第34話、喪失

 こちらへ転がってくる肉塊は、前よりも格段に動きがはやくなっていた。

 質量が増えたせいだ。

 今回はパターンが読めたとしても、かわし切れるかわからない。

 額を伝った汗が、俺の顎から滴り落ちる。


「……おい、冷。アイツは、俺が引き付ける。その間に左に逃げろ」


 俺は、冷にそう囁いた。


「えっ、でも……キミは」


「いいから、俺を置いて逃げるんだよ」


 唖然とした表情でこちらを見る冷に、突き放したような口調で言う。

 冷はそれでも躊躇した素振りを見せるが、そんな冷の背中を俺は強く押した。

 突き飛ばされるようなかたちで、冷は肉塊の軌道から外れる。

 その時には、もう目前に肉でできた巨大な球体は迫ってきていた。

 俺は、真っ直ぐ転がる肉塊を見つめる。


「いいか、避けきれないなら……」


 よし、大丈夫だ。

 肉塊の注意は、じゅうぶん引き付けた。

 アイツは、俺だけを狙っている。

 それを確認すると、俺は迫り来る球体に向かって全力で疾走した。


「飛び越えればいいんだ!」


 叫びながら、地面を力いっぱい踏み切る。

 俺の身体が瞬間、宙に舞う。

 球体が股の下を、すれすれのところで通り過ぎていった。

 転がるだけの肉塊は、上方向への移動には対応することができないのだ。

 思惑どおり、肉塊の背後に着地した俺は、そのまま腰の拳銃を引き抜いた。

 ブローニング・ハイパワーの銃口を、転がる肉塊にしっかりと定める。

 そして、撃鉄を起こし、引き金に指をかけた。


「これがトドメだ! 肉団子野郎!」


 その瞬間、激しい衝撃が俺の上半身を襲う。

 あまりの反動に、俺はその場で尻もちをつくような格好になった。

 しかし、それでも銃弾は真っ直ぐ飛んでいったようだった。

 目の前の肉塊の後部が抉れて、大きな穴が空いていた。


「やった!」


 歓喜の声をあげた俺は、そのまま固まってしまった。

 なぜなら、それでも肉塊の動きはなんら変わらなかったからだ。

 少しも減速せず軌道を修正すると、今度は近くにいる冷の方へと転がっていった。


「冷! 危ない、避けろ!」


 振り絞った声は届かなかった。

 冷は状況に反応できず、そのまま呆然と突っ立っている。

 そんな冷の姿を、肉塊が覆い隠す。

 寸前、ちらりと見えた冷の顔には、驚愕の色だけが浮かんでいた。

 そして、冷の姿はどこにも見えなくなってしまった。


「……えっ?」


 俺の口から漏れたのは、間抜けな声だった。

 目の前で起こったことを、すぐには理解できなかった。

 理解することを、脳が拒絶していた。

 冷は呑まれたのだ……あの肉の塊に。


「嘘だ……こんなことって、あるかよ!」


 俺の手から滑り落ちた銃が、雨でぬかるんだ地面へと転がった。

 助けられなかった。

 俺は、冷を助けられなかった。

 せっかく、一度は助けたのに守りきることができなかった。

 そのことだけが、壊れたキーボードのように俺の頭の中を埋めつくしていく。


「あああ……あああぁぁぁ……」


 嗚咽が、喉の奥から溢れる。

 なんだよこれ、バカみたいだ。


『ねえ、ボクってどう見える?』


 脳裏に蘇った無傷の冷が、無邪気な笑顔で俺に聞いた。


『命の恩人だから……』


 守りきれないなら、救えないのなら……助けようなんてしなければよかった。

 その場に、俺は両膝をつく。

 もう立ち上がる気力が、残っていなかった。

 すっかり放心した俺のもとに、猛然とした勢いでさらに巨大化した肉塊が迫っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る