第31話、激闘、ドッチボール

 勢いよくこちらに転がってくる肉塊に、俺は危うく轢き殺されるところだった。

 すんでのところで、左に転んで回避する。

 濡れた地面に身を投げ出すかたちになって、俺はすっかり泥だらけになってしまった。


「ハアハア……なんなんだよ! コイツは」


 息を切らしてなんとか起き上がるのと、肉ボールが軌道を変えて再び突っ込んでくるのが、ちょうど同時だった。

 また、間一髪で前方にかわす。

 まるで、下手くそなゴールキーパーのような動作だった。

 肉塊の動きそれ自体は純然たる球体運動なので、なんとかそれを避けることは可能だ。

 しかし、いくらかわしたところで、向きを切り返して、何度でも襲いかかってくるのだ。

 疲れを知らない肉塊は、その反復に休止を入れることなく延々と続けてくる。

 このままでは、ジリ貧になって俺のスタミナが先に尽きてしまう。

 そもそも、俺は運動部に所属したことがなく、球技の経験などまるで皆無なのだ。

 今は、球が大きいので、なんとか避けることができているに過ぎない。

 一度でもタイミングを誤ったら、あの肉塊に取り込まれてしまうだろう。

 そう考えると、足が恐怖に震えた。


「……こんなことなら、体育の授業をサボらずにちゃんと受けていれば良かった」


 文化部男子には、体育の授業はなかなかに肩身の狭い時間なのだ。

 運動部との身体能力の差は、まるで大人と子どものようで、すっかり嫌気がさした俺は単位をギリギリ取れる程度に出席すると、後はサボりまくっていたのだった。

 そんな日頃の怠慢が、今になって俺に祟ってくる。

 運動不足で、息が続かない。

 次第に、俺のボールへの反応は鈍っていく。


「ダメだ……このままじゃ、殺られる」


 そう呟いた、その瞬間だった。

 在りし日の俺の妹、遊の台詞が脳内で自然と再生された。


「もうおにぃったら、ドッチボール弱すぎ!」


 俺はハッとして、過去のある出来事を思い出した。

 あれは、まだ遊が小学生だった頃の話だ。

 家族対抗ドッチボール大会、たしかそんな感じの催しだったと思う。

 とにかく、小学生とその保護者とのペアでの参加という条件なので、俺は遊とペアを組んでドッチボールをやることになったのだ。

 ルールは、ペアで一人というカウントで、もし一人がボールに当たってしまってもノーバウンドでもう一人がキャッチできればセーフというものだった。

 つまり、いかに保護者が児童をサポートできるか、というのが肝心なのだ。

 しかし、俺の方がボールを避けきれず、練習では散々に遊の足を引っ張ってしまった。


「もうお兄のバカ! ウスノロ! 短小!」


 休憩時間に呼び出された俺は、遊のお叱りを受けるハメになった。

 記憶の中の、小学生時代の遊、つまりロリ遊は、俺を散々に罵倒して言った。


「お兄みたいな、動体視力皆無の人間が点でボールを認識して避けれるわけないじゃない! ボールは真っ直ぐしか進まないんだから、線で認識するのよ!」


 ロリ遊は白い体操服に、紺のブルマという姿で、俺への助言をまくし立てる。


「ほら、そう考えれば、ボールの軌道にいくつかパターンが見えてくるはずよ。わかったなら、サーと言いなさいよ! この豚! 私は、お兄を少しは使えるクソにしてあげようとしてるんじゃない!」


 サー! イエス! サー!

 若干、回想にベトナム戦争の鬼教官が混じってしまっていた気がするが、大事なことは思い出すことができた。

 心の中で、ロリ遊に感謝する。

 肉塊の挙動を点ではなく、線で認識するのだ。

 そうすると、多様に見えた軌道も、数パターンの組み合わせでしかないことがわかった。

 肉塊をすんでのところでかわしながら、次の動きを予測する。

 奴の動きの中にある法則性が、見えた。


「よし! ここだ!」


 俺は、あらかじめ予期した動きに合わせて、こちらに向かってくる肉ボールの側面を全力で蹴り上げた。

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