった。

 奏は肩のロケランをその場に投げ捨てると、俺に向かって右手を振り上げた。

 パチッ……乾いた音が響く。

 少し遅れて、じんと熱のような痛みが俺の頬に走った。


「なぜ一人でこんなところに舞い戻った! なんで助けようなんて、そんな思い上がった行動を取ったんだ! この愚か者がッ!」


 奏の姿をした目の前の人物は、口角を上げてまくし立てた。

 たしかに、言うとおりだった。

 俺は頭を垂れて、言われるがままにする。


「学ッ! お前は、周りの人間のことなど何も考えないのか? 残されて、ただ待つしかない者の気持ちなど少しもわからないのか? ……心配するだろうがッ!」


 怒っているというより、悲しんでいるといった感情がその口調から伝わってきた。

 奏は、ただただ俺の無謀を、俺の愚行を、嘆いているのだ。


「悪かった。すべて、俺が悪い。……奏、すまなかった」


「わかればいい。二度とするな、次はだれも助けない。……それと、私は奏ではない」


 奏は顔を背けると、そう付け加える。

 一瞬、無表情を貫く顔に寂しげな色が浮かんだのが見てとれた。


「奏……ではないだって? じゃあ、お前はいったい誰なんだ?」


「私は……カイン。そう呼ばれている」


 奏は、呟くようにそう言う。


「今回は、予定外だったんだ。出てくるつもりはなかったのに……仕方なかった」


 彼女は……カイン。

 奏の中の、もう一つの顔。

 つまり、多重人格ということなのか?


「カイン。お前は……」


「学、頼むから、奏を悲しませるようなことはもうしないでくれ。あの子は、見た目よりずっと脆いんだ」


 その時、奏の名前を呼ぶときにだけ、カインの顔にふいに人間らしさが戻ったように、俺には見えた。

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