第28話、ブラッディ・チェリー

「ふん……話してやろう。まずは、あのウイルスの正体についてだ」


 目の前の黒猫は、そう言うと俺の顔をジロリと睨んだ。

 基本的に猫の浮かべる表情というものは、無愛想なものだ。

 今、俺を見つめるクロネコも、愛嬌が微塵も感じられない不機嫌な顔つきだった。


「なんだよ? 俺の顔が、どうかしたのか?」


「少年……お前、童貞だろう?」


 クロネコの口から、放たれた単語は予想外のものだった。


「ど……どどど……童貞? そんなもの小学校の頃に、とっくに卒業したけど?」


 慌てて否定する俺の声が、思わず裏返る。


「ふん……見え見えの嘘をつくな。いいか、お前が今現在までウイルスに感染せずに生き残っているのは、そのためなのだよ」


 ……俺は童貞だから、生き残った?


「いったいどういう意味なんだ?」


「そのまま、文字通りの意味だ。俺は、比喩やレトリックで言っているのではない」


 そこで猫は、顔をクシャッと歪めた。

 どうやら、それが笑みのつもりらしい。


「……ブラッディ・チェリー。それが奴らの撒いたウイルスの名前だ」


 ブラッディ・チェリー。

 その忌まわしい名前を、俺は無意識に頭の中で反芻する。


「感染者の前頭葉を徹底的に破壊し、ある種の仮死状態を作り上げる恐ろしいウイルスだ。そして、コイツに感染した者は、それだけでは死に至らない。本能のおもむくまま、他の人間に二次感染させるために襲いかかるようになるのだ。……まるで、パニック映画のゾンビのように、な」


 そこで饒舌に話し続けていた猫は、一度言葉を区切った。

 こちらの注意を引きつけるためだ。


「それだけでは、ただのゾンビウイルスだが、このウイルスの特筆すべき性質は、むしろ他のところにある。このウイルスは、感染者を選ぶという特殊な性質を持つのだ」


「感染者を選ぶ?」


 抗体とか、そういう話か?

 俺は、専門的になり始めた話になんとかついていこうと真剣になる。


「このウイルスは、異性間の性交の経験があるものにしか感染しないのだ。つまり……童貞と処女は、どんなにウイルスと接触しても、けっして感染することはない」


「な、なんだって?」


 俺は、耳を疑った。

 そんな都合のいいウイルスが、この世に存在してたまるか。


「……冗談だろう?」


「冗談ではない。お前も、疑問に思わなかったか? 他の天文部の仲間たちが、ウイルスに感染する中で、なぜ自分たちだけ感染しなかったのか……」


 たしかに、その通りだ。

 無傷の奏はともかく、俺や早希はあれだけ感染者と接触して、傷も作っている。

 それでも感染していないのは、明らかに不自然だった。


「それは、お前たちが童貞処女であるからだ。

 お前たち四人は、ブラッディ・チェリーによる選別をくぐり抜けた、というわけだ」


 なるほど、そういうわけか。

 だから俺たちは、生き残ることができたのか。

 それは偶然でなく、あらかじめそうなると決まっていた必然だったというわけだ。

 ん……、待てよ。

 早希と奏は予想通りとして、瑠花のやつ、あの外見で処女だったのか。

 なんというか、意外ということを通り越して不思議だ。

 次に顔を合わせるとき、やけに意識してしまいそうだ。


「そんな……そんな不自然なウイルスが、本当に存在するのかよ?」


「勿論、そんなものが自然に生まれるわけがない。元は、南アフリカの奥地に眠っていたものだが、あくまで人為的に手を加えることで生み出されたウイルスだ」


 俺は、瞬間その意味を理解する。


「じゃあ、そんなものをわざわざ作った奴らがいるってことかよ。何のために……そんな」


「ああ、わざわざ作り出しばらまいた奴らが、そんな悪魔のような連中が、存在するのだ。自分の理想の社会を創るためには、世の中などどうなってもいい、という連中がな」


「……狂ってやがる!」


「ふん……奴らは自らを『モノケロス』と呼称している。俺は、奴らに対抗するためのレジスタンスの一員なのだよ」


「モノケロス」


「ああ、ラテン語でひとつの角をもつ獣……一角獣という意味の単語だ」


 一角獣、ユニコーン。

 高慢を象徴する、獰猛な幻獣だった。


「……少年、これから先も生き残りたいのなら、お前は、絶対に性交してはならない」


 黒猫は俺は見つめると、判決を告げる裁判官のような口調でそう言った。

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