第30話、ひとりの戦い

 降りしきる雨の中をひとり、俺はキャンプ場へと向かった。

 他のみんなは、起こさなかった。

 この正義の味方ごっこという自分勝手に、他人を巻き込むことはできなかったからだ。

 わざわざ抜け出した窮地に、自分から舞い戻るような馬鹿は、俺一人でじゅうぶんだった。

 尻のポケットが、ずしりと重たい。

 その重みは頼もしい反面、今すぐ放り出してしまいたいほどの煩わしさがあった。

 要するに、それが責任の重さ、ということなのだろう。

 他人の生命を簡単に奪うことができる、そんな力が俺の手に収まるとは、とうてい思えなかった。

 できれば、抜かずにすめば越したことはない、とそう願っているのだ。

 激しい雨でぬかるんだ地面は、俺の足を取り走りにくいことこのうえない。

 それでも、できるだけ急いで、俺は真っ直ぐキャンプ場へと向かっていた。

 あの画面に映っていた生存者が、いつまで籠城を続けられるか、それが一番心配だった。

 我慢の限界を迎えて、掃除用具入れを飛び出したが最期、ゾンビの群れの餌食になってしまうだろう。


 少し見ないうちに、キャンプ場はすっかり荒れ果ててしまっていた。

 まるで、墓場のように人の気配がしない。

 無人と化した宿泊施設からは、奇怪な音が耐えず鳴り響いているのが耳に入った。

 ゾンビそれ自体は、さほど脅威ではない。

 動きは緩慢で、遠くから人影を事前に察知して、簡単に回避することができた。

 問題は彼らの聴覚の鋭さだ。

 少しでも音を立てようものなら、すぐに群れをなして集まって来るのだ。

 隠れ鬼の要領で、姿を障害物で隠しながら、できるだけ静かに音を立てずに目的地へと向かって進んで行く。

 時折、奇妙な興奮が、身体の芯を痺れさせるように沸き上がってくる。

 小学校の頃、仲間たちと鬼ごっこをしたときに感じた、懐かしいあの感覚だ。

 しかし、あの頃と違うところは、捕まったら最期、俺の生命はそこで終わるということだ。

 襲われても感染しないぶん、生きたまま奴らに食い殺されるのは願い下げだった。

 姿勢を低くして、こっそりと様子をうかがうと、前方に人影が見えた。

 何度も見かけたことのある男子部員だった。

 ほとんど見かけに損傷のない彼は、白目をいた眼窩から絶えず血の涙を流していた。

 俺はすぐさま視線を逸らす。

 とても直視できる姿ではなかった。

 数メートル先を通って行くのを、息を殺してやり過ごす。

 じゅうぶんに距離が開いたのを確認して、やっと俺は数十歩先へと進んだ。

 そんな気の遠くなるような動作を繰り返して、生存者の隠れている場所へと少しずつ近づいていく。

 あの掃除用具入れは、宿泊用の施設のひとつに置いてあったものだ。

 この調子でいけば、あと少しで辿りつくことができる。

 そう思った、その時だった。


 ……ドスン……ドスン。


 一定のリズムで地面に響いてくる振動を身体で感じた。

 何の音かと、周囲に目をやる俺の横に、それは姿を見せる。

 一見、それはただの肉の塊のように見えた。

 自動車一台ほどはあろうかという巨大な肉塊が、ドスンドスンと身体を弾ませながら、地面の上を移動しているのだ。

 ……あれも異形種なのだろうか。

 俺は、慌てて腰の拳銃へと手をかける。

 俺のすぐ脇を通り抜けた肉塊は、先ほどの男子部員のゾンビへと身体を弾ませて近寄って行った。

 そして起こった出来事に、俺は目を見張った。

 肉塊は、男子部員ゾンビへとぶつかると、そのまま肉を広げて男子部員を飲み込んでしまったのだ。

 ほんの数秒で、男子部員ゾンビの身体は肉塊へと取り込まれ影も形もなくなってしまった。

 そのぶん、肉塊は前よりも一回り大きくなったようだ。

 ……アレは、そうやってあそこまで大きくなったのだ。

 あまりの異様さに、俺は思わず後ずさる。

 その瞬間、俺の靴の下で砂利が擦れ合うことが、思いのほか大きく響いた。

 音を聞きつけたのか、目の前の肉塊の弾む挙動に明らかに変化が生じる。

 ……見つかった。

 そう思った刹那、巨大な人肉のボールは勢いよくこちらに転がってきたのだった。

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